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「自分を十分に大切にすることがまだ、足りていない」

※私の最近の思ったことで、仮の意見です。誰かにこの価値を押しつける意図はございません。

自分を、十分に大切にすることがとても大切と実感

かつての私の発想は、何か仕事で頑張ったり、役に立ったら、自分へのご褒美で、自分を大切にする活動をしていた気がします。例えば、温泉に行く、美味しいものを食べるなど。

今は、考え方が変わり、まず自分を十分に大切にすると、その副産物として仕事を頑張れたり、他者に寛容になれると思っています。

「成果を出す努力をしたら、自分を大切にしていい。」から、「自分を大切にしたら、副産物として努力ができたり、成果が出たり、他者貢献できる」という考え方に変わりました。

私は長い時期、自分の誕生日を祝うことに違和感がありました。生まれた日を祝うことに何か意味があるのだろうか。ただただ存在するだけの自分に価値を見出せない感覚です。自分で自分の存在を承認するという行為が全くない時期が長かった気がします。

何か有用な自分でないと、存在してはいけない感覚です。

ただ、このような状態が続くと、漠然とした不安やイライラ、モヤモヤがベースにある状態で、日々生活している自分がいると感じます。

モヤモヤや不安で、周りに対して心を閉ざしている感じや、イライラを無意識的に他者へぶつけている自分がいると思います。


今は、考え方がひっくり返っています。

しっかり自分の存在を承認する活動、今ここにいるだけの自分を大切にできる行為を十分に行うと、漠然とした安心感に包まれている自分を軸に生活できると感じます。

漠然とした安心感に包まれていると、穏やかな気持ち、心が開いている感じ、なにかチャレンジしてみたい気持ち、人のためになにか動ける余裕が出てくる自分を感じます。


自分を大切にすることの困難性

とはいえ、自分を十分に大切にするのは、色々な困難が伴うと思います。

過去のトラウマや、ストレスに敏感に反応する特性によっては、漠然とした安心を感じるのが難しい状況があると思います。また、生活習慣や食生活によっても漠然とした疲労感が漠然とした不安へつながっていく気がします。

それから、自分が所属する組織(家族、学校、会社等)の価値観によっては、コントロール性が強かったり、お互いの不安やイライラをベースに、常に緊張を感じ合う中でエネルギーを生み出している状況があると思います。

そんな組織に巻き込まれている状況では、自分を犠牲にしながら人のために活動したり、お互いに傷つけあいながら日常生活を続けていかなければならない状況があると思います。

コントロール性の強い組織からは可能な限り離脱するか、離脱が難しい場合は、他にお互いに安心を感じ合える「つながり」や「居場所」をみつけられるといいなと思います。

自分の力だけでは、どうにもならないことがあると思います。そういった時は、一緒に何かをして安心を感じることができる場が、日常の生活のどこかにあるといいなと思います。


自分を大切にする方法

自分を大切にする方法として私がお薦めしたいのは、「対話の場」です。
対話の場では、対等な立場でお互いを尊重し、話をそのまま受け止めたり、関心を持って応答したりするので、それを相互に行うことで、心底の安心を感じることができ、お互いに自分を大切にすることができると思います。りすにんぐファームもそういった場を提供できばと思っています(ここは少し宣伝です。)。

それから、なんでもいいと思うので、一緒に何かをして安心を感じられる活動です。一緒に遊んだり、一緒に運動をしたり、一緒におしゃべりしたり、一緒に何かを作ったり、一緒にのんびりしたり、一緒に自然に触れ合ったりできる活動が日常的にあるといいなと思います。

一人でもやれることとしては、自分へのご褒美として、自分が心地いいこと、喜ぶことを積極的にやれるといいなと思います。私の場合は、運動(筋トレ、ランニングなど)したり、温泉(サウナ含む)に入ったり、家族と過ごしたり、糖尿病に気を付けながらも、好きなものを食べるなどしています。

自分を大切にすることと甘やかすことの違い

最後に、自分を大切にすることと、自分を甘やかすことの違いについても言及してみたいと思います。

自分を大切にすると、副産物として安心感が高まったり、パフォーマンスが上がるという現象が起きますが、自分を甘やかすと、安心感は高まらず、パフォーマンスは下がっていく気がします。

例えば、ゲームを気分転換で楽しむためにやっている場合は、副産物としてより勉強や仕事に集中できたりする可能性がありますが、ストレスから逃げたり、現実逃避という文脈でゲームをしていると、より依存的になったり、他の社会生活ができなくなったりする可能性があると思います。

甘えているかどうかは、その行動が、自分の持つ価値規範から見てどうかや、身近な他者のもつ価値規範の影響によると思います。

例えば、「試験の成績」「仕事の成果」「健康」などに価値を置く視点から見ると、ゲームをしている状況は、甘えであり、ストレスからの回避行動であり、不健康という「ネガティブな評価」で捉えられると思います。

一方で、「主観的幸福度」「安心感(腹側迷走神経優位状態)」などからゲームを捉えると、楽しい時間、いい気分転換、オンラインで人と繋がれる大切な時間として捉えることもできると思います。

ある価値規範から見て、その行動がネガティブな評価を受ける時に、その行動が「甘え」として現れてしまうと思います。

ネガティブな評価を自分でしたり、他者から受けながら、何らかの行動を続けていると、不安やイライラが増加していくと思います。

状況を変えていくには、自分の中の規範の反転が必要になってくると思います。

さらに言うと、自分の中の規範(他者性)から解放される感覚が大切だと思います。


最後に

長い期間、あまり意識して自分を大切にしてこなかったので、まだまだ不安を感じやすかったり、被害者意識が強かったり、自分の加害者性に鈍感なところもあると思います。

これからも、意識してもっと自分を大切にしないといけないなと思っています。

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