見出し画像

わたしのリマインダー 〜Day 4. ドラァグクイーンから学んだわたしなりの愛

お久しぶりです。
皆さまStayHomeWeekはいかがお過ごし?

今日は気分がいいうちに
自分が大嫌いで人目が気になって仕方なかったわたしが
自分は自分、ひとはひとでいられる思考を書き留めておこうと思うよ。

自意識過剰科人の目気にしちゃうコース首席卒業

もうお気付きの方も多いかと思うんだけど
わたし自己顕示欲がすごく強いタイプです。

過去の記事なんかみてもらうといかにわたしがイタタ。。な
お子様時代を過ごしたかがわかるかと思うんだけど
それはそれはもう、今思うと目も当てられない…笑
とにかく注目してほしいって思ってたんだけど
そんな反面、

自分自身にはなんと全く自信が無くて。

すごい矛盾してるじゃん?
信じられないじゃん?

当時のわたしってすごく人目を気にしてて
「こんな事言ったら嫌われちゃうんじゃないか」とか
「こんなことしたら悪目立ちしちゃう」とか
(実際校則破って先生と喧嘩になってたから悪目立ちしてたけど)
はたまた得意なことではいいところを見せて
周りから「すごい!」て思われたいなって思ったり。

今思うと本当にくだらない、
どうでもいいことばかり気にして生きてた
んだよね。

プライドだけはいっちょ前

さてそんな矛盾した感情を抱えたまま
思春期を走り抜けてったわたしふと考えたんです。

どうして自分に自信がないのに
自分は周りから見られてる気がしてならなくて、
「かっこ悪いところ見せたくない、周りからよく見られたい」
って、そんなことばっか考えてるんだろうって。

踊っている時も、常に人目が気になって
「下手くそが何やってんだよ、とか思われてたら嫌だな」
とか余計なこと考えて集中できなくなっちゃったり
、ね。

そんな中、認めたくない一つの揺るがない事実に気づいちゃうんです。

わたしプライドめっちゃ高いんだな。

って。

プライドが高いから、かっこ悪いところは見せたくないし
同じ理由で人目が気になって仕方なくて
いいところを見せたくて、ええかっこしいな自分がいるんだなっていう
嫌な部分の本質が見えてきてしまって。

実際はきっと、
「いや、誰もお前のことなんてきにしてないわ」
が世界の本音なんだけどね。

で、どーなったかって
ますます自分が嫌になっちゃって。

そんな自分が大嫌いなのにやっぱり自分が一番可愛くて
他人から愛されたいって思いを抱えて

って、なんとも響きの悪すぎる感情と戦いながら
何年も何年もモヤモヤを抱えながら生きてきたんだ。

みんな、それぞれ個性、いいじゃない

そんな中わたしは2年ほど前、母の影響で
NetFlixにて「Ru Paul's Drag Race」を見るようになって。

画像1

そこに映るのは
好きなメイクをしてキラキラの衣装を身に纏って
それぞれの持ち味を、自身のコンプレックスも含めて個性として
世界に向けて愛を叫ぶドラァグクイーンたち。

「みんな違って、みんないい」
っていう意味が一目でわかるような、十人十色の美しさをもった彼女たち。
競い合いながらもお互いへのリスペクトは忘れない、素敵な世界。

中には辛い過去を抱えた人もたくさんいて、その辛さだって十人十色だけど
みんなそれぞれが抱える過去やコンプレックスを活かして
「これがわたしなの」って自分を認めて生きてて。

そんな美しいクイーンたちを見てたら
「ああ、わたしは何をそんなに気にしながら怯えながら生きてるのかな」
って段々あほらしくなってきちゃって。笑
自信がなくてうじうじしてるわたしがちっぽけに思えてきたの。

自分のしたいように生きればいいし、
どんな経過を辿ったって、最終的には自分の決断を信じてよかった
って思えるようになってるんだから大丈夫だと
少しずつ思えるようになったんだ。

もちろんわたしにだって誰にだって忘れられない
しんどい過去のひとつやふたつあるけど、
それも含めて自分自身、持ち味にしていけばいいなって。

何より、
周り気にしながら怯えながら生きるのってまじ勿体無いわ!
だったら好きなことして、後悔しないで死にたいですわたし。

って、思えるようになったんだ。

下手くそだけど踊るの好きだし!!
て思えるようにもなって、そう思えるようになったら
自然と少しずつ自信も出てきて
いろんなことに挑戦してみたくなったんだよね。

色んなナンバーやチームで味わったしんどさや苦しさ、
もちろん練習から本番までの楽しさも、全てが
今のわたしの性格、踊り方をつくっていってるんだって
段々思考が変わっていったんだ。

"自分を愛せなくて、他人を愛せて?"

少し話がわたし個人のお話に逸れてしまってたんだけど、
「Ru Paul's Drag Race」では番組のHostであり、
レースの審査委員長であるRu Paulが
必ず最後に言う決め台詞があるの。

「If you can't love yourself,
How in the hell you can love somebody else ?」
(もしも貴方が貴方自身を愛せなかったら、
一体どうやって他の誰かを愛せるというの?)

自分に自信が持てない時、正直この言葉は他人事ではあったけど
どこか胸に刺さってて。

今ならこの言葉の意味がとってもわかる気がするんだよね。

自分で自分に愛情も与えられない人間が
他の誰かに愛を与えること
なんて、
与え方もわからないのにできないよなあって。

それに、本当に最終的にはわたしたちって一人で、
個人として生きて死んでゆくんだ。
そしたら人生の主役も自分だし、
自分と最終的に向き合って認めて、
愛してあげられるのも自分なんだな、って思うの。
一生つきあっていく唯一の相手を貶すほど
哀しいことないんじゃないか
って。

だったらわたしくらいは、わたしのことを
良いところも悪い部分も引っ括めて愛することができれば
周りの目なんて関係ないんだな
って
考え方が少しずつ、でも確実に変わったんだ。

もちろんこれには若干の誇張表現があるし、
自分を愛してくれて周りにいてくれる人の意見は大事だけどね。

でも一番大事なことは、
わたしがどうやって生きて、どうやって幸せになるか。
これに尽きるんです。

愛し愛される資格大あり

今までいろんな曲がりくねった道を曲がりくねった心で
歩いてきたわたしなんだけど
その中で経験した苦しみや辛さ、心のモヤモヤは
全て今のわたしをかたちづくってて、
経験したことのうち何か一つが欠けてたら今のわたしはきっといないの。

辛いこと思い出したとしても、
「色んな経験してきたけどそのおかげで、
沢山考えることができて成長できたんだな」

って良い経験値にしかならなくて、
今では当時を懐かしむことができるまでになったよわたし。
強くなったね。笑

そして、そんなわたしに愛をくれる大事な人たちに
わたしも愛を与えたいって思うんだ!

わたしは愛されて生きてるし、そうやって愛される世界が
わたしは大好きなのです。

ずっと一緒にいてどんな時も支えてくれる家族
時にふざけたりしながらも色んな話をしてきた友人はもちろん、
踊る中で一緒に高みを目指す大事な仲間や、
ダンス以外の相談も乗ってくれる恩師
親友みたいだけど、わたしにとってとても大切な人にもね。

そして今は辛い時期だけどきっと、
こんな今を懐かしんで笑える日がきっと来るって。

そんな未来を信じて
今日もわたしはわたしのために、
落ち込んでしまう時用にこんなリマインダーを残してみました。

これを目にした人が
「こいつ文章下手やな、もっとうまくかけるわ」なーんて、
ちょっとでも笑って心が晴れてくれたら嬉しいよ。

また思いついた時に、わたし用にリマインダー書きます。

よければ遊びに来てね。

またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?