疑城胎宮にて

おや!



 なるほど、今まさに蓮の花が開こうとしているのだな。さしずめ、私がこうして言葉を垂れ流しているだけの時間があるのは、このあまりに大きな開花が一瞬で終わらずに、少々時間を要するということに由来するのだろう。開花のアスペクトは点ではなく持続なのだろう。

 しかし短いまどろみであった。噂では五百年ほどと聞いていたが、たとえ私がここに三億年閉じこめられていたとして、三劫の間閉じこめられていたとして、どれにしても同じことだ。足に括りつけられた鎖の重みにだって今初めて気づいたのだから。そもそも私がこれまで飲み食いを楽しんでいたということにさえ今気づいたのだから。いい音楽だ。扇動的な律動が実に心地よい。何が一番よいって、この愉しみに割って入ってわざわざ不気味な言葉を吐き、踊りを邪魔する連中がみなこの宮殿の外に締め出されているということだ。その者達の姿どころか、声、いや書き物さえ見当たらない。つまりは立ち止まりと遅延が一切無いということであって、そのお陰で私はこのときまで一瞬だった。

 見よ、笑いが止まらない。五百年が何の罰になるというのか?どうしてこの監禁が永遠ではなく期限付きなのかと問われればきっと、いざこうして私のように宮内の享楽を楽しみ切った者に勲章を与え、この者の勝利を認めるためではないか?今や、先立つ勇者たちの中に「ヨダカ」の名を連ねる時だ。聞けば花の上、浄らかな土地には時間が存在しないそうではないか。つまりはこの宮内の満足と何ら変わらない。ただそこに「蓮の中」「蓮の上」という異なった名前が与えられているだけだ。この欺瞞を見破ることができるか否かが分かれ目だったのだよ。母胎の中の赤子は母に最も近くしかし母の顔を見ることがない。だが、生誕の前にあって、果たしてわざわざ母の顔を見たいと願うものだろうか。





 それにしても時間がかかりそうだ。差し込む光に目を開けるのも身動きをとるのも一苦労であり、これはこれで大変だ。まるで人の一生分の時間をかけて花開くのではあるまいか。

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