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「人助け」って自立心を育てることなのでは

「人助け」は幻想かも知れないし傲慢さや自己満足とも関係あると思うのでつれづれメモしてみる。昔から考え続けていることでした。

私のまわりには、コーチングのコーチ、カウンセラー、セラピスト、歯科と医療関係従事者が多い。

コーチカウンセラー系の人たちは良識ある良心的なひとが本当に多かった。HSPさんも多いように思う。

人助けしようとしない人っている

一方で、事業運営にかかわってみたら社会はだまし、悪巧み、詐欺まで実在ものなんだなぁ、というのも見聞きしているので、当初から口があいたままふさがってない。

会社であれば確かに生き残り続けるのが正解。経済のルールでいえば間違っていないかと思う。

でも本気で「それだけ」なんだとしたらセンスは感じない

雇われやっていてコーチングカウンセリング業界の皆さんに囲まれて生きているのではこういうのは経験できなかった。

コミットメント低くサービス・商品、中身が貧弱どころか去勢張ったりウソついて儲け主義の方が生き残れるっいうのは

筋はあるけど、思い込みなんじゃないかな。やり方のひとつなんだろうとは思うけど。

そもそもそれ、やってて楽しいのか?

最初は仕方なしハッタリでもゆくゆく本物にさせる意味だったらかっこもつくけど

最初から最後まで

これの何が悪いの?お前がばかなんじゃないの

と開き直ってる堂々としてる人色々みた。

こういう人達とかかわる以前は、世の中もっとましな所だと私は思っていた。

そう言いながら、自分も事業の生き残り優先っていうのは(悪いことはしてないけど)もちろん守っているわけで、周りからは悪に見えてることもあるかもしれないと思うと少し怖い。

コーチング、カウンセリングに興味のある方達、、、それこそ色んな職種職業、肩書、立場の方と沢山会ってひざを交えさせていただいた期間があったので

その期間で世の中知ったつもりにはなってたかも知れない。

でも特別に良心的で良識ある、その中にはHSPさんも沢山いたであろう人たちだったんだな、と今なら実感します。

そのご縁はありがたいことでした。私が実践の意味でよく知っているのはカウンセリングよりもコーチング系の3流派ほどで

人助けって存在するのか?

人を助けるのは本人の自立心とか望み、主体的な選択じゃないのかなと思う

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病に向き合うときも、本人の意欲は自然治癒力だいじだと思うし。

コーチングでいうと、どの流派でもクライアントの自立と成長がサポートの最終目的。

間違っても依存させて従わせるのが目的ではないです。

いい意味で脳をだます、っていう作業はするけど本人にとっての望みや社会的に望ましいとかの範囲で便宜上やるだけで

他人を自分の都合でだますっていうのは無い

ただのビタミン剤渡して、これは高価なお薬でよく効きますっていうのを信じさせるのとも違う

自分で自分の信念体系変えていきましょう、っていう話なので。

信念体系変われば、薬だけじゃない他の現実認識なんて変わるんだから、押し付けじゃない本人なりの選択肢は増える。


本人が自分で自分を助ける。自分らしく生産性を高める。その解の道筋づくりを手伝う、みたいなもの。世の中正解なんてないんだから、自己責任で自分で探して決めるっていう世界

最初に書いたような悪巧みや詐欺めいたやり方を何とも思ってないような人からみたら、キレイごとすぎるかもだし

悪いことみんながやってるから別にいいじゃん、となればその人は責任捨てています

だから、社会の制限のなかで、生き残れれば(自分さえよければ)いいんだみたいな発想って、受け身だと思う

それまで誰も指摘してくれる人が周りにいなかったのかもしれない

刺激→反応のあいだの選択肢

「刺激→反応」のあいだに「思考」がない動物にすら見えてしまいます。

ふだん一体何考えてるのか本気で知りたい。できれば良心とのあいだで葛藤があった時期があったんだと思いたい。そうだったらまだ人間っぽい



カウンセリングや心理療法、セラピー、ヒーリング、私自身が経験した範囲のことしか言えないけど、症状や悩み事、必要な人にとっては解決の助けになります。

医療の方の話だとどうなっていくか

医療の結果も、うまくいくかどうかって運だけじゃなく自立心、、、本人の意図とか意欲、自然治癒力は結果にかかわると思う

自己管理とか、症状あれば治ろうとする努力があるから病院に足を運ぶんだろうし、代替療法さがしたりもするんだから。

たしかフランスのことわざで「医者は患者よりも努力してはいけない」のを聞いたことがある。個人主義らしくていい発想

それぞれの職業でクライアント、患者、呼び方はちがうけど

本人を助けられるのは本人でしかないんじゃないかな。

というか、人共通のゴールはしんでいくことでもあって

その時期がいつなのか?の違いだとしたら、その間どう生きるかの選択の範囲にしか意味なさそうですけど。

本人の選択の範囲のサポートという考え方が私はしっくりきます。



医療でその分野の知識もスキルも持たない人が、その知識やスキルでもって助かるのは、関係性(信頼関係)があってこそだと思うんだけど

人助けしようとすると依存される

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難しいのは、その信頼関係が主従関係に寄ってしまうと、患者が主体性をもっと失ってくることで

そうなると依存心やわがまま出るし、場合によって恨まれたり攻撃されることも出てくるし

本人にとってよくないくらいだけだったら仕方ないけど、医療従事者側のほうも迷惑被ってませんか。

医療従事者も自分(患者)とおなじ人間だっていう見方してもらってないからだと思うんですよね。

実際、ミスや事故っていうのも人間だからあるにもかかわらずそれがわからなくなってしまったり。

要求が高くなってワガママが強くなれば、その分医療従事者が時間や機会を犠牲にしていることもある。

それでも保険医療なんだからちゃんとやって下さいっていうのが患者の主張かも知れないけど

医科でも歯科でも医療従事者の過重労働つくってるのは患者の方でもありますからね。

白衣着てると信頼されやすいっていうけど、私は着なくてもいいんじゃないかと思います。それでも権威が快だと信じてる人は脱ぎたくないだろうけど

でも同じ人間なんですよ、っていう話で

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患者もなんでわがまま高じてくるかっていうと、医療者が偉そうに見えるからかもしれない

ここ最近とくに、人を助けるって傲慢や自己満足の考えのような気がどうしてもしていました。

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