理解させるって言うけれど
『みんな嫌いな公民』というサブタイトルで、授業づくりの考え方を書いています。
授業の設計図を学習指導案という。教育実習や教員の研修でも作成して、授業研究に役立てる。授業のねらいをびっしり書くのがよい。
授業の設計図を書くにあたって大事なことは、生徒の活動と教員の動きを整理することである。よく混ぜて書かれている。ねらったところに生徒を行かせるのに、教員が何をするのかを書くのがわかりやすい。そして教員の指示で生徒は何をするのか。指示通りにすると、ねらったところに着く。
この設計図、学習指導案によく登場する言葉が「理解させる」である。
理解させるのは「ねらい」になっているか
公民科で扱う授業内容を例にして、考えたい。
大統領制について理解させる
一体何を理解したら大統領制を理解したことになるのだろう。いろいろ挙げてみる。
現在と過去がある。昔の大統領制も無視できない。どこの国だろう。アメリカだけではない。フランスやブラジル、ドイツや韓国、多数の国々が大統領制を採用している。組織や機構なのか、役割や権限なのか。
つまり、何に着目して大統領制を理解させるのかを決めておく必要がある。当然のことだと思うが、大枠で大雑把なねらいも、一見すると間違いはない。
現行のアメリカ大統領制において、大統領の持つ権限について理解させる
最低限でもこのように書かないと、授業はできない。大統領制について丸ごと理解させるなら、膨大な内容を扱わなければならない。
教師への問いかけは2つ
一体何がわかればそれを理解したと言えるのか
何に着目して授業をするのか
授業のねらいとは、一体何がわかればそれを理解したと言えるのか、と言い換えられる。この問いは、何度も繰り返される。着目することを定めたとしても、「何がわかれば」の何について、この問いが立つ。
一体何がわかれば大統領制を理解したことになるのか。一体何がわかれば、アメリカ大統領の持つ権限を理解したことになるのか。
授業の設計図づくりは、ひたすらこの問いに答えることである。次々に問いが立つ。どこから何を理解させようか。
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