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地図は知識か

スマホやカーナビが道案内をしてくれる。GPSが現在地をおしえてくれる。行きたいところを言うだけで、音声認識と自動運転車が目的地に連れて行ってくれる。

教員がよく言う。○○がどこにあるかも知らないなんて!
有名な国、有名な都市、旧国名、地名

検索すればわかる。覚えておく必要があるのだろうか。乗り換え案内もアプリに任せて問題はない。何通りかあるルートを提案してくれる。行く必要がない地名を知識として覚えさせる。これまでの社会科教育でやってきたことだ。

テストのための知識

人類が地図を手にする前は、道順として把握していた。位置関係や面積は、地図の登場で把握できるようになった。読図はスキルの1つになった。そして位置関係を暗記しておくことが求められるようになった。

ウクライナについて知っておくべき地理情報とは

どこにあるかわからない
どこにあるかわかる

一番ミニマムな知識は、ロシアの隣国であるということ。
もう一つ追加するなら、地形との関係、南側に黒海があるということ。
これ以上の知識は必要だろうか。

必要になったとき、調べればよい。この考え方への反論が必要だ。全ての教科や単元に共通するが、自分と無関係なことを学ぶ理由が知りたい。生徒は何にでも興味があるわけではない。テストのために学習させられているだけだ。ミニマムでいいという意見への反論を考えたい。言い換えると、どこまでがミニマムかという議論だ。

知っておいたら役に立つ。

知識が役立つというのは、一問一答のような対応する答えが出てくるということではない。知識は公式のようなものであり、関係や構造を捉えて、代入や置き換えをして活用する。例えば、知識があれば、まるで○○のようだね、と何かを形容できる。○○を理解していなければできない。例示は説明の方法の一つだ。知識が説明に役立つ。説明したいことがあるときに役立つ。つまり、知識は発想を豊かにする。そうすると、多い方が豊かだ、ということになる。

知識は情報に過ぎない。

地理情報をたくさん頭に入れておくと、発想は豊かになるかもしれない。でも、それは地理情報に限らない。そうすると、情報が多い現代では、取捨選択するしかない。仕事や職業、暮らしに必要なら調べて蓄積すればいい。必要に応じてということになる。厄介なのが、歴史の学習に必要だということだ。歴史を学習するためには欠かせない地理情報というのが、結構多くある。歴史と地理の関係は、理科と数学の関係と似ている。

アプリやネットの登場で、覚えなくてもよくなったといわれるが、頭に入っている人の方が能力が高いと思う。発想が豊かで、多くのことを比較して吟味できる。私が検索している間に、頭に知識が入っている人は吟味している。検索ワードも豊かだ。知識がなければ、貧弱な言葉で検索して、必要な情報に辿り着くのも遅い。きっと、対話的AIの活用も上手くない。



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