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昔、童話作家でした。

20歳を前に焦ったんです。もうハタチだ。どうしよう。

これ以上、大学にいると、就活シーズンに同じようなスーツを着て面接に行く人になってしまう、どうしよう……と、思ったんです。目標もない中で、社会のために役立つ人になれるのかな。

私は、大学を休んで東京に文章修業に行くことに決めました。大学は地元の国立大学でした。子どもの頃から書くことが好きで、文学部に行けば小説の書き方を教えてくれると思っていましたが、全然違っていました。

大学をやめていくことも考えたのですが、周囲の反対にあい、やめるのは後からでもいいかと考え直しました。周囲のみんなは、作家になるなんて、そんな簡単なことではない、夢のような話だと言いました。

東京は華やかでした。地元には文化がないと、その頃は思っていたんです。そんな私を満足させる煌めきが東京にはありました。

書くジャンルとして児童文学を選んだのは、自分の文体がそれに向いていると思ったからです。それに、私は子どもの頃に経験したことやその時感じたことを不思議なくらいよく覚えていたのです。いずれは小説を書きたいと思っていましたが、20歳の私のポケットにはまだ何の素材も入っていませんでした。

区立図書館でアルバイトをしながら、夜は原稿用紙を前に童話を書く毎日でした。このまま、頑張って書いて、50歳か60歳頃に自分の本が出版できたら嬉しいな、夢見る20歳でした。

思いがけなかったのは、童話コンテストに応募して、上京して2年目に自分の本を出版することができたことです。

それから、20代で5冊の童話を出版することができましたが、遠い夢だと思っていたことが思いがけずに叶ってしまった私は、気が付けばまた焦っていました。

私がしたいのはこんな仕事だったのかな、私の仕事は社会のためになるのかな。私が書いた本を子どもが読むことで、何か役に立つのかな。

その後、私は、童話作家をやめて、人のためになっていることを実感できる仕事を求め、日本語教師になりました。

明確に「やめた」のかどうかはわかりませんが、日本語教師を選んだ自分は、同時に作家でいることを放棄するしかありませんでした。忙しく、責任のある日々でした。

でも、たった数冊の出版経歴でも、昔、童話作家だったということは、ずっと私を支えてきた事実でした。

日本語教師になって、楽しくもないのに論文を書く日々は、葛藤の日々でした。だって、私の文体は童話向けなのですから、まったくもって論文向けではないのです。

私が書きたいのはこんな文章ではない、書きたいように書きたいと、ずっと思ってきました。

遠回りしたけれど、今、やっと書く時間ができて、小説に挑戦する自信もでてきました。60歳のポケットには歩いてきただけの素材が入っています。おそらく余命30年、自由に書けるのはこの10年だけかもしれません。

楽しみながら続けていきます。





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