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時代のうねりが押し寄せる

  1991年12月、ソ連が崩壊した。信じられない出来事だった。人のよさそうな、頭に地図模様があるゴルバチョフさんはとても信頼できそうな人に見えたのに。人がよすぎたのだろうか。

そして、中国では1992年1月、88歳のトウ小平さんが南方に出かけ、春にかけて「南方談話」が発表された。社会主義と呼んでも、資本主義と呼んでも、大事なことは発展すること、大胆に進むがよい、とトウさんは言った。

その言葉は確かに、社会に大きな変化をもたらした。はっきりと肌で実感できるほどの時代のうねりが押し寄せた。

1992年の春から中国の全てが変わったと言ってもいい。例えばラジオのアナウンサーの声は、いかにも国の宣伝的な堅い口調から、笑い声を交える親しみのある声に変わった。テレビ番組も国の宣伝を感じさせない面白いものが生まれつつあった。個人経営の小さなレストランがあちこちに開店した。

それ以前からも緩やかに変化はあったが、あの年の変化は鮮明だった。

慎重だったり、諦めたり、思考停止をしていた人々が動き出した。富を求めて動き出した。

大胆な人はひと足早く進んで、結果を出した。様子を見ていた人々も遅れてはいられないと走り出した。取り残されないように。

「下海」という言葉が流行った。海に下りる、という意味で、公務員や国営の工場を辞めて個人事業を始めたり、経営に乗り出したりする人が一気に増えた。富を求めて、経済という海に乗り出した。

私の彼、朱さんも「下海」を考えていた。日本での3カ月の研修で刺激を受けて、自分にできることは何かと考えていた。中国が日本に追いつくために。先進国に追いつくために。

ソファに深く座り込んで、連日、深夜から明け方まで一人で新設会社の計画を練っている朱さんの姿は海に潜り込んでいくようだった。考えに考え抜いて、企画をテレビ局のトップに通し、子会社として資金を獲得した。

私は彼に細かく聞かなかったが、彼が新しい海に乗り出すために一人静かに考え抜いたことだけは分かっていた。

こうやって中国は1992年、大きな変化を遂げた。

平等だったはずの社会が、ヨーイドン!で富に向かって走り出した。不動産に走る者、株式投資に走る者、沿岸部の南から北へ勢いは広がっていった。

革命によって、権力者による搾取を平等に分配した国が、もう一度ヨーイドン!の旗を振ったのだ。80年代にすでにトウさんが言っていた「一部の人たちを先に富ませ、ほかの人たちも共に富めるように進もう」という言葉が現実になりつつあった。

本当に「一部の人たちを先に富ませ」た後、「ほかの人たちも共に富めるように」なるのだろうか。疑問は残ったが、私は、それが口先だけとは感じなかった。家族を大事にする人たちの絆の強さを知っていたから。

願いにも似た期待をもって、私は大国が変わりゆく時代を見ていた。(完)


読んでいただき有難うございます。小説「あの頃の、中国で……。」の周辺の物語として書きました。本編(全18話)も、お時間がある時に読んでいただければ嬉しいです。<(_ _)>ぺこり














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