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Day18. 暮らし方をデザインする

丁寧な暮らし

ってよくいうよね。時間をかけて料理したり、掃除したり、何かを創作したり、云々。もう少し広い概念でいうと、毎日の行動にもっと目を向けてみるというところだろうか。
さいきんは家で過ごす時間が多くなっているので、日々の暮らしに向き合わざるを得ない人も多いと思う。その中で、なるほどいわゆる丁寧な暮らしとはこういうことか、悪くないな、と思った人もいるはずだ。

忙しさに振り回されてただ生活を送っているより、それぞれのことに意識を向けて味わうっていうのは豊かなことだ。そうして心に余裕ができると、周りの人やものに自然と感謝の気持ちを抱けるようになる。わたしも家にいる時間がずっと長くなって、パンを焼いたり凝った料理をするようになったりして、その恩恵はよく感じている。

当たり前に「丁寧」でありたい

でも、こういう暮らしが「一定の人にしか実現できない奢侈品のようなもの」であるべきじゃないと思う。もしくは、「意識の高い人が突き詰めていく領域」もつまらない。もっと、スケールを広げていって、当たり前の普遍的なものになるといい。だけど、そんな暮らしを当然にするには現代のわたしたちはあまりに忙しなく生きている。

ただ、奇しくもこの数ヶ月の間、わたしたちの焦点は日々の暮らしにうつっている。この期間、かえってやることが多くなった人も多いだろうけど、ほぼすべての人が家で過ごす中で毎日の暮らしに向き合うことが増えただろう。そこで感じた、「こんな暮らしもアリかもしれない」っていう気持ちを忘れないでおきたい。だって、それはより人間の本質に近い気がするから。

忙しない日々の中でも、ちゃんと心の余裕が保てるような社会がいい。そのためには、変えていくべきことがたくさんある。

地球規模の「心細さ」の共有

結局、人間の根源っていうのは、日々の暮らしーー毎日の食と、周りの人たちとの交流と、安全な生活環境にあるのだ。これさえ担保できれば、人間はそこそこ生きていける。

だけど、今まで気を配っていなかったこうした当たり前のことが、なんと脆弱な基盤の上で成り立っていたのだろうと気づかされた。ちょっとでも経済やモノの流れが止まってしまったら、自分の食べ物の確保もままならない世界。こんな中でも動き続けてくれるインフラに感謝しながらも、衣食住が確保できて人とのつながりをもっている恵まれた自分を意識しながらも、先の見えない不安と心細さを感じていた。きっと、わたしだけでなく多くの人が。

そんな複雑な感情を、同じタイミングで世界中の人が感じたというのは、史上初かもしれない。もちろんその感情の強さは人それぞれだろうけど、それでも多くの人が同じような恐れを抱いたということは事実だろう。
グローバルな規模で「共感」を感じられている今だからこそ、喉元過ぎる前に考えたい。これからわたしたちはどう生きていくべきか。

わたしたちが暮らす場所

暮らしの基盤は、わたしたちが住む場所にある。すなわち家であり、地域であり、国であり、地球だ。別に超自然的な話をしているわけでなく、当然の話をしているだけである。

さて、わたしたちの住む場所は、みんなにとって安全な場所であるべきじゃないだろうか。環境の問題にまじめに向き合うべき理由はここにある。

環境問題は、科学的な事実というよりもまだまだ「共感」レベルの話から脱せていないなと感じる一方で、こうして人々の共感の閾値が広がっていけば、イシューに対してより敏感に、積極的に取り組めるようになるんじゃないかなと思う。その点が、"With Corona"の暮らしの光明だと感じている。ただそのためには、のほほんと情勢を見守るだけじゃなくて、自分が望む世界観に引っ張っていく力が必要だ。

世界は、より持続可能な社会を志向してすでに動き始めている。
この世界経済フォーラム(WEF)の記事は、この状況のポジティブな側面を提示してくれる。

COVID-19によって、特定の産業(航空、医療、エネルギーなど)、金融システムの仕組み、気候変動への取り組み方、そして資本主義さえもリセットすることができる。パンデミックからの教訓をもとにゼロから始めるならば、自らを持続させ、集団的に繁栄することができるような別の世界を想像することができる。未来の所有権を握るのは、それぞれの個人、企業だ。

パンデミックも、過剰な人口集中と環境破壊による野生動物との接触という面では、限りなく人為的な事故に近い。ということは、予防する手立てもあるってことだ。

都市の良い面、悪い面

さて、今日は「都市化と持続可能性」について勉強した。
現代では地球規模で都市化が進んでいる。世界人口の半数以上が都市やその隣接する郊外で暮らしていて、2050年にはその数が7割近くに達するだろうと言われている。ちなみに世界でもトップクラスの「東京-横浜」都市エリアの人口は約4,000万人で、カナダの全人口を上回っている。カナダの面積は日本の27倍だ。

一箇所に人が寄り集まって暮らしていると、それに応じた影響が生じる。悪い面としては、病気の蔓延などの健康問題、公害の発生や森林の開拓などの環境破壊が挙げられる。良い面としては、逆説的ではあるけど、効率良く生活できる分、汚染が局地的に抑えられる。また、条件の良い仕事や整ったインフラは都市部に集中している。

「賢い成長」を選択する

そんなわけで、都市にはいい面も悪い面もある。ならば、いい面を最大限伸ばしていこう。そんな思想が、「賢い成長(smart growth)」戦略に反映されている。賢い成長とは、「無秩序な発展と環境条件の悪化を抑制しようとする、計画された経済と地域社会の発展」を指し、コミュニティの経済的、環境的、社会的ニーズに応えることを目的としている。

「無秩序な発展」とは、「スプロール現象(urban sprawl)」に代表される都市部から無計画に広がる発展のことだ。じわじわ広がる居住地や商業地帯によって、周辺の農耕地や緑地などが壊されてしまう。さらに、こうした郊外に住む人の主な移動手段は車になるので、CO2や有害のガスの発生量がどうしても高くなる。
無秩序な発展現象。東京や首都圏の街並みって、スプロール現象そのものな感じがする。それは結果論だし、断罪するつもりもないけど。

新しい都市のすがた

賢い成長の先には、「新都市主義(new urbanism)」なるものが形成されていくだろう。"Living in the Environment"のテキストでは、新都市主義のこんな特徴が挙げられていた。

- 歩行者と自転車にも優しい地域
- 年齢や文化等が異なる人々皆に優しい、経済的、文化的な多様性
- 緑地、美観、建築の多様性を重視した質の高い都市設計
- 地域社会の問題解決のために一緒に働く、地域社会のコミュニティ
- 環境への影響を最小限に抑えた開発を基本とした持続可能性
- 近隣地域と都市の間を結ぶ、電車やバスなどのスマートな交通機関

日本政府が掲げる「Society 5.0」も「スマートシティ」もいまいちピンとこないけど、この「新しい都市」のすがたに、わたしは結構わくわくする。好例としては、アメリカのポートランドやブラジルのクリチバなどが挙げられている。特にポートランドは世界の憧憬の的になっていて、良さげに語られている記事や本がごまんとある。いつか行ってみたいものだ。

都市部に住むわたしたちも、より良く生きていくための方策はたくさんある。都市化が進む今、自分が住みたい都市がどんなものか、改めて考えてみる必要がある。都市はまごうことなき人間による造形物だ。それをどうデザインしていくかは、わたしたちの手にかかっている。

問いを立ててみる

都市化の話の二面性もそうだけど、物事には良い面と悪い面があって、さらにその間に明確な境界線はない。だから何事も「正義と悪」のような分かりやすい二項対立は起こり得ないんじゃないかって思う。良いとか悪いとかいう何かわかりやすい指標を希求するんじゃなくて、まずは自分の頭で考えることから始めたい。

わたしは、わたしたちは、これからどう暮らしていこうか?

世界規模の大きな話に圧倒されてニヒリズムに陥るより、まずは自分の暮らしを見つめてみて、できることから変えていけばいい。

「これは本当に自分にとって必要なものなのか?」
「この習慣はかえって自分や周りの環境を痛めつけてはいないか?」

そんな問いを立ててみて、今の暮らしと自分の考えとの間に違和感を感じたら、それを中和させるために自分なりに行動してみたらいい。
海洋プラスチックごみの問題を知って心を痛めたのであれば、単純に自分が使う量を減らしていけばいい。でも、まずは背伸びせずに、できるところからでいい。広い世界の中ではほんの小さいことのように感じても、自分の中で大きな一歩であることは間違いないのだ。

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