メンターってなんだ
「若いうちにメンターを見つけましょう」といろんな本に書いてあるし、キャリアや人生設計をテーマにしたセミナーやら講義やらでよく言われる。
メンター?
見つけなければいけないのか、そうか、と脳内で探してみるもののパッと出てこない。
というかそもそもメンターってなんだ?
ほうほう。
自分でこのスペシャル人材を発見せよ、と言われているのか。
なかなか難しいなぁ。
どうやら企業では「メンタリング制度」なるものがあるようだ。
自分でこのような「恩師」にまだ恵まれていない若手の社員に会社側からメンターをあてがうみたい。
とはいえまだ学生の身だし、あまり医師の間で「メンタリング制度」なるものの存在を聞かないので、自分のこれからのキャリアに則した意味で捉えようとしてみる。
目上の尊敬できる人を見つけろ、ということかな。
気にかけてくれる先生方や上司を見つけたらいいコネクションにもなるしな、そういうこと?
あるいはもっと漠然とした、「その人の人生のルートを辿りたい、真似したい!」と思える人を見つけなさい、ということかな?
尊敬できる人だったり真似したいと思える人だったりを見つけると、人は謙虚になることができる。
上に目が向くと、自分に足りないところを探して改善できるし、
そもそも「もっと良くなりたい」と思うことが日々起こる事を前向きに捉える原動力になる。
だからやっぱり、「尊敬できる人」という意味でのメンターは必要だろうな、という所まではとりあえず実感が湧いた。
私には確かに尊敬できる人がいる。
でもその人は偉い教授でもないし、年上の人でも目上の人でもない。
「尊敬される」というのは誰が見てもわかる地位の高さや名声だけによるものではないと思う。
他の人から見てどういう立ち位置にいる人だろうと、今の自分を成長させてくれる人、今の自分の成長に必要な人であれば私にとっては「尊敬に値する人」なのだと思う。
その人の尊敬できるところは、読書家なところだ。
読書し続け、ことばを大切にし、考え続けているその姿勢に尊敬の念をおぼえる。
読書をすると、主体的に物事を考えなければ、と思うことができる。
読書をすると、世界が広がるように思う。
(感覚的にも、知識量の面でも)
人は言葉を使って脳内で思考すると言われている。
だから人は言葉を日常的な読書で摂取することで、思考するための道具を手にしているのだと思う。
逆に言えば、言葉を摂取しておかないと、深くて複雑な思考はしづらくなってしまうのかもしれない。
思い返せば、読書をするその人を間近で見ているのが私の喜びでもあった。
その人を真似るように私も読書量が増えていき、
以前よりは広く深く考えられるようになったように思う。
その人は、とりあえず今の私には確実に、メンターなのだろう。
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