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 彼は私が大学2年生の夏に空へと旅立った。
 彼との出会いは、かなり過去へと遡り、物心つくころには一緒に祖母の家で遊んでいた。彼はすぐに人を噛むため、私の母はしつけをするも噛む癖はなかなか抜けなかった。
 エピソードを挙げれば、いくつか思いつくが私は彼に会うことができて本当に良かったなと感じる。なんてったって、妹の初恋相手でもあるのだ。小学生の夏休みは祖母の家で過ごすことが多く、必然的に彼と過ごした思い出もたくさんある。
 夏の夕立で雷が鳴り響き、彼は不穏な暗い空を見上げて尻尾が垂れ下がる。「くーん」と鳴いて、祖母のそばを離れなかった。
 祖父が夜ご飯を食べていれば、「俺にもくれ」と言わんばかりに祖父にねだる。祖父は相手が犬なのを理解していないのか、人間と同じものを与えていた。私はそれを見て、随分グルメな犬だなーと考えていた。
 蝉が大合唱をする庭を一緒に駆け回り、冒険をした。私が野草を摘み取れば、彼はそこにおしっこをかけ私が「もうっ!」と怒る。
 蝉とりをしていたら、木の根元を穴掘りし出す。肉球と口まわり、濡れた鼻が土まみれになった。それでも「やったぜ!」と言わんばかりの満面の笑み。
 蝉と言えば、家で彼が何かを銜えて遊んでいた。何を銜えているのかと思って見てみたら、それは蝉だった。彼の唾液まみれになり、苦しそうになった蝉が床に転がっていた。蝉に合掌。すまない。
 彼の定位置は、主に玄関だったと思う。祖母の家へ来訪するとき、彼はいつも玄関にいた。扉を開けると、「ワン!」と言って興奮し喜びの舞をする。
 喜びの舞とは、私の妹が名付けたものである。彼は、家中を駆け回り、尻尾をこれでもかっと振りながら颯爽と走る。ひとしきり、満足するとその喜びの舞は静かに終わる。これが祖母に家に行くと起こるルーティンだった。
 早起きが苦手で、朝が弱い私は彼が毎朝起こしてくれていた。彼は、私が寝ている布団にやってきて、「おい、朝だぞ」と顔をぺろぺろなめるのだった。今思えば、起こしに来たのではなく、遊んで欲しかったのかもしれない。
 チェロ弾きの祖父が演奏をしても彼は興味なし。私がピアノやヴァイオリンを演奏しても静かに寝ていた。彼は芸術性には乏しいのかもしれなかった。もしくは、子守歌のように寝入ってしまったのかもしれない。
 またあるときは、私と親戚のお姉ちゃんと川へ遊びに行ったときは、私とお姉ちゃんが川で溺れているのに一匹だけ川の対岸に避難した。そう、彼はかなり水が苦手だった。かっこよく飼い主を助けたら、武勇伝になり世に残せたのかもしれない。海に行って、手綱を引いても首輪が苦しそうでも海へ行くことに対抗していた。川に入ることができても、すぐに犬かきをして川から出て行ってしまう。
 割と怖がりな柴犬だったのだ。それなのに、祖母の家で出た小さな虫には吠えまくったりしていた。プライドだけは、でかいってやつだ。
 彼は人間に撫でてもらいときは、自分から人間のそばへ行き、「おい、撫でろ」とでも言うように爪でひっかく。大体その被害者になるのは、私の母だった。母は「痛いってば!」と言いながらも、彼の頭や背中、お腹を撫でる。彼も気持ちよさそうに寝そべっていた。
 私が中学生、高校生になるころには、毎日の生活が忙しく目まぐるしくなり、祖母の家へ行くことも少なくなった。
 だんだんと彼が歳を重ねていることを感じた。散歩するときの歩くスピードが遅くなったり、一緒にかけっこをしても私より遅かった。そして走った後は必ず、足が震えていた。筋肉痛だろう。小学生のときは一緒にかけっこをしたら彼の方が速かった。このころには私の方がかけっこで負けることはなかった。私の足が速くなったのか、彼の足が遅くなったのか。
 すると彼の生活にも大きな変化が現れ始めた。
 まずは可愛い女の子たちの登場だ。
 親戚のお姉ちゃんの子どもである2人の姉妹が祖母と暮らし始めた。彼女たちは、私のいとこにあたる。
 私は、彼がいとこたちのおじいちゃんの役割をしていると感じた。彼は優しく彼女たちを見守っていたのだった。
 さらに祖父の死だ。
 祖父は私が高校2年生の夏に旅立った。祖父は私にとっては、「厳しいじいじ」という位置づけだった。47都道府県を答えることができなかった小学生のときに祖父に叱られた。
「そんなことも答えられないと試験に合格できませんよ」
と、祖父は言った。しかし祖父母と一緒にデパートに行った楽しい思い出もある。デパートで「MAX70%OFF」という看板の前で祖父と写真を撮った。その写真は今でもアルバムに挟んであるが、なぜその写真を撮ったのかが分からない。
 そんな祖父が亡くなったとき、彼も何となく感じたのだろう。
 また祖母の引っ越しもあり、彼の住環境の変化もあった。
 新しい家では、落ち着きがなくあちこち匂いを嗅ぎまわっていた。新しい家ということを理解していたのだと思う。
 だんだん新しい家にも慣れ始め、私が大学生になるころには彼の老いが大きく見え始めた。犬の認知症や夜の遠吠えがあることを祖母から聞いた。
 目も見えにくく、耳も聞こえにくい状態で彼は生活をしていた。
 そんな状態では、怖くて遠吠えをするのも理解できる。顔もたるんで、どこかぼーっとしていた。それでも元気に散歩をし、いつものように私の母に爪でひっかき、撫でさせていた。
 歳をとった彼の「ワン!」は、若いときの「ワン!」とは異なり、「わふ!」となり、より一層愛らしさが募る。
 しかし親戚のお姉ちゃんから彼の危篤を知らせる連絡が入った。
 私たち家族は、夜中に車を走らせ急いで祖母の家へ向かうと、ぐったりと横になった彼がそこにはいた。
 彼は私たちがやってくると、一生懸命重い体を持ち上げて立った。
 私は彼なりの喜びの舞だと感じた。
 昔みたいに、家中を駆け回ることができないが、私たちが来たことを一生懸命歓迎してくれた。
 彼なりの喜びの舞を見れて私は嬉しかった。

 しかし数日後、彼が旅立ったという知らせが届いた。
 彼の火葬を行うため、再び祖母の家へ向かった。
 一瞬眠っているかのような彼がそこで横たわっていた。言われるまで気づかないほど、彼は眠っているようだった。
 私は、「死」というものは、眠っていることなのではないかと考えた。一生の眠りを「死」というのではないか。
 彼の火葬が行われた。
 彼が焼かれていく匂いはとても香しくいい匂いだった。
「朝ごはんに食べるマヨネーズパンみたいな匂いがする」
 いとこの女の子はそう言った。
 私もおいしいパンが焼ける匂いを感じた。

 数日後、いとこから教えてもらった。
「最近ね、家で不思議なことが起こるんだよ」
「どんなこと?」
「あのね、幽霊みたいなのがいるんだ」
 私は祖父か彼が会いに来ているのではないかと思った。
「それもしかしたら、じいじか翼が会いに来ているんじゃない?」
「そうだったら嬉しいなー」
 もし彼が幽霊として私の前に現れてくれたらもう一度一緒に散歩をしたいなぁと思う。
 しかし私は霊感などの感覚には乏しく一度も幽霊に会ったことはない。彼が幽霊として現れたとしても、私は気づかないのかもしれない。それでも再び彼に会うことを願ってしまうのは人間の性なのではないか。

 彼の名前は、「翼」である。
「翼をください」という歌が好きだった祖母が名付けたものだ。
 その名の通り、翼を羽ばたかせ死後の世界で祖父と寄り添いながら楽しく暮らしていることを私は勝手に想像している。

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