朧月夜のひとりごと 「前世は存在するのか?」
今回はちょっと不思議な話をしたいと思います。
普段はご縁のあった資料本や時事を元に、学んだことの備忘録を兼ねた記事を掲載しており、できるだけ主観で物事を語りすぎないよう、自分を客観視しながら物を書くことを心がけています。
今回の話題はタイトルの通り「前世は存在するのか?」です。
私は「前世は存在するのではないか」という立場です。
絶対的肯定も、絶対的否定もしません。
この記事は【VIA MEDIA 飽くなき探求手帳】というマガジンに仲間入りさせています。
「VIA」 とは「道」のこと。
「MEDIA」はメディアヌスから来た言葉で「真ん中」
【VIA MEDIA】とは中道のことで、英国国教会の精神の一つです。
「真理を求めて探求し、歩み続ける旅人である」
という姿勢が私は好きです。
けれども私はクリスチャンではありません。完全な仏教徒でもなく、完全な神道でもなく、無神論者でもありません。どちらかといえば多元主義的な有神論者です。
この世界の宗教は主に「三つの傾向」で分類されます。これはウィリアムス神学館叢書シリーズの第5巻にて知ったことでした。さてそのうちの三つとは以下の通りです。
これらについては【リンドバーグの救済:第2幕】でも詳しく語っています
「3章-5:中道の旅人」「3章ー6:聖者の結婚」をご参照ください。
私の著作では「前世」を扱った作品が多くあります。また「前世」にまつわるエッセイも出版しています。
なぜこんなに「前世」にまつわる創作やエッセイを書き続けているのかについて、少しだけ自分語りをしたいと思います。
◆やたらと見る「同じジャンル」の夢
中学生~大学生にかけて、やたらと「修道女」「修道院」「教会」にまつわる夢を繰り返し見ました。
「なんでこんなにキリスト教の夢ばかりを見るんだろう?」
私はリアリストなので「これは自分の妄想かもしれない」とすぐに否定してしまう思考の癖があります。
ひょっとしたら、ユングのいう「集合的無意識(普遍的無意識)」によるものなのではないか、とか。心理学を学んでいたこともあり、私は前世を肯定できませんでした。
などなど「そう思いたい自分が見せている幻」ではないか?
それなのになぜこの記事を書き起こしているかというと「あまりに具体的過ぎて、妄想と否定できない前世っぽい夢」を何度も見たからです。
◆むすんでひらいての不思議な夢
エッセイ「前世お見舞い申し上げます」でも綴っていますが、ある日見た夢の中で、私は教会の椅子に腰掛けていました。オルガンが高らかに鳴らされたので「賛美歌かな?」と思ったのですが、曲目は「むすんでひらいて」だったので、少し驚きました。
「どうして教会で、童謡を演奏しているのだろう?」
不思議に思って「むすんでひらいて キリスト教」で調べたところ、欧米では専ら「賛美歌」として用いられていることを知りました。
こちらの動画の方のオルガン演奏が、とても好きです。
父方の実家は神道、母方の実家は仏教という、習合的な環境で育った私は、生まれてこの方、一度もキリスト教の礼拝に参加したことはありませんでした。なので「知るはずがない」のに、夢で見てしまったのです。
「私の前世って、クリスチャン?」
私はあらゆる資料本を片っ端から読み当たりました。本当に前世というものが存在するのなら、その証明をしてみたくなったのです。けれども調べている時に、思わぬ壁にぶち当たります。
キリスト教圏では「前世」には否定的な考えの人が多かったのです。
◆クリスチャンは前世を信じない?
前世療法のセラピストが、クリスチャンから批判を受けたという内容の記述を見つけました。
けれども私は「むすんでひらいて」が「賛美歌」であることを知っていました。この具体的過ぎる事象を「前世」以外にどう説明したら良いのでしょうか。
いやいや、確証バイアスが働いているのでは?
人間は「こうだと思いたい」という物事があるとき、それを「肯定してくれる意見や資料」を選択・収集しがちです。資料本を読んでいてふと我に返りました。
「前世を否定」する意見にも目を通すべきだと考え「あまり相性の合わなそうな本」も読むようになったのですが、心のもやもやは晴れません。
そしてある日、またも我に返ったのです。
「前世」にまつわる「私の心理変容」の過程を箇条書きでまとめます。
7番目の思考に至った段階で、虚無感に襲われました。
過去は過去だと切り捨て、今まで通りの日常を過ごしていました。
これだけ何回も教会にまつわる夢を見るというのは尋常ではありませんがそれが「神様からのありがたいお告げかしら~」な~んてことは全く考えませんでした。
前世の私が
「いろいろあったけど、おもしろおかしく愉快な人生だったし、物語にしたら良いのが書けると思うわよ~。どうよ、現世の私?」
と、すすめているのかもしれない。
「前世の記憶らしき、レア情報」をネタにしたら、めっちゃおもしろいものが書けて……一攫千金のチャンスが到来するかもしれない(果てしなく広がる野望)
それに、せっかく資料を読み込んだのだから、学んだことを作品に活かさないのも勿体ない。
「前世っぽいけど、やっぱり私の妄想かもな~」と感じたことも「物語」にすれば「オールオッケーではないか?」と。
◆前世を物語に取り込んだこと
「ポリス・ラ・ポール シリーズ」にも「リンドバーグの救済」にも「教会」の描写があります。
そこに「前世」を入れて良いかどうか初めは少し悩みました。
けれどもこれは「創作」ですから「良いのではないかしら」と柔軟に考えることにしました。
個々人の宗教的信条により「前世を受け入れられない」方もいらっしゃると思います。
その時、ふと「プロテスタント系」は「何を一番尊ぶのか」ということを思い出したのです。
不思議な夢を見て、多くの著書に触れた経験は無意味ではなく、私の内的な成長を大きく促してくれましたし、筆を執るキッカケを与えてくれました。
私は「前世はあるかもしれない」という姿勢で「常に探求しながら、妄想を物語に書き起こす旅人」でいいのではないか、と思います。
そして「前世などないかもしれない」と否定的に思索にふけることもまた、登場人物たちの感情の機微となって物語に昇華されます。すべての感情が物語の種なのです。
たとえ第三者から「前世などといったものは存在しない」と、その人の宗教的信条で「絶対否定」されたとしても、私個人の「探究心」は私だけのものです。
私は「常の探求」を友とし「他の宗教者への寛容」を忘れず、隣人の幸いを希います。
そしてこれからどんな物語を書こうとも「愛、感謝、善意」を尊び、苦しい時には神の慈悲によりすがる、弱くとも前を向く旅人でありたいのです。
そんなことをつらつらと考えた、春の朧月夜でした。
月といえば、私の母がよくステキなことをつぶやきます。
「もしも千年前に〝前世の私〟が生きていたら、今と同じように、お月様を見上げていたと思うのよね~」 って。
ロマンチストな母に、私は良い影響を受けました。
今宵、私のひとりごとに耳を傾けてくださった皆様、ありがとうございます。
それでは、おやすみなさい。
旭山リサ
2024/03/27
この記事の表紙・挿絵は、商用可能なイラストAC様のフリー素材を使用しております。この場を借りてクリエイターの皆様に深い感謝を申し上げます。
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