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「子どもには見えて大人には見えないもの」


かたつむり〜

小さな子どもがマンションの入り口で声をあげた。
傘を畳んでいたわたしはその子が見ているマンションの植え込みを見た。

あ、ほんとだ…

子どもの頃は梅雨の時期にカタツムリをよく見かけた。
幼稚園の裏庭に紫陽花が咲いていて、その場所には立ち入ることはできないのだけれど、窓から壁や紫陽花にくっついているカタツムリをよく眺めていた。

ところが小学生になり、中学、高校になるとカタツムリを見なくなった。
都会の環境の変化でいなくなってしまったのだと思っていた。

2020年春。
コロナ禍で外出もままならなくなりストレスも溜まっていき体調を崩してしまった。
1週間ほど仕事を休みベッドの中で癒しを求めて川のせせらぎや海の波音、森や山の鳥の声の動画サイトを見ながら過ごしていた。
体調が少し良くなり再び仕事に毎日行くのだが、未知のウィルスに怯えて外出している間、常にストレスを抱えていた。

それを癒やしてくれたのは近所の何気ない自然だった。
空を見上げ、雲や太陽、鳥を眺め、その声を聴き、風を感じて草花や樹々の緑の匂いを身体に取り込んでいた。
自宅までのほんの10分程度にある小さな公園や街路樹がわたしをフラットな気持ちに戻してくれた。

そんな雨のある日だった。

かたつむり〜

小さな子どもがマンションの入り口で声をあげた。
傘を畳んでいたわたしはその子が見ているマンションの植え込みと壁を見た。

あ、ほんとだ…

植え込みのあちこちに小さなカタツムリがいた。
子どもが母親に連れられ帰っていってもしばらくわたしはカタツムリを探していた。

わぁ…ここにもこっちにもいる…

カタツムリはいなくなったんじゃなくて見えなくなっていただけだった。
わたしはちいさな子どもに、気付かせてくれてありがとうと思った。

身近な自然に興味津々だった子ども時代。
色々なことにワクワクしていたのに大人になるにつれて目の前のことばかりになって、ワクワクする気持ちがどんどん減ってしまっていた。
減るどころかなくなってしまっていた。
情報に溢れるネットの時代でいつも目線はスマホばかりになっているけれど、空を眺めたり風景を見ながら歩いて自然の変化を感じてみようと思う。

今年もこの季節、雨が降るとわくわくしながら植え込みのカタツムリを探しています。


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