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両親亡きあと、私を探す-06

ざわざわの正体ー勉強会最終

 私には小さな子供がいる。「両親亡きあと」なので幼稚園が休みの日に預かってくれるような人もいない。なのでこの勉強会の日は夫が私を会場まで送った後、ファミレスに行ったり公園に行ったりして私が終わるのを待ってくれている。夫も私のカウンセリングの件は賛成で、必要だと感じるならやりたいくらい受けたらいいと言ってくれている。しつこいようだが、この勉強会にどんな人が来て、どんなことを話したのかは守秘義務があり、もちろん夫にも話すことはない。3回目にもなると、顔なじみの参加者も多くいるけれど、私たちは私たちの守秘義務を守るために、たとえどこかですれ違うことがあっても、声を掛け合うことはない。そういう守られた場所だからこそ話せることがあるのだ。

私より大変な人は、たくさんいる

 今日のテーマは「レジリエンス」。レジリエンスは「復元力、回復力、弾力」のことである。心がへこんだボールのようになったら、無理に空気を入れて膨らませようなんて思ってはいけない。ゆがんだ形になってしまうことがある。自然に元に戻るには、「安全安心の環境」で養生することが必要。子供が両親の暴力を見た、または暴力を受けることで脳が委縮すると言われているが、また安全で安心な環境にいると、委縮が復元されていくと言われているそうだ。

 機能不全家族というのはコミュニケーションの働きがうまくいっていない。例えば、沈黙。みんながその沈黙の中で耳を澄ませている。物音、機嫌。家族内の忖度の世界。そして裏腹な言葉がまかり通る。大きな怒鳴り声の「怒っていない!」勝手ができない「勝手にしろ!」。反抗しようものなら何かが飛んでくることもある。世間体が大事で実際の家の中のことは外で話すことはできない。とても幸せな家族に見えることも。そして硬直性。「嫁はこうあるべき」「父親はこうあるべき」「男は」「女は」そういうルールにとらわれている。最後に否認。「うちは何の問題もない」「うちはまだいい」「お前より不幸な人はたくさんいる」。この「お前より不幸な人はたくさんいる」は、魂を壊す。不幸や悲しみというのは、比較ができない。あなたの悲しみはあなたの悲しみで誰にも否定されてはいけない。例えばいじめにあったとして、「お母さん、こういうことがあったんだ。こうされて嫌だったんだ」と息子が話したとする。お母さんが「そうだったのね。大変だったのね。嫌だったのね」と言って、そっと抱きしめてくれたら。母の腕の中は子宮と同じ、セーフティゾーン。子供にとって安心安全な場所である。他者から肯定されて、自分が体験を言語化できて、承認されたら、いじめによる傷は軽症だったり傷にならなかったりする。しかし、言葉にできなかったら(いえなかったら)、言ったとしても「そんなことくらいで泣くな」と言われたら、拒絶されてしまったら、これが大きな傷になる。いじめやセクハラでもそうだけど被害者なのに「大変だったのね」と無邪気に言われないことは傷になるのだ。

 では、そんな家庭環境で生きる子供たちはどうなってしまうのか。彼らは共通して自分で自分にルールを課す。「この家で起きていることを話さない」「他人を信じてはいけない。誰かの助けを求めるのは甘え。」「いちいち悲しいとか嬉しいとかそんな感情を持っていたらこの家では生きていけない。そんなことを感じてはいけない。」「変わってはいけない」。だいたいの子が以下の4パターンであることが多いとされている。1親の言うことを聞き、優秀でお母さんの相談役をしてしまういい子。2内面を隠し、いつも笑わせてくれるピエロ。3問題を起こして家族の問題を見えないように非行に走る子。4仮面をかぶって自分を隠し、存在感さえ消している子。この4パターンの子がいる、というかこの4パターンすべてを一人がやる場合もあるそうで、そういう子はとても忙しい。最も病気や障害を抱えやすいのは4番の仮面の子だそうだ。私もずいぶん本を読んだりネットを調べたりしたので、アダルトチャイルドだ!と思われる方がたぶんいるだろうなと思うのだけど、アダルトチャイルドというのは、こういうルールを課して生き延びてきた子供たちのことで、決して欠陥がある人という意味ではないことを言及しておきたい。自分の子供らしさを犠牲にしたかもしれないけど、自分にルールを課すことで子供時代を生き延びてきたサバイバーのことだ。しかし、このルールを大人になるまで続けてしまうので、家庭の外に出たら、このルールが通用せず、生きにくさを感じてしまう。あえて言及するのは、私自身20年くらいずっとそう思ってきたからでもある。

 大人になった彼らは生きにくさとぶつかる。なぜなら「自分を守れない」「自分のケアができず、人のことばかりしてしまう」「自分のことを表現できない」「自分が嫌い」「私らしさがわからない」から。自分には価値があると思えない。自尊心が低い。そうなるとストレスに弱く、自死に向かってしまう。死ぬ前に最後の生き残りをかける。それが「うつ病」「依存」「心身症」心や体に出てくるというものだった。逆に生きやすいというのはどういうことか。それは他人から承認を得て、自尊心を持ち、挑戦し失敗する自由を持つこと。人から認められない。だから自信がない。失敗なんかできない。これが生きにくさである。そもそも赤ちゃんは生まれただけで承認される。だからみな、自尊心100パーセントで生まれてくる。しかし、まず親に削られる。「嫌だった爺さんに似ている」「二重だったら」生きてさえいればそれでよかった存在からどんどん条件を付けられる。親や学校にも。自尊心があれば、失敗する自由を手に入れられる。この承認、自尊心、失敗する自由は3つがセットなのだ。

 さて、どうやって回復するか。承認、自尊心、そして失敗する自由を手に入れることだ。誰も否認しない安全安心な場所で子供の頃のルールを破るのだ。「話し」「信じて」「感じて」そして「変わる」。「あなたの物語」を書き換える。「私より不幸な人はたくさんいる」ではなくて「私の物語はこうだった。辛かった。」そうすることで今も生々しく傷を作り続けるその物語を過去のものにして、「自分は生き残った。私には価値がある。」と思いおこすことができる。

以上が勉強会の内容でした。そして私の物語ですが、休憩時間に夫から電話が来ました。「子供がおもらしした!家の鍵を持っていない!」というのです。私の心はざわざわしました。「今すぐいかなければならない」と思っていたから。「リュックにおしりふきも着替えもある。車でもできる。あなたは自分でできます!」と言って電話を切った。ざわざわする心を抑えて、私は私の物語を語ります。

 「高校三年生の時、父がお酒で突然豹変するようになりました。「家族が入れ替わった」「北朝鮮のスパイだ」と言って家を追い出すのです。今日は大丈夫だろうか、飲んでいるだろうかと毎日二年ぐらい、家の空気に耳を傾ける日がありました。ある夏の日、町内会のお祭りのビールを父が飲んでいて、私は二階でゲームをしていました。姉が飼っていた小型犬を連れてきて、お父さんにいじめられるからかくまっておいてというのです。しばらくすると、玄関が閉まる大きな音がして、これは母と姉が追い出されてしまったと。PHSに母から電話が来て「今すぐ逃げなさい」と。どうやって?ここは二階で犬も抱っこしなきゃいけないし、階段は丸見えだし、屋根から逃げろと?というと「そんな危ないことはやめなさい」父はいもしない人と話していて、あとは誰かに電話をして「偽物だったので追い出してやりましたよ」と言っている。押入れを開ける音がする。お風呂のドアを開ける音がする。これは二階まで来るかもしれない。階段がきしむ音がする。隠れたほうがいいだろうか。私の家で。そう。私の家だ。なんで逃げたり隠れたりしないといけないのか。だんだん腹が立ってきて、そのままいることにした。ドアが開いて父に「お父さん、なに?」というと父は「物音がしたから」と言いました。私は「うん、ゲームしてたから」と答えると父は「お姉ちゃんはな、これぐらいの弾丸を受けて死んだから、お前も気を付けるんだぞ」と言った。私はこういう時否定してはいけないと専門家の人から聞いていたので「うん、わかった」と言いました。そのあと、一階に降りて母や姉の貴重品を確認し、見つからないように母に電話する「うん、寝たら連絡するし、裏口開けておくから」すると小型犬に父が「私は〇〇大佐だ!」と啓礼している。電話をやめてお風呂場で震える犬を抱きしめた。こんなことが2年。その2年後に父は別居中に死にました。私はたぶん、姉と母が親子カプセルだったからすごく自由に生きてこれたし、何も困ったことはなかった。高校三年までは。友達に話そうにも「父に家族が偽物だって言われる」なんてドン引きです。だいたいのことは友達に話せる子供だったのに話せませんでした。」

先生は言いました。「その体験が今のちはるさんに影響していることはありますか?」

つなげたことなどなかった。でも今ならよくわかる。「はい。夫の顔色をうかがいます。機嫌悪くないかなと。ありもしない腹を探ろうとします。私の夫は思ったことをはっきり言う正直な人なのでそういうことはないのに。今電話があったんですが子供がおもらししたと。以前の私なら急用があると席を立ったと思います。でも今はしません。「あなたはできます」と言って電話を切りました。私は夫にやりすぎてしまう。そういう自覚があります。」

 これを話した後もずっと心がざわざわしていて、とてもほかの人の話が頭に入らなかった。私はきっとなぜ来なかったんだと夫に責められる。時間がたつにつれてざわざわが引いていき、私は自分を取り戻すことができた。先生は2周目の私の話に「あなたはセルフケアが全然できていないだけ。毎日歯を磨くときに鏡を見て「よくやってるよ私」って声に出してほめてごらんなさい。これはちゃんと効果のある行為です」とアドバイスしてくれた。今回三回の感想として、その日一日をハッピーに過ごすこと。自分にご褒美をあげること、そして、三つ目、自分を自分でほめることをもう少し大事に生きてみようと思った。

 やっと勉強会が終わり、クリニックの前に夫の車が止まっていた。私はまたざわざわが帰ってくるのを感じていた。きっと責められる。突然空気が重くなる。きっと沈黙したまま家に帰るのだ。あの濁った空気の中で。

 しかし、ドアを開けるとニコニコした子供と夫がいて、夫は私にいかに自分のおもらしという名の冒険がすごかったかを語り始めた。ホッとするのと同時になんだかとっても可笑しくなった。私はいったい何に怯えていたのだろう。だからこの人と結婚したんじゃないか。二人をほめちぎって家に帰った。自分のご褒美にル—ローハンを食べようと思っていたけど、汚れた服を洗って、青空の下にぱぁんと干して、子供はおにぎり、私と夫はカップ麺を食べた。すごくおいしかった。たぶんル—ローハンよりも。
「私、あなたと結婚してよかったなーって思った」と言うと夫は「そんなに悪い選択ではないと思いますよ」と言うので私はそれはもうゲラゲラ笑った。

 そうだね。「よくやってるよ!私!」「よく生き延びてきたよ、私」

  そして「よく向き合う決心をしたよ、私!」

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