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15年のときが流れ、そして

目の前に広がる道はきれいな方が気持ちいい。向かいにいる人は嬉しそうな方が気持ちもほころぶ。

だから、道に落ちているゴミを見れば、いやな気持ちになるし、そこに泣いている人がいれば、悲しい気持ちになる。

そうしたごく自然な機微の延長に、Living in Peaceの活動もある。
逆に、それが活動に関わる人たち一人ひとりの想いに根差していなければ、はた目にどんなに立派であれ、おそらくそれは無為な伽藍洞をもうひとつ作ったに過ぎない。

道にゴミが落ちている社会は、無価値なものが公然と切り捨てられる社会だ。
泣いている人から目を背ける社会は、悲しみや傷つきが公然と放置される社会だ。

そんな社会はいやだと私は思う。いや、誰しも思う。
なぜならこの社会は、この私が、そして私の大切な人たちが息づき、その尊い生を輝かせる唯一の場所だから。

どんなものであれ、一つ一つのいのちが自然な(おのずからそうであるような)輝きをまとって周囲も照らしてくれる社会で、私は生きたい。誰もに生きてほしい。

あまりに素朴な気がしないでもないが、素朴であればあるほど嘘はない。その方が、強い。

10月28日は、2007年に私たちが「すべての人に、チャンスを。」という旗を掲げて出発した日。そこからえっちらおっちら15年のときが流れました。

けれど、私たちは決して豪華客船ではありません。みんなの持ち寄り素材でそのつど作られたお手製感満載の船。人間と同じように、日々代謝を繰り返しながら私たちもまた活力を得ています。

幸いに、多くの、しかも年を重ねるにつれてより多くの、人の関わりによって、やれるようになったことは増えました。
一方、人の成長と一緒で、年を重ねれば、できることが増えれば、迷いがなくなるわけではないことも、身をもって痛感します。(思えば、孔子が提示するベストケースですら十五はせいぜい志学の年でした。)

ただ、迷うからこそ考え、考えるからこそ自らの足で前に進めるものです。
これまでの15年が一様にそうであったように、これからの5年、10年、15年もまた、迷い、考え、そして歩む、という愚直さをわが身に誇れる歩みを、私たちは続けていきます。

「そんな社会はいやだ!いやだいやだいやだ!」

聞き分けの良い「大人」にだけは絶対になるまいと強く、強く念じつつ。

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