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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#23 辻󠄀発彦編

西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」まで、残り1ヶ月あまり。ここでは出場予定のライオンズOBたちの、一味違ったプロフィールを紹介していきます。

辻󠄀 発彦(つじ・はつひこ) 

内野手 右投げ・右打ち 1958年10月24日生まれ
ライオンズ在籍:84~95年(選手)、2017~22年(監督)
通算成績:1562試合 5187打数 1462安打 打率.282
     56本塁打 510打点 242盗塁
背番号:5(84~95年)、85(17~22年)

ベストナインは5回、ゴールデングラブは8回受賞。元号が間もなく令和に変わる19年4月、野村克也が「平成のベストナイン」を決めるテレビ番組の企画で「文句なし。野球の神髄みたいな選手」と、二塁手部門で選出した。球史に残る名内野手だ。

佐賀県生まれで、少年時代は父親に連れられ、平和台球場へ西鉄ライオンズの試合を観に行っていたという。社会人野球の日本通運で7年間プレー。3番を打つ大型サードだったが、都市対抗野球で合流した補強選手がサードしかできなかったため、1度だけセカンドを守ったところ、そのプレーを観たライオンズのスカウトが「山崎裕之の後継者になれる」と、獲得を決めたと言われている。

83年のドラフト会議でライオンズが2位指名するだが、辻󠄀がセカンドを守った都市対抗は、82年7月の日本鋼管福山戦。このドラフトの1年以上前のことなのだ。それだけ早くから辻󠄀をマークしてしたスカウトの慧眼と粘り強さには、畏れ入るばかりだ。

まだ社会人野球も金属バットを使用していた時代。プロ1年目は木製バットへの適応に苦しんで41試合の出場に終わる。このシーズン限りで田淵幸一、山崎裕之が引退。世代交代が始まったチームのなか、翌85年には、行澤久隆、鈴木康友、清家政和、広橋公寿、田辺徳雄らと、セカンドのポジションを競い合う立場に。

そんなある日、廣岡達朗監督からの「お前はインコースに強いから、ベースに近づいて立って。バットを短く持って引っ張れ」とのアドバイスが転機になって、レギュラー争いから抜け出した。

森祇晶監督が就任した86年には、9番セカンドに定着。シーズン全130試合に出場する。チームも近鉄バファローズとのデッドヒートを制してリーグ優勝。高卒新人で31本塁打した清原和博に世間の注目が集まるなか、森監督は「陰のMVPは辻󠄀」と、その攻守に渡る活躍を称賛した。

塁間を抜けそうな当たりをダイビングキャッチ。ショート石毛宏典との息の合った連携による併殺網。敵将の阪急ブレーブス上田利治監督に「シーズンを通して、辻󠄀の守りで何点損しているか分からん。勝ちゲームが負けになっていることも、たびたびある」と言わしめた。

87年、読売ジャイアンツとの日本シリーズ第6戦、センター前ヒットで一塁からホームインした神走塁と、試合終了の直前に涙がこぼれ出していたファーストの清原へ歩み寄り「まだ試合終わっていないぞ。ちゃんとボール見えるか?」と声を掛けた場面は、ライオンズファンの心に深く刻まれている。

90年からは、9番から1番に打順が上がり、2番平野謙、AKD砲のクリーンナップ、6番石毛と続く上位打線は、ほぼ不動のラインナップ。チームリーダーの石毛とふたりで率先して、味方のミスを選手同士で指摘し合い、少々のケガでは試合を休めない雰囲気をつくりあげた。

当時の坂井保之球団代表は「ウチにあって、ヨソにないもの。それは石毛と辻󠄀が核となって、ベンチをひとつにまとめること。それがライオンズの強さ」だと明言している。

インコースの厳しい球をあざやかに右打ちしたかと思えば、腰をクルっと回転させての引っ張りもある。93年には、35歳にして初の首位打者に輝いている。セーフティバントやエンドランといった小技も得意。それでいて不思議と送りバントは不得意だった。

チームのパ・リーグ連覇が途切れた95年のシーズン終了後、翌シーズンからの2軍の守備走塁コーチの就任を打診されるが、現役にこだわり自由契約に。移籍先のヤクルトスワローズで、自身のキャリア最高となる打率.333をマークしてみせた。

スワローズで4年間プレーして現役を引退。その後はセ・リーグ3球団でコーチや2軍監督を務めたほか、第1回WBC侍ジャパンの内野守備・走塁コーチも担当。2次リーグのアメリカ戦で、西岡剛のタッチアップが早かったとして得点が認められなかった“疑惑の判定”のとき、三塁コーチスボックスに立っていた。そのため「(三塁塁審だった)デービッドソンの名前は、きっと死ぬまで忘れない」と話している。

17年にライオンズの監督に就任すると、前年まで3年連続Bクラスに低迷していたチームを、2位へと引き上げる。6年間の監督生活で5度のAクラス入り、2度のリーグ優勝を成し遂げた。

辻󠄀発彦 年度別成績

主なタイトルなど
 首位打者(93年)
 最高出塁率(93年)
 ベストナイン5回(86、89、91~93年)
 ゴールデングラブ賞8回(86、88~94年)
 オールスター出場 9回(86、88~94、96年)

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