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【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#3 大田卓司編

3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」。チケット即完売となったファン待望の一戦まで、2ヶ月を切りました。

このページでは、出場が予定されているライオンズOBたちの紹介をしていきます。

もしかしたら、今後オフィシャルのプログラムなどが販売・配布されるかもしれませんので、ここではなるべく一味違った現役時代の功績や、玄人好みする記録などを掲載していこうと考えております。

大田卓司(おおた・たくじ) 

外野手 右投げ・右打ち 1951年3月1日生まれ
ライオンズ在籍:1969~86年
通算成績:1314試合出場 3459打数 923安打 打率.267 171本塁打 564打点

背番号:44(1969~71年)、25(72~86年)

大分の津久見高校からドラフト9位で、西鉄ライオンズに入団。同じ年のドラフト1位だった東尾修とは、同期で同学年となる。

今年、中村剛也と栗山巧のふたりが同期入団で同い年、同じチームでプレーする選手として、NPB史上最長記録を更新する23年目のシーズンを迎えるが、この大田・東尾のコンビも、大田が86年に現役引退をするまでの18年間、同じチームでプレーした同期入団の同学年という“長いつき合い”の間柄になる。

同期入団&同学年で同一球団に長く在籍したコンビ

バットを握る両腕のグリップを耳元近くに掲げた打撃フォームは‘上段の構え’といった趣きで、いかにも野武士軍団の末裔らしかった。入団2年目には早くもウエスタンリーグの打点王に輝くのだが、1軍で頭角を現したのは8年目の76年。この年初めてシーズン規定打席に到達して、指名打者部門のベストナインに輝いている。

ただ、ケガとの戦いが多く、球団が埼玉に移転してからは、田淵幸一が指名打者に入るため、レフトや代打での出場が増えていった。代打での起用回数通算473、代打での通算108安打、102打点は、すべてライオンズの球団記録だ。

ライオンズ  通算代打起用回数(左)・代打安打(中)・代打打点(右)

この卓越した勝負強さから、当時の人気時代劇になぞらえた「必殺仕事人」のニックネームが定着。大田が打席に入ると「♪パララー、パ、パ、パ、パ、パ、パ、パ、パララー」と「必殺仕事人」のイントロが、応援団のトランペットで奏でられた。

その仕事人ぶりが如何なく発揮されたのが、ポストシーズンの短期決戦だ。まずは1982年日本ハムファイターズとのプレーオフ第1戦、0対0で迎えた8回裏にライオンズが、片平晋作のプッシュバントなどで1死満塁のチャンスをつくる。と、代打で登場した大田が相手守護神・江夏豊の足元を抜いて、均衡を破る2点タイムリー。

続く第2戦も終盤まで1点を争う展開のなか、1対2とリードされたライオンズは、8回裏2死満塁で、再び代打・大田がやはり江夏を相手に、今度は逆転の2点タイムリー。連日の決勝打で、このプレーオフ文句なしのMVPに選ばれている。さらに中日ドラゴンズとの日本シリーズでも、24打数10安打、2本塁打、6打点と打ちまくり、優秀選手賞に。

翌83年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでも、第1戦の1回裏に先制打。第4戦では8回表に追加点となるタイムリー、第6戦では一時勝ち越しとなるソロ、第7戦では送りバントを2度失敗したあとで、チャンスを広げる執念の内野安打と、ライオンズが勝利した4試合すべてで印象に残る大活躍。最高殊勲選手となっている。

振り返れば、82年の日本シリーズMVPが東尾修で、83年日本シリーズでは大田卓司がMVP。福岡で相次ぐ球団の身売りを経験、暗黒期の苦労を知るふたりが、生まれ変わったライオンズで、それぞれ報われる形となった。

引退後は、田淵幸一監督のもとで福岡ダイエーホークスの打撃コーチを務めたほか、台湾や韓国球界でも指導にあたった。一時は体調不良が伝えられていただけに、今回久々のユニフォーム姿が観られるのは、うれしい限りだ。

今回の「LEGEND GAME 2024」で、おそらく現役時代には1度もなかったであろう、ピッチャー東尾対バッター大田の、同期入団、同学年対決が実現したならば、長年ライオンズを見守り続けたファンにとって、感涙モノのひと時となるだろう。

大田 卓司  年度別成績

・主なタイトルなど
    パ・リーグ前期最優秀選手(82年)
    パ・リーグプレーオフ最高殊勲選手(82年)
    日本シリーズ最高殊勲選手(83年)
    ベストナイン(76年)
 オールスター出場 3回(76、82、83年)


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