羽化の穴

公園へ行った。朝の暑くなってきた頃に。そこいらじゅうに大人の親指程度の 穴、穴。蝉のでてきた穴だ。夜にたくさんの秘密が生まれていることを思うと、羽化を感じるために夜の木々の間に耳を歩かせている自分がいる。

木の多い大きな池のある公園は、長い梅雨を終えて待っていたとばかりの蝉の大合唱の真っ只中だ、密に何種も鳴き始めている気がする。私には三種類くらいしかわからないんだけれど、ミンミンゼミ ツクツクボウシ クマゼミ アブラゼミ シオカラトンボも飛んでいた。今時期にこんなにシオカラトンボを見ることがあっただろうかと記憶を探ってしまう。あの色はとても好きだ。ブルーグレーの遠い海の色をしている。もう少しホバリングしていてほしいといつも思うけれど、一瞬をかすめるから光のように見えるのかもしれない。すべての虫は発光しているような光を感じる。それは何か神秘的なエネルギーの塊のように見える。栗色のコガネムシも転がっていた。もう動かなくなっていたけれど、足下に転がるその体はまだとても新しく瑠璃の深い青の目がとても可愛らしいし体はビロードのようで宝物のように思える。そうやって下を見て歩いていると蝉が役目を果たせないまま平たくなっていたり、これから今夜も出てくるであろう羽化する者たちを、一斉に取り巻いてこの空間は成り立っている。

うすきみどり色の小さな蝉ニイニイゼミの抜け殻は土が付いているので、そういうチョコレート粒のようだ。おそらく、見上げた木についているその大きさの抜け殻はアブラゼミか木に階段のように我が先端にというほど高いところまで羽化のために登って行った後がある。飛び飛びの小さな階段のように行儀良くくっついていた。距離を守るように点々と。天に昇っていくように、木の一番上の蝉は無事に羽化できたなら、それは本当に白く光って精霊か天使みたいだろう。

こんなにもセミや昆虫好きのように話を走らせているが私は虫が大の苦手で恐怖症と言っても良いくらいだった。それを変えたのはいったいいつだっただろう。この異質すぎる命をいつから受け入れられるようになったのか、それは思い当たるところ、動物園ならぬ昆虫園なるものにいったことが大きな分岐点だった。熊田千佳墓さんの展示に行った際も、全くこわく思わなかった。理科の教科書に載っていた虫の写真さえビックリマンシールを貼って見ないようにしていたのに不思議だった。温かさを感じた、ただそれだけのシンプルな感覚だった。それは、あるいは人の心かもしれない。

そうやって、昆虫の森にておぞましい量の昆虫たちが私を迎えるとになるのだけれど、一番印象的なのはゴキブリゾーンと蝶の楽園温室だ。ゴキブリは結構見ていて大きい。グレーのものもいたし、動きが遅いのもいた気がする。別に何も悪くないのに檻に入れられていた。とても大きいものもいた。蝶は別に温室にいた、楽園ゾーン的なるものに放し飼いされていて本当に楽園のように思えた。蝶の腹はひだがあって膨らんで子供の頭ほどの大きい蝶もいた。しかし全くこわくなかった、怖いと思うならその優雅にふわふわと飛ぶ姿が無防備に見えることだ。あるいは一緒に出かけてくれた先輩がとても透明な人だからか私を解かしてくれたのかもしれない。人は透明なところがあって、器官のようにそれを感じることがたまにある。それはとても素敵に水の玉のように見える。わらび餅のような、それでいて目に見えない器官の存在を感じる。そんな人がたくさんいるんだ。私は恵まれておりそれを見せてくれる人が周囲にたくさんいて私もわらび餅を持っていたいなと思う。


蝉の距離は蝉の距離で、トンボもトンボの距離で生きている。この夏の虫たちは羽を擦り合わせて腹を震わせて命の仕事をするためにお互い、この年に生まれてきた。あんな小さな殻に自分の体を乗せて土の中を這い出してくるのだ。何年もかけてあるいは10年以上土の中にいるというのだからきっと何年も前の私たちのうぶ声や告白や政治家や社会のけたたましい騒音を深い土の中で反響として全部知っているんだと思った。そこから、凝縮された純粋なエネルギーを私たちは聴く。こんなにも弱くて死ぬことと生まれることが近い距離の中を、彼らは実に冷静に熱を帯びて生まれて消えていく。こんなに無言のメッセンジャーを知らない。口は蜜や栄養を噛み砕くためにあって、何も言わない。あるいは栄養を取れない種類の虫もいる。私たちと別のところで生きている。蝉たちは今日も音を奏でている。蝉の腹の中は空洞が多くを占めていてるらしく、楽器のようらしい。

私たちはずっと、まだまだ深い穴にいるのかもしれない。生誕は終わりに近くなり、日々、夢を見ている。けれどその世界の飛行にどんなにスリルを感じるだろうか。命がひっくり返って、口の中は血と塩の味がしている。エネルギーをためて産声をあげる。叫んで悲痛を表現する。それらを溜めて力にしするとき。爆発のように突然吹き出し、スコールのように降りそんな次元の中に命の穴の者たちは天に遊ばれているように夏を進んでいるのだと、夏の朦朧とする暑さの中、眠気とともに自分を俯瞰しながら飛行している。それはまだ、穴の中にいる自分が見ている夢のようだとも思う。夏には特別に感じる時間がある。その時間を永遠にしたいと、得体の知れないわがままさを毎年感じている。

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