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この時代に宗教なんていらない?

宗教なんていらない?

いや、この時代に宗教なんて関係ないよ


って思っている人は多いんじゃないのかな?


うちも、元々、無宗教で生きるって思っていた派の人間です。

だってさ、

宗教を信じたところで、日常生活には支障ないじゃん?

他には、、、

宗教ってさ、色々あるし、なんかしきたりとか

決まり事とかあって大変そうじゃない?


例えば、キリスト教で言えば、

毎週日曜日教会に行かなきゃいけないんでしょ?


だから、なんか、きちきちしてそうで、大変そう。

ってことを思ってるんじゃないのかな。


このnoteでは、宗教、特に、キリスト教はこんなんです!っていう説明より、

今、みんなが持っている宗教に対してのイメージが


買ったばっかりのカチコチのスポンジだとしたら


うちはこのnoteを通して、


そのスポンジに水を数滴でも与えて、少し柔らかいスポンジになって欲しいな


って思うんだよね。


もし、ちゃんと宗教の事を学びたい!って考えている人は、


他のブロガーさんだったり、Youtubeでもたくさん動画が上がってるから

そちらでチェックしてみてね!

⚠︎これから話すことは、

キリスト教メインの話プラスうちの主観も関わってくるから、

他の宗教になると少し違ってくるかもしれないってことは、覚えていてね!

実際のキリスト教はどんな感じなの?

うちは有難いことに、

たくさん周りに教えてくれる友達に恵まれて


宗教、キリスト教に対して考え方が少しずつ変わっていたんだよね。

正直言って、

うちもクリスチャンの人達に尋ねるまでは、


朝が弱くて超インドア派のうちからしたら、


教会へ行く事に関して、


貴重な休みの日にしかも、早起きしてまでいかなきゃいけない所なのか?


って思ってて、


毎週なんて到底行けません!


だから、クリスチャンになりたいなーって思ってても、


なれないんだって決めつけてたんだよね。

でも、教会に行くことが全てではないんだよ。

もちろん、“教会に行くこと”はとっても、大切。

でもね、“教会に行くこと”が、


"need, have to"って言うより、


"want to, willing to"


ってことなんだよ。


いやいや、日本語で説明してくれ!って思っている人もいると思うから、

説明するけど、上手くは説明できないかもしれないことは、理解してね!笑

教会に行く意味

クリスチャンになったから、神様を信じたいから、


教会に行かなくちゃ!じゃなくて、


もっと、神様のことが知りたい、だから、教会に行こう!


ってことなんだよ。


実を言うと、


うちもクリスチャンになってすぐ、教会に行けてない日々が一年以上あったんだよね。


え、


救われたばっかり、クリスチャンになったばっかりだったら、


教会に行きたくて仕方ないもんじゃないの?


って思うよね。


でも、うちは違った。


心は、行きたい、神様を求めたいって願ってても、


身体が言うことを聞かない事だってある。


だから、

余計、教会に行かなくちゃ!っていう義務感が湧き出てくるのに、


現実は行けてない自分がそこには居たんだよね。


この時、自分が、


”神様を信じてます。クリスチャンです。”


って胸を張って言えなかった。

こんな自分が恥ずかしくて、


少しずつ神様から、また、逃げ出そうとしてたんだと思う。


だんだん、クリスチャンソングも聴くのが辛くなっていって、


また、救われる前の、クリスチャンになる前の


心の中がボッカリ空いたように感じることがあったり、


自分は、ひとりなんだって感じることもあった。


どんなけ泣いても、何も変わらなかった。


でも、神様は、うちのことを見離さなかった。

”あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹を持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を探しに行かないだろうか。”(マタイによる福音書 18:12)新共同訳

うちは、まさしく、この一匹だったんだよ。


だから、また、だんだんと神様のもとに帰りたいって思えてきて、


今では、もっと、神様のことを知りたいって思ってる。

教会にはもう一つの意味があるんだ。

聖書にも書いてあるんだけど、

”二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。』(マタイによる福音書 18:20)新共同訳

教会っていう場所に行くのではなくて、

神様を信じる人々と集まること、これが本当の意味での教会。

ここでの交わり、集まりを通して

悩みだったり、気付きだったり、助け合ったりするんだよね。

これがクリスチャンが教会に通う最大の理由だとうちは思う。

神様との関係

キリスト教は、少し他の宗教とは違うなって感じる部分がうちにはあって、


うちらは、神様を信じているんだけど、その中で、


神様の関係ってことがすごく重視されるんだよね。

例えば、聖書の中で、

神様が、羊使いで、うちらの事を、子羊だ

っていってる箇所があったりするし、

もっと、簡単に例えられると、


父と子の関係


としても、表されるんだよね。


いや、そんな事言われても、分からんよ!


って思ってると、思うんだけど、


この先を読んでもらって少しでも分かってもらえたらいいなぁって思う。

うちは、すごく神様の事を、お父さん、父として見てるんだよね。


どういうことかっていうと、

“絶えず祈りなさい。”(テサロニケの信徒への手紙一 5:17)新共同訳


聖書にもあるように、”絶えず祈りなさい”って書いてあるんだけど、


うちはこの事を、


“神様のことを絶えず(祈り)求めなさい”


ともとれると思うんだよね。

だから、うちは、神様の事を絶えず求め続けたいって思ってるのね。


でも、まだまだ、うちは、未熟だから、

お祈りする事を忘れちゃう時だってある。だから、


あー、自分はダメなクリスチャンなんだ。


思ってた時期もあったりしたんだけど、

そうじゃなくて、

どう上手く生活の中に
取り入れていくことができるようになるのか


を神様に聞きながら、探していくプロセスが大切なんだ


と思うんだよね。


そこで、うちがやってることは、


お祈りをする時はちゃんとするけど、


たださ、誰かに話を聞いて欲しいって時あるじゃん。


でも、だれに話していいか分からない話もあるじゃん?


そういう時は、本当に、


パパと話すみたいに、友達と話すみたいに、


気を抜いて、神様に話しかける

ってことなんだよね。


だから、うちは、よく“うちは、こう思うんだけど、どう思う?”


って聞いたりしてるよ。笑


外でそれをやると、周りの人から見たら、


なんだ、あいつ、さっきから、ブツブツ言ってて怖っ!


って、思われるかもしれないけど、


家で一人でいる時でも、

お風呂入ってる時でも、

服着替えてる時でも、

車や自転車でどっかに移動してる時でも、

どんな時でも、話しかけていいんだよ。

だって、一番大切なのは、


神様とお話することだから。


どことか、いつとかは大切なんじゃないんだよね。


あなたが話したいと思った、

そのタイミングこそが一番良いタイミングなんだよ!

一番大切なこと

キリスト教で大切な事は、


信じたい!神様を知りたい!


っていう心なんだよね。


心って、人それぞれで、すぐそう思える人もいれば、長い月日がかかる人もいる。


どっちが良くて、どっちがダメだとかないんだよ。


うちも、よく考えたら、


約11年くらいかけて、ゆっくりと変わっていったから、


みんなも焦らなくていいし、ゆっくり進めばいいんだと思う。


きっと、あなたの為に作られた道があるから、

ただその道を神様と一緒に歩いて行けばいいんだよ。

これを読んで少しでも、宗教、キリスト教についての考えが変わるといいなぁ。


最後まで、読んでくれてあなた、ありがとう。

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