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今度は反対側へ海を渡る

1月の半ば、4年を超える日本滞在を終えてドイツに戻った息子が、先日、また出かけていった。
3月の半ばに出発するはずが、健康保険の手続きなど諸般の事情で5月までずれ込んでしまったのだ。

行き先は中南米。約半年の予定で行ってくるつもりらしい。仕事でも勉強でもなく、純粋に旅だ。


ことの経緯というか、数奇な流れをざっと説明してみる。

話は高校卒業まで遡る。
このあたりではギムナジウム(高校)を卒業すると、すぐに大学に進学せずにいわゆるワーホリやオペアなどの制度を使ってドイツ国外に出て何かしらの経験を積む若者が多い。これをギャップイヤーという。
知るところだとコスタリカやイタリア、香港、ニュージーランドなどに散っていった。

ところが、息子はその時点で18歳になっておらず、いろいろな制約があった。それに加えてその頃は「早く社会に出たい」という目標もあって、すぐに大学に進学した。
学部を終え、大学院に進み、修士を取ったところで何か思うところがあったのだろうか、遅ればせながらかねてからの夢「中南米ひとり旅」を計画した。

とはいえ、ずっと学生でお金もない。
援助もできなくはなかったが、それでは意味がないのだろう。
実はその少し前、次女は高校卒業後に日本へ行き、2ヶ月足らずで40万円以上を荒稼ぎし(住み込みのリゾートバイトというやつ)、その後ニュージーランドと南米に行ってきた。
それなら、と、息子もまず日本へ向かったというわけだ。
その時点で本人を含め誰が4年もの滞在になると思おうか(いや思わない)。


職種はやはり観光業。とあるホテルに採用され、働きはじめた。
それが2019年11月。そう、あのパンデミックが起こる直前である。

古い建物を改築し、随所に古来からの意匠が施されているものの、旅館ではなくホテルの仕様となっている。(一昨年の帰国中、最後の2泊をそこで過ごさせてもらったが、すてきなところだった)

そこそこいくつかの言語が使えるということで、外国人客への対応を見越した採用だったのだろうが、ひと通りの仕事の流れを覚えたころには外国人はおろか観光客の姿は見られなくなってしまった。ただ、ぽつりぽつりとお客様はいたらしく、ホテルは営業を続けた。

このあたりで、すかさずプランを変更しドイツに戻るという選択肢もあったかもしれないが、息子はそこに残った。どうせ中南米には行けないのだし、と考えたのかもしれない。ホテルも息子を解雇することはなかった。
世の中の流れがストップしている間、それまでは統合されていなかった顧客管理の簡単なソフトを作ったりと、裏方の仕事も手伝えたらしい。

そんなこんなで先の見えない時期をともに過ごし、それなりの信頼をおいてもらえるようになったということなのか、パンデミックが落ち着き、社会がまた息を吹き返しつつあったころ、息子はアルバイトから正社員へ。
そして外国人観光客が戻るようになり、スタッフも増えてくると、昨年にはセクションのチーフになった。(務まるのだろうかといささか心配した)

こうして日々を過ごす中で、伝統行事やしきたり、そしてまた仲間やお客様とのやり取りを経ていろいろなことを学ばせていただいたと思う。それもまた、得難い経験だったに違いない。


最近、訪日外国人の数が過去最高を記録したというニュースがあった。
これからが本番といったところでの退職はどうなんだろうとも思うが、もともとこの業界に長く身を置く予定はないことは当初から伝えていたらしく、「中南米に行く」という目的を尊重してくださり、温かく送り出していただいたようだ。



というわけで、今はメキシコにいる。

まだ写真など送ってきており、とりあえずフォローできている



もういい大人、とはいえ、だからこそ親としてはひとこと言いたいところではある。というか言った。

それでも…
せっかくの機会だ。この時間に、その場所に、存分に浸ってくればいい、とも思っている。あとは知らん。

まさか、また戻りが4年後ということはあるまい。
寅さんだって年に一度ぐらいは帰っていたんじゃないかな。頼むよー。


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