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case:Level 2 "廃ホテル"

じゃり、と革靴が細かな砂に覆われたアスファルトを踏む。
黒スーツを身にまとう二人の前に現れたのは、廃墟となったホテル。『近江来鳳館』だ。

「第二級事象……なんで私達二人だけなんですか」

「しょうがないだろ。今は夏だ。ただでさえ境界侵度が上がるのに、今年は本当に洒落にならない。人手不足なんだよ」

双葉ハオリは不満だった。第二級事象と言えば一個小隊レベルで対処すべき案件だ。
いくら上司である真神イヅナが優秀とはいえ、二人でこのホテルすべてに対応するのは無謀に思えた。

彼らが対処するのは心霊現象。かつてそう呼ばれていたもの。
人間の脳がその活動に伴い、意識場と呼ばれるエネルギーを体外に放出していることが発見されて、もう70年。主にそれは意識場同士を同調させて相手の心に入る『共感』と呼ばれる現象を応用し、精神医療に活用されている。

それは表の世界の話。
ほとんど知られていないが、意識場はその人間が死んでも空間に残留する。それが残留意識場。かつて幽霊と呼ばれていたもの。残留意識場については研究が進んでいないが、物理的・精神的な干渉力を持ち、ときに生者へ牙を剥く。そういう事象に対応するのが、二人の所属する厚生労働省特異事象対策局だった。

二人はホテルの中に侵入する。
夏の夜の肝試しにしては、あまりに物々しい。

「ここ寒いですね……残留意識場がわだかまってるの、わかりますよ」

「ああ、双葉は感度高かったもんな。どうだ。指定事象の気配はわかるか?」

「人のことセンサーにしないでくださいよ。探知システムならあるでしょうが」

ふっと二人の前を黒い影が横切る。だが二人は無視した。
それは触れてはいけないものだとか、本能的な恐怖を感じたからではない。
単に目標物ではなかったからだ。

心霊スポットとは、残留意識場の集合が作り出す巨大な領域であり、ある種の異界。
そしてその中には必ず『核』となっているモノがいる。
今回第二級事象に指定されているのは、その核となっている残留意識場だった。

「どうしたもんか。探知術式を使うか、一気に発破して引きずり出すか」

「慎重にいきましょうよ……ここの逸話は?」

逆手に持った軍用懐中電灯でお互いを照らしながら話をする。
イヅナは官給品の専用スマートフォンを取り出して、資料を読み上げた。

「1987年開業。その翌年に1205室で殺人。同じ年の冬に屋上から投身。それからは廃業する1994年まで毎年春と冬に死者が出てるな」

よくそんな状態で営業を続けたもんだとハオリは思った。

「最初の殺人が呼び水になっているとしたら、もう40年近く前ですよね。事象規模から考えても、流石に古すぎませんか?」

「確かにな。意識場の減衰から考えても、これが核になっているようには思えない」

二人は頭を抱えた。
ふとイヅナの方に爪の剥がれた手がにゅるっと現れた。が、それは薄緑の光に弾かれ、粒子になって霧散してしまった。
ハオリも来にする素振りを見せない。二人は対残留意識場用の特殊な訓練を積んでおり、自身の意識場の出力を自在にコントロールできる。
それは今のように霊的なものに対するバリアにもなるし、攻撃手段にもなる。

「あの、ここの土地っていう線は」

「まあそうなるわな」

スマートフォンを操作し、1987年以前の地図を表示する。

「あれ、ホテルがありますね」

「だな」

『近江来鳳館』。同じ名前のホテルがある。どういうことかイヅナが周辺資料を調べた。

「なるほどな。ここはもともと小さなホテルだったのを、増改築を繰り返して今の大きさになったんだ」

「っていうことは、この座標に核が?」

「正直わからんが、調べてみる価値はあるだろうな」

今二人がいるのは一階。そこから一旦出て、ヤブの中を進みながらホテルの周りを半周する。
すると最初にいた場所の真裏、ホテルの裏側に急な段差になった場所があった。
建物は下にも続いているようだ。目を見合わせて飛び降りる。
コンクリートの中に突然木造の建物をはめ込んだように不自然な造り。

「これが最初の『近江来鳳館』ってことか」

「なんかそのまんまの形で残ってるっぽいんですけど……」

「それは行けばわかる」

イヅナはドアを調べていたが施錠されていたらしく、諦めたように簡単な九字切りをすると、ドアを蹴破った。
木造の長い廊下が見える。先は暗くて見通せない。まるで得体のしれない何かが口を開けているようだ。
思わずハオリは身震いした。確実にこの先にはこれまでと違う何かがある。意識場感度と直感がそう伝えていた。

「気をつけろよ。俺でもわかる」

懐中電灯で並ぶ部屋を照らしながら、イヅナが先行する。

なにか、おかしい。
ハオリは懐中電灯であたりを照らしていて、すぐにそれに気づいた。

『佐藤』『中原』『田辺』『鈴木』

本来部屋番号があるべき場所に、人の名前が並んでいるのだ。
その意図が全くわからない。人外に対する恐れではなく、人間に対する恐怖を感じた。

「ビンゴだ。残留意識場の強度がカテゴリー4を超えてる」

懐中電灯とスマホを構えたイヅナが言う。
カテゴリー4。レベル2イベント、すなわち第二級事象。二人の目標物だ。

突き当り部屋には『』と名前が書いてあった。あった?
わからない。それを二人は認識できない。もう始まっている。

イヅナがそれをいち早く感知し、祝詞の奏上を始める。
祝詞とは多くの人々の信仰心を収束させる触媒。意識場理論で言えば、集合的無意識からエネルギーを汲み上げるものだ。
周囲に薄い緑の光の粒子が飛び交い始める。二人の意識場が励起し始めた。

イズナはスマホをポケットにしまうと、ドアを開けた。
途端に、周囲の空間にあった『黒』がぞぞぞっと部屋の中に集まっていく。

暗かったのは室内だったからだけではない。そこに霊的存在が充満していたからだった。

中は四畳半くらいの畳敷きの部屋。壁に沿うように、布団が三つ折りにされている。

イズナの祝詞のお陰で二人の意識場が活性化され、心理結界が強化されているが、それでもハオリは頭痛を感じている。

部屋の真ん中にそれはあった。

シミ。

赤黒いシミ。

平面であるはずなのに、うごめいている。

それが何なのかはわからない。わかる必要などない。
あれは死したものの意識が形象化、つまり物質化したもの。
であれば、自分たちのやるべきことは決まっている。

イヅナとハオリは慎重に注意を払いながら、シミを挟む形で向かい合った。
懐中電灯は床に置く。
その明かりの中でうなずき合うと、シミに向かって互いに両手をかざした。

イヅナが再び祝詞を唱える。人類の意識場の集合体たる集合的無意識から、ここにエネルギーを呼び込むために。
ハオリはいわば射手だ。イヅナが汲み上げたエネルギーを、眼の前の残留意識場に向かって打ち込む。

励起した意識場は霊的存在を刺激し始めたのか、うごめくシミの動きが激しくなった。
ちょうど大人一人が横になってまるまるくらいの大きさのシミから、じわ、となにかが持ち上がった。

目。

天井を見上げる大きな眼球が、床から生えている。
その周囲から涙のように、どろりと赤黒い液体が溢れて広がる。

すかさずハオリはそこに指を向ける。
すると意識場で形成された光の杭が打ち込まれ、液体がそれ以上流れ出るのを食い止める。

「あ、ああ、あ、あ、あ、あああああ、あ、あは、」

虹彩の部分が裂けて口になり、声を発している。

「申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません申し訳ありません」

ハオリは口にも杭を打ち込む。
ぶちゅっと嫌な音を立てて、口は潰れて無くなった。

それとほとんど同時に、部屋の床全体に薄緑の光が広がる。準備が整ったのだ。
ハオリが両手を掲げると、目の直上に無数に光の杭が生まれた。先程よりもさらに大きい。

両手を振り下ろす。
杭たちは一斉に目を串刺しにした。
うぞうぞとしばらくのたうった跡、目は光の粒子になって杭とともに霧散した。

あとに残ったのはシミだけ。

「残留意識場の反応消失。おつかれさん」

「お疲れ様です。二人でなんとかなってよかったです」


二人は車に戻ると、懐中電灯を後部座席に放り込んだ。
運転席にイヅナ、助手席にハオリが乗る。

「結局何だったんです?あの部屋は」

「名前が書いてあったやつか?」

「はい。普通に気味悪くないですか?」

「まあな。気持ちわりいな」

ホテルのあった廃道を抜け、国道に戻ってきた。

「謂れまで調べんのは俺らの仕事じゃないからな。そこは資料課がやってくれるだろう」

「お役所仕事ですね」

「あのな、それを公務員が言っちゃおしまいだよ」

「……謝ってましたね、あの目」

「おい、それはだめだぞ双葉」

「でも」

「あっち側に深入りするのはだめだ。この仕事の絶対のルールだ。俺達は生きてる人間で、連中は残留意識場。それをわきまえろ」

「……はい」

車はそのまま高速道路に乗った。
あと二時間もすれば、庁舎に戻れるだろう。

帰ったら報告書を作らなければいけない。

そして明日からは夏の境界侵度の問題に取り組まなければならなくなる。
この世界が異界化してしまうことだけは、何としてでも避けなければ。

とにかく今日は脳を使いすぎた。
休めるかはわからないけど、ゆっくり休もう。

ハオリのまぶたは少しずつ重くなっていった。

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