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舞台『モンスター・コールズ』原作を読んでから臨む2回目観劇感想

 舞台『モンスター・コールズ』二度目の観劇のため再度パルコ劇場へ行って参りました。傾斜がしっかりついていてどこからでも見やすい! 椅子がふかふかで疲れにくい! トイレがたくさんある! 都心!! ということですっかりパルコ劇場のことが大好きになりました。エレベーターは来ません。

 初見の感想はこちら。今見返すと別人の意見のようで、それもまた観劇体験の面白いところですね。『モンスター・コールズ』はこういう物語! と論ずること自体が的外れのような気もするし、自分はこう思ったと語ってはじめて物語が完結するような気もする。不思議な作品です。

原作を事前に読んだ方がいいか問題

 初見感想の記事でも触れた ”予習の是非” についてですが、今回ばかりは原作小説を見てから観劇した方がいいと感じました。特に2024年2月のセクシーゾーンさんのオタクには読んでから観ることをおススメしたい。理由は主に以下の4つ。原作小説は補助輪である理論です。
(原作はもちろん原作なんですけど! 舞台としてのモンコルは別作品という認識をしているので、日本舞台版モンコルを理解するにあたっての補助輪という意味です!!)

以下ネタバレを含みます。

1. 学校関係者の解像度が全然違う

 特にいじめっ子のボスであるカリスマ優等生ハリーと、現在仲違いをしてしまっている幼なじみの女の子リリー。この二人が元々コナーとどういう関係を築いていたのか、コナーがいじめられるようになるまでの流れが正直舞台からだとちょっと読み取りづらい気がします。舞台は『学校』よりも『家庭』に焦点を合わせていて、同級生に関する描写は必要最低限になってると思う(逆におばあちゃんとかパパについては補足的なやりとりが増えてるので、舞台の方がより人間味がある感じがする)。
 モンコルを一言で表現するなら少年のカタルシスなんだけど、物語が終わったあとの彼、12時8分以降の未来を考えるとリリーからの『四行の手紙』はかなりポジティブな要素なので、原作を読んでいるとそのあたりにもっと確かな希望が持てるかな~。
(あとわたしの読解力ではリリーの「100回くらいアンダーライン」を舞台の台詞表現だけで正しく理解することは不可能だったと思う)

2. 『第2の物語』がそこそこ違う

 これは翻訳物だから仕方ない部分というか、どうしようもないことではあるんだけど、『第2の物語』の主要登場人物の属性が結構違う。舞台では「薬種屋と牧師」と表現されているけど、原作小説では「アポセカリーと司祭」になってる。アポセカリーについてちょっとだけ調べましたが、現在主流のファーマシストに対する古い言い方というだけではなく、中世ヨーロッパでの薬剤師の立ち位置とかも関係してきそう。修道院が薬草園を持ってたこととか。
 初回観劇のとき、突然のミュージカル演出が入るということもあって『第2の物語』はかなり「????」状態だったので、原作がなければ「瀬奈じゅんさん歌うめえな」という感想に留まったかもしれない。ありがとう原作小説。

3. 「もっと怖いもの見たことある」

 舞台序盤、コナーとモンスターが初めて邂逅した際に発したイチイの木の怪物が怖くない理由。これ舞台だけだと回収されてないよね!? されてました!?!? 原作未読時は、コナーが秘密にしている罪の象徴としての「もっと怖いもの」なんだろうな~とぼんやり思っていて、まあ当たらずとも遠からずというところだったのですが、原作小説では怖いものの正体がはっきりと言及されています。
 これはわたしが肌感覚で適当に言っているだけのことなんですけど、キリスト教文化圏の作品に対して ”死” というものへの温度差をめちゃくちゃ感じるんですよね。なので母の死という描写だけだとコナーの恐怖がピンと来ないというか……(我ながら発想が嫌なやつすぎるんだけど、母親は本当にコナーのせいで病気になったんだと思ってたもんね。事故とか結果論じゃなく明確な因果関係があるのかと勘違いしていました)。
 母が落ちていく先に存在しているのが「邪悪な化け物」であるとはっきり明言してもらえるととっても助かる。ありがとう原作小説。

4. 観劇カロリーを少なく出来る

 これは受け取り方によってはデメリットにもなり得るんだけど、原作小説を読んでから観劇した方が考えることが少なくて済みます。当たり前すぎる。でもすごく感じる。
 あえて強い言い回しをしますが、『モンスター・コールズ』は舞台セットがロープと椅子しかなく、かなりの要素を観客の想像力で補うことを強要する舞台作品です。衣装や小道具のサポートがあるので、状況を把握出来ないという場面はほぼないと思いますが、それでも観客それぞれに受け取り方を委ねる、という思想がかなり反映されていると感じます。そもそも『モンスター・コールズ』がそういうメッセージ性を持った作品なのでこれ以上ないほどの原作再現なんですけど、それはそれとしてカロリーは持ってかれるんですよ。

 素敵な物語ではありますが、終始明るい話かというとそうではないし、モンコルの特性上誰もがコナーに共感してしまうというか、コナーのしんどさにリンクする瞬間が少なからずあると思うんですよね。
 更に、今このタイミングで終盤のコナーの「もう耐えられなかった」を聞くのしんどくない?? わたしはめちゃくちゃしんどい。どうにも出来ないと分かっていてただ終わりを待つのがつらい、というコナーの主張が佐藤さんの身体と声で世界に発現されることがしんどいんだよぉ。
 原作小説を読んでから行くと、そのしんどさを少しだけ軽減出来る気がする。気がするだけかも。でもある程度の覚悟は出来るので、感情の爆弾を不意打ちで食らって茫然とする、みたいな状態は避けられると思う(それはそれで得難い観劇体験なのであえて浴びに行くのもアリだよね)。

個人的おすすめ佐藤勝利さんかわいいポイント

 すみません我慢できないのでオタク感情に全振りした感想を述べてもいいですか??
 モンコル、とにかく佐藤勝利さんがかわいい。オタクだからそう思ってしまうのかな、と思っていたらパンフレットでも共演者の皆様からかわいいかわいい連呼されていてやっぱり佐藤さんは客観的にもかわいいんだと安心した次第です。いやでも何でもかんでもかわいいかわいいと評するのはオタクムーブメントだということは理解しているつもりなんですよ。でもとにかくかわいいんだよ……。
 舞台上でもずっとかわいいんですが、特にお気に入りの最高かわいいポイントについて記録しておきたいと思います。今後増える予定です。

死んだ目でもぐもぐするコナー

 こんなこと言うの申し訳ないんだけど、コナーは基本的に目が死んでいます。死んだ目で着替え、支度をし、シリアルを食べます。すごいかわいい。オレンジジュースはパック直でいってるのに、シリアルはちゃんとお皿に出して、あの取っ手付きのバカデカボトル牛乳を注いで死んだ目をしてスプーンでもぐもぐ食べてる。すごいかわいい。佐藤さんが死んだ目でご飯食べてるところなんて普通見られないので、とても得した気持ちになります。食べることは生きることですからね、死んだ目しててもちゃんとご飯食べててコナーは偉いよ。

ロープに腕の力で座るコナー

 ロープブランコのところめちゃくちゃ楽しみにしてる。モンスターが第1の物語を話してくれる場面、腕の力でロープに座るところも好きだし、両サイドのロープ掴むのも好きだし、右手のロープを右足に巻き付けてるのもあまりにも好き。両足揃ってるのも大好き。ロープアクションは後半の飛びつくところもいいですよね……!!

風紀委員になるコナー

 ブライトンビーチのエロガキ(ごめん)ことユージンくんとは対照的に、コナーは色っぽい話題にあまり興味がないように見えます。コナーが普通の13歳ではないことの描写の一環なのか、もともとコナーがそういう子なのか判別が難しいですが、とにかくかわいいんだよ~!!
 特にブラジャーってママが言った時の「ママ~~」が激マブ。ツッコミのタイミングが完全にいつもの佐藤さんだし、コナーとママの親子らしい親子のやりとりってあまりないからめちゃくちゃ幸せになれます。「ブラジャーって言っただけよ」のママの軽さもいい。マジで「ママ~~」がかわいい。

ポテトをもぐもぐするコナー

 なんと! ポテトを!! 食べます!!!! パパとポテト食べる!!!! コナーが住んでいる場所は近くにマックもないほどの田舎、という情報は原作小説に出てきます。フライドポテトは都会の象徴、アメリカの象徴、パパの要素を補強する大事な要素なんですが、もぐもぐ登場するもんだからあまりにもかわいいのよ。一本ずつ掴んで箱をカラカラしながら食べるんですよ激カワ I'm lovin' it ……!! 箱カラカラは初回観測しましたが2回目はやってなかったので食べ方の違いに注目するのもアリかもしれません。2回目は舞台上がまだ暗いタイミングからもぐもぐしていました。How cute!

地面と水平に担がれるコナー

 ダンスしてるモンスター&ママといい、ドームの君米然として担がれてる佐藤さんといい、個人的にモンコル舞台で一番意味の掴みにくいシーンなんですけど、相変わらずまっすぐに担がれていて素晴らしいなと思います。
 まっすぐ担がれる佐藤さん。抽象的だよね~~~~マイ楽までにこのシーンと解き明かせるのだろうか……ついついつま先を見ちゃうので難しいかもしれない……。

暗転前に凍った目をするコナー

 基本的にコナーは目が死んでるという話をしたんですが、第3の物語が終わったとき、凍ったような冷たい目をされてるんですよね。死んだ目のときのダイヤモンドの温度(※佐藤さんの瞳のことをダイヤモンドと呼んでいます)が0度だとしたら、この時の目は氷点下というか……。そのまま舞台上が一旦暗くなるので何とも言えない最高の余韻を味わえます。暗転前の目線を双眼鏡なしで観測するのはさすがに厳しいので8倍以上(理想は10倍)の双眼鏡を用意してご覧ください(多分このタイミングだったと思うんだけど違ったらごめんなさい~!)。

モンスターに寝かしつけられるコナー

 第4の物語、真実の物語を語り終えて疲れ果てたコナー。モンスターが優しく眠ることを促す場面で周囲の勝利担が一斉に双眼鏡を構えます(最高)。
 イチイの木の根元というベッドにゆっくり寝かしつけられます。ンンンンンギャワイイ~~~~~!!!! 収まりのいい場所に頭を落ち着かせるところまで全部かわいい。睫毛が長い。寝顔が美しい。あまりにも美しい寝顔なんですが、青を基調とした神秘的な光と白いロープに囲まれていてあまりにもホーリーでファンタジーでこのまま星座になってしまいそうな儚さと美しさがあります。絶対に見て。言わなくてもみんな見てると思うけど絶対に絶対に見て~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!

ママの足元で丸まって眠るコナー

 いやこれ別に寝てないよな?? コナーは寝てないかもしれないけど佐藤さんは寝ている。原作読んで一番びっくりしたのここかもしれないと感じるくらい衝撃的だった場面です。このシーン、別にママの足元で、両足をベッドに乗っけて丸くなる必要はないし、(ついさっきまで寝ていたので)眠る必要ないし、かわいい寝顔を我々に見せてくれる物語上の必然性はない気がするんですよ。ファンサかな???? むしろ12時7分の瞬間にママの顔を見ていなくていいのか?? いやおばあちゃんの母性がね、強調されている印象があるので! ママを挟んで反対側にいるおばあちゃんに頭を撫ででもらうにはあのポジションしかないのかもしれないんですけど!?!? それにしても足元で丸まって寝るのはわんこすぎませんか……???? あまりにもかわいいので絶対見て。

おわりに

 佐藤勝利さん、消費者の立場で無責任にお芝居の印象を言うと、どんな役でも出来る器用な役者さん!ってイメージは全然なくて、むしろその真逆にいるような気がしています。今回演じられている13歳のコナー・オマリーは、優しく忍耐強い、正義感や責任感と子供らしい無邪気さの板挟みになりながら懸命に生きているピュアな少年に見えます。それは佐藤さんの持つ清廉なイメージにぴったりで、二人の姿が重なってしまうことに少し切なさを覚えるくらい。もどかしさや諦めが全身から溢れてしまうような雰囲気は、そしてその雰囲気に劇場全体を巻き込んでいく影響力は代えがたいものがあるなと感じました。
 佐藤さんの演技って身体表現が肝かなぁと常日頃思っているのですが、それを余すことなく堪能出来るのは舞台ならではなので、また次回の観劇が楽しみです!
 そして大声を出しているわけではないのに台詞が聴き取りやすい! 喉が強いと自他ともに認める佐藤さんですが、泣き叫ぶシーンはやはり負担になると想像に難くないので、どうか無事に千秋楽まで駆け抜けられますようにと祈るばかりです。

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