コロナ禍のマレーシア渡航 Part 2 (大事件発生)
皆さんお久しぶりです!マレーシア留学中のMinamiです!😁
前回上げた記事、コロナ禍のマレーシア渡航 Part 1 では、コロナ真っ只中に日本を旅立つまでの過程を書きました!
まだ読んでいない方は、Part1から読んでみて下さい!
今は懐かしいコロナの陰性証明書や隔離施設の手配などについて語っています。
さてさて本日は、日本を飛行機で旅立ってからのことをシェアしたいと思います。そうです、ついに大事件発生の回です!
シンガポール、チャンギ空港に乗り換えのため降り立った私は、何事もなく朝食を調達し、念の為大量に持ってきた現金をマレーシア通貨のRinggit(リンギット)に変換し、乗り継ぎ!
1時間ほどのフライトを経てマレーシア、クアラルンプール国際空港に降り立ちました。
いよいよここからが本番です!
どこの国もコロナを広めたくないので、コロナ禍にやってくる外国人に対する入国審査は超厳しい!
ちょっとした不備でも、「母国にお帰り下さいませ」となってしまうので私は緊張でドキドキでした。
コロナの規制が大幅に緩和された今、空港に着いたら入国審査に直行できますが、当時は諸々の手続きで入国審査にたどり着くのに2時間もかかりました!
飛行機から降り立って待ち構えるのは、警察官?みたいな人達。
その人達に事前に登録していた検疫用のアプリを確認され、フォームを記入して下さいと言われました。
見てみるとそれは完全にマレー語で書かれてる!
「すみませ~ん、マレー語全くわからないんです泣」
(英語がどこでも通じると聞いていたので、こんにちは、ありがとう、How are you?しかマレー語は知りませんでした😅)
と近くにいた若いお兄さんに助けを求め、フォームを記入、提出してもらいました。(本当にありがとう、お兄さん!)
それが終わると、見張りらしき警察官に付き添われながら、シンガポールから到着した一行は空港内のある一角へ。
そこには、いろいろなブースが設置されていて、そこをスタンプラリーのように回って書類を見せろと言われました。
学校関係の書類を確認する部門、諸々の費用の領収書を確認する部門、コロナの陰性証明書を確認する部門、隔離先関係の書類を確認する部門などなどを片っ端から回り、書類はくまなく確認されました。
(スマホゲーム片手の審査官がたくさんいましたが、チェックは厳しかったです😂)
書類確認に1時間以上。その間ドキドキしていましたが、不備は一切なく無事通過!ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。次はコロナの検査です!
日本出る前にしたばかりだけど、着いてすぐに検査を受けました。
空港の一角が病院のようになっていて、そこには防護服に身を包んだ医療関係者がたくさんいました。
名前を呼ばれブースに行くと、体調を確認されスワブを鼻と喉の奥に2回挿入されました。鼻は大丈夫だけど、喉はオエッとなりやすい私。
この時は全然大丈夫でした。
残すは学生ビザ関係の手続きと入国審査のみ。
私は意気揚々と検査ブースを後にしたのですが・・・
ついに事件発生!
それは学生ビザの手続きでのことでした。
その当時、マレーシアに初めて留学する学生は、入国審査の前にビザ関係の部署に寄らないといけませんでした。(もしかしたら空港によっても違うのかも)
そこで、入学許可証や学費の領収書、そしてSingle Entry Visa(現在はeVISAに変わっています)を見せて、正規の学生であることを確認してもらうという流れです。
部署の前には列が出来ていたのですが、私より先に並んでいた人達は特に時間がかかることもなく手続きが終わっていて、私もすぐ出てこれるだろうとタカを括っていました。
ですが!
窓口で書類を見せると、担当のおじさんは私の書類を凝視して、なぜか脇のカレンダーに目をやる。そしてまた私の書類と見比べる。
(なーんか、イヤな予感がするなあ)
不自然すぎる動作にこちらもドギマギしていると、
「キミ、入国できないよ」
え・・・・・?
はい・・・・・?
頭ポカーン。
おじさんの口から放たれた衝撃発言に、私の頭は真っ白。
大慌てで「いやいやいや何でですか!?」と聞き返すと、
「キミの大学の担当者が来ないと入国させてあげられませーん」
この手続きでは留学先の大学の関係者が立ち会う必要もあるのですが、私の場合は立ち会いはいらないと大学から言われていたので、そんなことはないはずなのです。
でも、私、大学の担当者から付き添い無しで入国できるって言われてますけど!?と猛抗議すると、おじさんはヒョイっとどこかへ姿をくらまし、5分ほどして戻ってきました。
期待の眼差しを向ける私にまたもや、
「大学の担当者が来ないとだめー」の一点張り。
そんなこと聞いてないんですけど!?と押し問答をしましたが、向こうも絶対に引かないので、私は心臓がバクバクしながら、大学から渡されていた緊急連絡先に電話をかけます。
が、案の定出ない。
WhatsAppでも送ってみましたが、既読が一向につかない。
それもそのはず。
その日は日曜の上に12/27。完全に年末だったのです。
さらに困ったことに、空港と大学は離れていて、高速で飛ばしても1時間以上かかります。
ここで諦めてはにゃらんと、それから何度も電話をかけWhatsAppを送るのですが音沙汰なし。
「あ、オワッタ・・・」
どうする?どうしよ?
目の前が真っ暗な私は、そのおじさんの元へ再度出直すと一番尋ねたくないことを尋ねました。
「・・・あの、大学から担当者が来なかったらどうなるんですか?」
答え(強制送k…)が何となく予想できて、ガクガクブルブルな私。
おじさんはそんな私を一瞥すると、肩を竦めてRolling eyes(海外の人が呆れた時にやる仕草)をぶちかましました!!
挙句、「I don't know, ugh」と突き放される!
待合スペースへ戻った私、そこで堪えきれなくなり涙腺崩壊。
周りには手続きをしに来た大勢の人がいるので我慢しようとするけど、涙が止まりません。
でも、意地でも泣き顔だけは見られたくなくて咄嗟に持っていたファイルで顔を隠しながら静かに号泣しましたが、視線を感じるわ感じるわ。
絶対周りにいた人気づいてる笑
散々泣いた後、私は辺りを見回しました。
すると、なんかお兄さんが入国管理の係員の人達と何かを喋っていて、話の内容に耳を澄ませると、その人はどうやらEMGS(マレーシアの文部科学省)で働いていて、その仕事で来ていることがわかりました。
人前で泣いたことで、いろいろ吹っ切れた私はそのお兄さんの元へ押しかけました。
動揺で声が時々上擦りながらも、何とか事情を説明するとお兄さんが神発言✨
「ちょっと待ってて、僕が直接係の人(※例のおじさん)に聞いてみる」とおっしゃりました!!
EMGSのお兄さんは、例のラスボスの元へ赴き2人はマレー語で何やら話し合いを始めます。それを藁にも縋るような思いで見守る私。
2人は一体どれくらいの間話していたのか覚えていませんが、お兄さんが急に笑顔で振り返ります。
「入国できますよ!」
もうね。その瞬間のお兄さんは、後光が差しているのかと思うほどに眩しかったです。神様です。
「あ、ありがとうございますうううう」
今度は嬉しさと感動で涙腺が決壊しながら、私はお兄さんに全身全霊で感謝しました。
お兄さんがいなければ、本当にどうなっていたか分かりません。
もう本当に感謝してもしきれないです!
お兄さん、見ず知らずの私を助けてくれて本当にありがとう。
そんな優しいお兄さんは、私が無事に入国するまで付き添って下さいました。
そんなお兄さんに別れ際に、どうしても聞きたかったことを尋ねてみます。
「あの、大学の担当者は来なかったのに私はなぜ入国させて貰えたんですか?」
「Minamiは大学関係者の人の立ち会いは要らなかったよ。つまり・・・」
「あのおじさんの勘違いだよ!」
なっ・・・おじさん!!私の涙を返せー!!
心の中でいろいろ言ってやりましたが😂、それよりも無事に膨大な手続きを終えて入国できたことに対する安心の方が大きかったです。
そして、救世主である優しいお兄さんとの出会いで私はマレーシアが大好きになりました。
私はお兄さんにありったけのお礼を伝え、さよならをすると空港を後にしました。(ホテルから迎えにきてくれたドライバーさんも、私のトラブルで何時間もお待たせしてしまいましたが、快く送って下さり本当に感謝こそすれです)
そして、ホテルでの隔離生活の始まり始まりです!
次回は、コロナ禍の隔離生活について発信しようと思います。
隔離を始めてすぐに襲ってきたホームシックを1日で治したのですが、その鍵となったものは・・・
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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それでは失礼します!
Daripada Minami 🇲🇾
(from Minami)
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