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楽しすぎて、なんも手につかない 躁が来た、夏が来る!

ちなみに、この文は小説でもなんでもない。ただの22のガキの日記だ。それに価値を生み出す能力があるとは到底思えないけれど、東京に出てきて約一ヶ月のもともと根暗な女の実録日記としてお読みいただければ幸いである。前提として……

あたしは、躁鬱病だ。

(だから)あたしには自己肯定感が著しく欠損している(たぶん)。

小説を書いている(人生におけるたったひとつの野望だ)。

恋愛体質だ。

そして、

あたしは、今年の夏に京都から東京に出てきたばっかりなのだ。

入社まで、あと二ヶ月弱。


京都で大学生をやってる時は、他の大学生と同じように、昼起きて大学行ってそうすれば素敵な夜になっているから、大学の近くにある同じく素敵な飲屋街に毎晩繰り出して騒いで朝まで飲んで、散歩途中のおっさんと毎日すれ違って会釈して、帰ってぶっ倒れて寝る、みたいな生活をしていた。

あたしの自己肯定感はそこで満たされてた。なんだってほかの人がよくしてくれたし、時間だってあるから小説を書いて飲み屋で売ったりしていた。


だから正直、東京に来るのなんて怖かった。

もともと根暗だし、すぐ鬱なってぶっ倒れるし友達なんかできるのかわかんないし、入社までのフリーター期間を職場との往復で寂しく終えるんだろうな、と思ってた。


ところがどうだ。

あたしの上京と躁による行動力が見事に折り重なって、あたしはこの一ヶ月で人間関係(つまり、信頼できるコミュニティー)も、大好きな恋人も、物語に関わる仕事の可能性も、その他諸々、つまり、京都の幸せな思い出をブチ抜く勢いで色々手に入れておったという話なのだ。


それはもう、全く小説が書けなくなるほどに。

なんでか。

それは別に躁がどうのこうのって話だけじゃなくて、あたしにとって小説を書くという、人生でひとつの価値ある冒険とは何かってことに直結するように思うのだ。

たぶん、書けない理由は、今人生を揺るがすレベルで満たされてるから書けなくなってんじゃないかってことなのだ。

いやいやそれじゃ、わたしは自分が満たされるために小説を書いてるのっていうクソオナニーみたいな話なの???たったそんだけのために?じゃあべつに、小説書かなくてもよくない???あたしのはオナニーか?セックスじゃないの???


今はたぶん、どうしても描くべきあるテーマとか、ある問題とか、自分の外に出て行かんでもいいぐらい、というか、出て行かなきゃいけない問題にまだ出会ってないってことなのかもしんない。甘えかもしんないけど。

前はあれだけ執着してた、セクシャルな問題と格闘するためのグレーゾーンを描くという試みにも、なんだか靄をかけていて、よく見えない。これは非常に個人的な問題で、あるゲイとわかりあえなかった経験ってのがデカいのかもしれない。そこであたしは一度挫折して書けないのかもしんない。性別を超えるアプローチの難しさに、しょげてしまったのかもしれない。


東京は人を盲目にさせる。そこにはなんでもある。買うべきものも、恋すべきひとも。あたしはこれから入社して、労働しながら、休みの日には恋人と一緒に海とか行って、砂の中に埋まったりして、歌いながらバーベキューとかして、酒飲んでセックスするんだろう。そしてまた朝焼けの時間になったら起き出してベランダに裸足のまま出て、その圧倒的な美しさに感傷的になったりするんだろう。



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