Sota Suzuki

作品の構想・原案文など https://lit.link/lingmuzz

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演劇について考える

「演劇」とは社会、歴史という時間の中で、ゲリラ的に別概念の時間演出を行う行為であると思う。 生まれてから死ぬまでの一定の時間の中で、突如として始まり終わる別の時間、別の生と死を演出することが演劇ではないだろうか。 演劇が時間の中で突如始まるという要素は、人生にも同じことが言える。 我々は突如生まれて、ゆるやかに、だが突如死ぬ。 その死が意味するのはせいぜい「生の終わり」程度だろう。 演劇も突如始まり、突如終わる。 終わりが見える時もあれば見えない時もある。 そして演劇

    • 批判

      建物は基礎がなければ成り立たないのと同じように、創造とは基礎的な思考が必要になる。 個々が自立し「考える」行動をしなければ、その思考は一時的な思いつきでしかなくなる。 その思考を共有することで意見になり、議論となり、目標となる。 思考と目標により社会は建設された。 それらを持たない人間の社会は衰退する。 これは組織にも同じことが言える。 中核派という組織は現社会構造の打倒を掲げているが一向に成功していない。 それは組織内部にいる人間の未熟さが原因ではないだろうか。 革命を

      • 息抜き

        金の岩のようなごろりとした包み紙を開けると香る、甘いミルクチョコレートの匂い。 フェレロ・ロシェはイタリアのチョコレートメーカー、フェレロ社によって製造されているチョコレート菓子で、1982年から世界中で愛されている。海外のコンビニやスーパーでは定番商品として置かれており、私もカナダに居た頃は毎週のように購入していた。 日本でもデパートなどで購入することができる。 他にもビターな「フェレロ・ロンノアール」、ココナッツ味の「ラファエロ」といったチョコレートもあり「フェレロ・

        • ロシアに於けるSFファンダム

          SFという概念が生み出される以前よりロシアではウラジミール・オドエフスキーらによる「ファンタスチカ」と呼ばれる幻想文学に基づき数多くのSF概念の作品が生み出され、ロシアでのSF小説はサブカルチャー的な役割を果たし、ソ連成立後から戦勝後と年を重ねるごとにファンの数を増やしていき、1977年に最初のSFファンクラブが設立されました。 そのクラブでは演説やクイズ大会などの催しが行われ、1979年にはロストフのファンとトビリシのファンの交流会、1980年代には全ソSFファンクラブが

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        演劇について考える

          ハレとケ

          最近は何かしているようで、何もしていない。 自分主体で行う行動に温度を感じないと言うのが近い。 他人が介在してる時間を私はハレだと思っていて、それ以外をケとしている意識が強い。 ケの時間に温度を感じることができない、それは作品にも表れていて、誰かと作る作品と一人で作る作品とではそこに感じられる温度が全く異なる。

          美味しい温度

          「おんど(温度) 」とは 人と人、事物とを繋げる認識的、意識的な存在として「温度」は存在する。 温度とは物質を構成する一要素であり、認識可能なものとして絶対的な存在である。 そして人間は特別なことに、認識に加え意識でも温度を感じ取ることができる。 (認識的温度感・・・温度、体温、気温、水温) (意識的温度感・・・愛情、哀情、友情、無常) 「おいしい(美味しい) 」とは 一つ目は単に味を指すこと、二つ目は郷愁的な味に思い馳せることだろう。 私は後者の「おいしい」表現に美し

          美味しい温度

          アジアの輪郭

          こっちを見ろ!! こっちを見ろ!! こっちに来い!! こっちに来い!! 鳥居をバリケードに変えてしまえ!!!! 東京を解放し人間の手に取り戻すのだ これはひとつのアングラ演劇にすぎない こっちを見ろ!! こっちを見ろ!! こっちに来い!! こっちに来い!! インディアンとユーロピアンが 人間と機動隊が 認識と現実が 男と女が 今、ここでぶつかろうとしているのだ!!!! 2024.5.12 "アジアの輪郭の構想"より

          アジアの輪郭

          認識を騙る

          視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、それらによる認識が物質を形作る 五感が物質を形成し、再度その五感が物質を認識し、認識が意識の中で変換を起こす 物質から我々は認識し、そして意識をする 意識から認識することなどありえない 意識という空間に色彩、音、香り、味、温度がないことが意識の非物質さを証明している 物質がないからっぽの空間だからすべてが存在し、すべてが存在しない 意識とは存在と不在が両方紛らわしく存在する空間で曖昧極まりない 意識は認識できない、認識できたフリはするが実

          認識を騙る

          イマージの機械化

          作品を制作することは空間を新たに作り出すということ。 作品とは自立する空間であり、空間とは人間・事物・時間である。 映像作品は人間のイマージ(脳から網膜上に形成される映像)を模倣する機械で、映像制作というのはイマージを機械化することで自由に組み換え、追加、破棄する作業。 鑑賞者は出力された機械化イマージを肉眼で受け取り思考し、そのイマージは肉体的なものになる、個々の歴史によってイマージも無数に変換され記憶に残る! 映し出される場所と事物、流れる時間といった機械的に作り

          イマージの機械化

          306号室

          時間と共に変化し続ける日本、東京、銀座の街。 時間が止まったように変化しない306号室。 この東京とは違う時間の概念を持った306号室はまるで異邦の地のように感じる。 温度や嗅覚といった五感すら違う。 それはその部屋のみで成立する演劇でもあり、実際に流れる時間が同じでも、社会とは乖離した演劇的な時間概念がそこにはある。演劇の部屋。 社会の時間と乖離した演劇の部屋は人間の脳みそに似ていて、作品展示における306号室とホワイトキューブの差はそこにある。 306号室に設置され