批判

建物は基礎がなければ成り立たないのと同じように、創造とは基礎的な思考が必要になる。
個々が自立し「考える」行動をしなければ、その思考は一時的な思いつきでしかなくなる。
その思考を共有することで意見になり、議論となり、目標となる。
思考と目標により社会は建設された。
それらを持たない人間の社会は衰退する。

これは組織にも同じことが言える。
中核派という組織は現社会構造の打倒を掲げているが一向に成功していない。

それは組織内部にいる人間の未熟さが原因ではないだろうか。
革命をなすためにはまず「市民」という階級を捨てることから始まるだろう、市民とは国家が守る存在なので、国家に対し反逆する彼らは市民という階級とは別のグループに位置付ける必要がある。
これは組織のメンバー全員が統一して持たなければいけない認識だが、SNS上の彼らを見れば分かる通りこの認識はバラバラになっている。

まず認識という概念が彼らには不足しており、誰かの意識を盲目的に信じ行動をしている。
認識から意識を修正しなければならないところ、意識により認識を捻じ曲げている。
それでは自己批判すらロクにできないため、流動的な民衆意識も理解できずに過激なアプローチを続けるため理解は得られないだろう。

自己批判ができない人間は構造批判へと移行する。
見えない構造に対して武装闘争を呼び掛けている。
SNS上での批判すら構造に責任転嫁する彼らはいくらなんでも虚弱すぎる、ナンセンスだ。

これでは到底民衆から理解を得られない、であれば街頭ブランキズムしかないのだが、それを行う予兆はない。
彼らがすべきなのは機関紙の音読会ではなく早急な組織改革だろう。
少数精鋭での武装闘争のほうがよっぽどマシに思える。

先日の辺野古での事案について中核派からの声明もまだである。


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