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EQ高低差カップルの15年


大学1年生のときからのパートナーである夫は、出会った当初からEQ(感情の知能指数)が高めな人だったと、私は思っている。

彼は日々七割ご機嫌。残りの三割はニュートラル。楽観的で、ものごとの明るい面を見るのが得意。切り替え上手。基本誰にでも親切だけれども、他者とのバウンダリー(境界線)を引くのがうまい。仕事も生活も人間関係も、何事も器用にこなせるタイプ。そして、ものすごく愛情深い。

一方で、私は夫よりEQの未熟なタイプだ。一緒にいる15年の間、何度も何度も理不尽に夫に感情をぶつけ、ケンカをふっかけ、精神的に振り回してきた。(けど実際に心の深部までは振り回されないのが、EQの高い夫)

些細なことで不機嫌と自己嫌悪のジェットコースターをぐるぐる回り続ける私。自分ですら自身の幼稚さにあきれ、疲れ、振り回されてきた。
お腹が減ると不機嫌になる人をリアルに見たのは人生で君だけ、と夫に今でも揶揄われる。

そんなEQの低い私だけど、唯一の美点があった。それは「素直さ」。

「ぼくの方が、物事の98%のことを君より上手にできるけど、〇〇ちゃんはぼくに足りない2%を持っているんだよ」
という傲慢で失礼な発言を夫がしたことがある。夫の言うその2%が、「素直さ」であり、夫にはない私の美徳だった。

EQ高めな夫だって完璧ではない。付き合って数年はわからなかったけど、彼は身近な一部の人に対して、天邪鬼なコミニケーションをしてしまうという一面があった。(そうなった原因も段々と想像つくようになってきた。)

私の言動がとても素直で、心に表も裏もないことがとても助かると、夫は折々に伝えてくれた。

最初はあまりピンとこなかった。
私にとって「心→感情→言動」は、ごくごく自然にまっすぐ繋がっていて、自分にとって嫌なことをされたら心が怒り、怒りの感情が込み上げ、(甘えている身近な人へは)それがそのまま言動となって現れていた。

書いていて恥ずかしくなるような、そんな子どものような私の素直さがあったおかげで、夫は「相手はあぁ言っているけど、実はこうなんじゃないか?」と、余計な気を回さずに済んだと。それはとても楽なことだったと言う。

そんな私たちが、学生から社会人になり、転職し、結婚し、今は二人の娘の子育てをしている。
最初の5・6年は、まるでぶつかり稽古のように、(主に私が)感情をそのまま体当たりさせ、ケンカばかりしていた。子育てが始まってからも揉め事は増えた。

感情をぶつけ合っていると、もちろんお互い傷ついて疲弊もする。それでも、下手くそでもコミニケーションを重ねていくうちに、未熟な私にも少しずつ、シンプルな事実が腹落ちして理解できるようになった。

それは、「彼には彼なりの理由があり、彼なりの感じ方がある。彼は私とは違う人間だ。」ということだ。

最初は半信半疑だった。
食べ物の好き嫌いはすんなり理解できる。でも、彼の感じ方や考え方が、実は自分と全然違うことを納得するのは、簡単ではなかった。
こうされたらこう思うのは当然じゃない?そう言うのは建前で、実はこう思っているはず。
そんな勝手な思い込みの「眼鏡」はなかなかに強固で、自分が「眼鏡」をかけていることすら、長い時間気づかなかった。

自分を知ることと相手を知ろうとすることは、いつもセットだった。
やっかいなことに相手も自分も変わり続けるから、前はこうだったけど今はこう、というように、お互いの今の感覚をキャッチアップする必要もある。

そして、表面上の違いがわかってくると、今度はお互いの心の根底にあるものが、少しずつ浮き上がってくるようになった。
私の根底には、彼と一緒にいると楽しい。一緒にいると安心する。自由になれる。彼にはいいなと思えるところがたくさんある。
夫の根底には、私への愛情があった。

私たちが短い話し合いでスムーズに諍いを解決し、すっきりと許し合えるようになったのは、正直にいうとここ半年くらいの話だ。

そもそも諍い自体が減った。彼の根底には、ゆるぎない愛情と優しさがあると、私が心から信じられるようになってからは、例えばトイレの蓋を閉めないとか、洗面所の電気を消さないとか、些細なことを気楽にスルーできるようになった。

今、日常で彼にモヤモヤしたときに、それを解消するプロセスを言語化すると、こんな感じになると思う。

①自分の心に正直になること
  =自分の心とつながること。
②正直な心を冷静な言葉で伝えること。
  =心と言葉をつなげること。
③相手の心の声をとことん聞くこと。
  =相手との関係をつなげること。

このシンプルなプロセスには、どちらが良い・悪いと批判したり、どちらかを責める必要はない。こんなことを言ったら可哀想かもしれないという遠慮もいらない。
必要なのは、(子どもがいるとそれがなかなか難しいけど)二人でゆっくりお茶でも飲みながら、お互いの話したいことがゼロになるまで聞き合うことだ。

夫も昔よりもずいぶん天邪鬼さが減り、色んな感情を素直に話してくれるようになった。

まだ30代の私たち夫婦の在り方なんて、この先何度も変わると思う。同じ関係性に自分たちを無理に押し込めたくないし、自然に変化していくお互いを楽しみたいと思っている。

それでも、愛すべき隣人である夫のことを、心から信じられること。なんでも正直に話せる相手になったこと。穏やかな言葉を選びさえすれば、どんな自分も受け入れてもらえることは、私に力強い自信を与えてくれている。

そして何より、お互いを選び続け、関係を育むのを諦めなかった15年間そのものが、私の人生で唯一無二の宝物なのだと思う。

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