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「暮らし・感じ・表現する」

SNSを始めて3ヶ月。
写真も、動画も、文章を書くことも、やりたいことはまだまだあるけれど、どれも小さな一歩を踏み出すことができた。

始める前は、ぼんやりとした憧れがあるだけで、SNSが自分にとって楽しいのか、向いているのか、自分が何を求めているのか、確かなことが何もない状態だった。実際、情報収集・交流・日々の記録・宣伝など、目的ははっきりと分けられず、人によって色んな比率で混ざりあっているのだろう。

ただ、私においては、最近になってようやく、自分がSNSで一番やりたいこと、その目的の輪郭を捉えられるようになってきた。

私にとって、SNSで一番やりたいことは、『表現』だ。
(すごーく陳腐かつ今更なことを言っているのは承知しています)
そう自覚できてから、ぼんやりとしていた、方向性・未来像が、より具体的に、クリアになった気がする。

果たして、大人になってから『表現』している人って、どれくらいいるのだろう?

学生時代は、作文を書いたり、絵を描いたり、時には総合学習でプロジェクトをまとめたり。
まるで学校の先生がトスを上げてくれて、それに打ち返すかのように、表現をする場面はいくらでもあった。
そして私は、お題に対して表現で打ち返すことが、結構好きな子どもだった。

就職してからは、やるべきことをこなすことに必死で、自分の仕事が『表現』になる域には達していなかったし、求められているとも思っていなかった。
出産して、親業に専念し始めてからは尚更、日常の行動・思考の中心が娘たちで、自分が表現することなんて、違う世界の話だった。

そもそも、自分が表現が好き、表現したいという欲求があることにさえ、ずっと気づかないでいたし、
表現は、アーティストやクリエイティブな方だけが関わるものと思っていた。

しかし、例えば、インスタに朝食の風景写真を投稿しようとする。
写真の構図、色味の調整、添える言葉の選び方、文字挿れ、音楽の使い方などなど、
自分のセンスを基に、『これがいい』を選択していく。
倫理に反しない限り、何を投稿するのも自由だ。
そして、一つ一つの過程で選択した結果が、スマホ上に現れてくる。

辞書を引いたわけではないけれど、この一連の行動を『表現する』と言わずに何と呼ぶのだろう。

いや、例え辞書に載っていなくても、
私にとっては、

自由な場に、
自分の決めたものを、
自分の手で産み出すこと。

これは、表現だ。

自分が暮らし、感じたことを写真や文章、動画にして表現すること、
それに対して反応までもらえること。
プロセスも結果も、信じられないくらい楽しんだ3ヶ月だった。
海をのびのび泳ぐイルカのように、私にとって自然でしっくりくる行動だった。

前からやってみたかったことを、
今楽しみながらやり、
これから発展させたい。

そんな望むレールの上に、今ようやく乗れたと感じている。

私がこれからやりたいことは、
暮らし(=衣食住+子育て)において、
自分の『やってみたい!』に挑戦して、
経験し、感じたことに対し、
自分なりの明るい光を当てて、
文や写真や動画を通して、表現することだ。

そしてそれを、読みたい・見たい人がいるところまで、昇華すること。

願わくば、見た人、読んだ人にとって、ポジティブな影響を受け取ってもらえること。
その影響が、『暮らしと子育て、楽に自由に』に繋がるといいと思う。

これを、私の『はたらく』にしたい。

『暮らし、感じ、表現する』
そんな循環の中で、くるくるとまわる。
これが、私のやりたいことだ。

……

追記 : 縁側のみなさんへ

SNS=怖い場所と思いつつ、憧れもあった私は、インスタを始めるきっかけを探していた気がします。
小川奈緒さんのvoicyのプレミアムリスナーになり、インスタで縁側の皆さんが部活動をされていること、その温かそうな雰囲気を知り、ここでなら…!とアカウントを作成しました。
以前、奈緒さんのvoicyコメントで投稿したこともありますが、同じコンテンツを楽しむ人たちと『伝え合うこと』がこんなに楽しいということ、そして『伝えたいことが伝わる』嬉しさを、新鮮に感じ続けた3ヶ月間でした。皆さんおかげです。本当に、ありがとうございます。
その結果、漠然とした憧れから、自分がやりたいことを明確にすることができました。
私にとって縁側は、平和で、温かで、穏やかな港のようです。
素敵な港から漕ぎだした船を、自分の表現で、少しずつ外海へ向かわせたいと思います。
…何だかお別れの挨拶のようですが、全くそんなつもりはなく(笑)。『私はこんなことをしたい人です』ということを、言語化したつもりです。
引き続き、部活動やコメント、ゆくゆくはリアルイベントでも、どうぞよろしくお願いします。


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