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自分の感覚を持って

人は生まれも育ちもそれぞれ個体が違うので、感じ方も考え方もそれぞれである。しかしバラツキがあると社会は機能しないので、ある程度感覚を統一するために学校という集団生活や数字という明確な表現を必要とする。

私はよく仕事がつらいと感じていたのだが職場の人の話を聞くとそんなにつらくない、他の職場よりもマシだと言われたことがある。
働いている人は私のように苦痛を感じている人は少ないようだった。
そうして他人の評価によって今の職場は悪くない、と思い始めるようになり続けた結果体調を崩した。少なくとも一歩手前くらいに悪くなった。

調子の悪さというのも人それぞれであるのだが、自分よりも悪い人がいると自分の体調の悪さは甘えではないかと罪悪感を感じてしまった。
休みはじめてしばらくはすぐ仕事に戻らないといけないと思っていた。自分はそんなに悪くない体調なのだからと。

しかし今となっては仕事を休んで正解だったと思うし、職場を変えられるようになって気が楽になった。前よりもマシなところに配属されるかは分からないのだが、ただ苦痛な仕事を続けてるよりは良くなる可能性があると思う。
休んだことだって今必要だから休んだのだ。
休むとことによって今まで鬱々とした気持ちがクリアになる。以前の自分はおかしかったのだとようやく気づいた。

いずれも自分の感じ方や考えをしっかり持っていなかったように思う。
職場に対する評価、体調の悪さ。
自分がどう感じているのかが一番大事だ。

他人がどう感じていても自分の感じ方ではないし、同じところよりも違うことの方が多いのに同じように感じる必要はないのだ。
自分にとって初めての感覚に、参考として聞いた意見を境遇と重ねてしまっているから相手の感覚を基準にしてしまったのだろう。
また見栄やプライドがあって、判断が鈍ってしまったことも否めない。

これからは自分の感覚をしっかり持っていたいと思う。それはきっと嫌なことははっきり断れることや、自分でさまざまなことを選ぶことの理由になるだろう。

根拠があればきっと良い判断ができると思う。

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