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あの日、人類は思い出した。芸術を愛する喜びを

先週(2022/1/9)、進撃の巨人final season part2 アニメがスタートしました。自分は原作を読んでいないため、結論を知らずの状態で見始めています。

初回第76話本編の充実度合もさることながら、オープニング・エンディングの映像・音楽に感動した方も多かったのではないでしょうか。

自分は特に、エンディングの映像・音楽を気に入り、その日から1日何十回も再生し、じっくり味わいながら生活しています。

自分は昔から、気に入った映像や音楽があると、重ねて再生する癖があったのですが、ここ最近はそのような体験が減ってきていました。感性が鈍化しているのでしょうか。

しかし今回、進撃の巨人 エンディング映像・音楽を見て、強い感動、重ねて再生する癖が蘇り、自分にはまだ映像や音楽を深く愛することができる感性が残されているのかと気づくことができたことが、何より喜ばしかったです。

人間は何のために生きているのか、この命題に対する真理はないのかもしれませんが、若いときって、経済的な成功・恋愛など、目の前に次々と現れる誘惑・目標・障害に関心を寄せるばかりで、そんなことは滅多に考えないものでした、そうではないでしょうか。

そもそもこの命題に考えを巡らせること自体、馬鹿々々しいと思われる方もいらっしゃるでしょうが、最近の自分はどうも、これを考えてしまうモードにあります。

進撃EDが、自分の芸術愛を思い出させてくれて、自分の生きる意味のひとつは、芸術を愛することにあるのではないかと、新たな仮説が立ちました。
今年はそう思いながら生きてみようと思います。

また、本作品に強い「生の肯定」を感じます。凄まじくダークな境遇にあるキャラクター達が、それでも自分や愛する人を生かすために強く進んでいく姿から、そういう印象を持ちました。

こういう部分に、もしかして原作者の方は、フリードリヒ・ニーチェに強い共感を感じているのか、と想像します。

偶然にも、ニーチェは大の芸術好きであり、処女作も芸術(ギリシャ悲劇についてであったと記憶)についての評論でした。

どうやら、自分に対して、ニーチェが様々な角度から語り掛けてきているような気がするので、ニーチェ著作を読むこともしたいと思います。

ニーチェ好きの友人からは、「道徳の系譜学」という本を推薦されました。まずはこれを読んでみます。

敢えてこんな文章で締めくくります。
あの日、人類は思い出した。芸術を愛する喜びを。

以上
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