日常の中の非日常
自分の日常の中に普段と違う出来事やイベントがあると、それはすぐに「非日常」となる。でもそれは、あくまで自分の日常と比較しての話だし、他人の日常は自分にとっては非日常で、自分の日常は他人にとって非日常だよね、って思う。例えば大工の人にとっての日常は、私の生活の中にその人の1日が入り込んだらそれは非日常になる。それに、月1で海外旅行してる人にとっての海外旅行はもはや日常だけど、一度も海外に行ったことがない人にとっての海外旅行は同じ価値として並べられない。だから、非日常は自分の日常を基準として判断することになる。
そう考えると日常と非日常の境界は曖昧だし、非日常には程度の差もかなりある。些細で明日やその日の夜にでも忘れてしまうような非日常から、何年も何十年も忘れられないような非日常もある。朝の電車の5分の遅延はそんなに気にならないけど、30分遅延して学校や会社に遅刻したらそれなりの非日常になるし、出産や大事故は一生忘れられない非日常になる。
非日常にもポジティブなものとネガティブなものがあって、人生のイベント的な入学式や成人式から、震災や身内の不幸まである。ポジティブかどうかや程度の差に関わらず全て非日常ではある。生きていて日常がある以上、非日常は必ず存在する。
私はめちゃくちゃ飽きっぽい性格なので、毎日同じことをする毎日が本当に退屈に感じる。毎日同じ時間に起き、同じ時間に学校へ行き、同じ時間に帰って寝る。本当に退屈。でも大半の人がこれに当てはまるんだろうな。
毎日が退屈だからこそ、非日常に大きな価値を見出せるのかもしれない。海外旅行に大金を使ったりとか。でも毎日が非日常だったら楽しそうだな、と思う。非日常が毎日だったらそれはもはや日常だけど。
例えばプロ奢ラレヤーとか、レンタル何もしない人って、毎日異なる人と出会って、飽きなさそうって思う。この2人はちょっと特殊だけど、経営者とかになって、他の経営者の人たちたくさん会ったりとか、多くの人と会うって、かなり新鮮な気持ちになりそう。これは前から思ってて、大学生のうちに人脈広げたいなとか思ってたけど、広げ方わかんないまま6年目。
とはいえ私は初対面の人と会うのは緊張するし勇気いるしすごく疲れるから、才能とかも必要なんだろうな、、、来年から社会人として同じ毎日を過ごすことに耐えられるのかめちゃくちゃ不安だ、、、
終わり
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