今日、明日、人生
今日も良い1日だった。
私は前に進むしかないのだろう。
生きている限り。
それが生きるということなのだから。
私はそれにちょっと抵抗感というか疑いを覚える。
残念なんだ。残念ながら、生きるとはそういうことなんだ。
前に進むしかなく、止まることができない。
私は生き続けなければならない。
自らの生を肯定し続けなければならない。
もはや、それは義務みたいなものだ。
でも、それは私が選択している。
選択し続けている。
そうせざるをえないから。
なんだかんだ生きがいを感じているし、人生は面白いことが結構あるから。
ああ、でも、たまには人生やめたいなー。
なんじゃそりゃ。
休めばいい話なんだ。
でも、私の心が休まらないような気がした。
気がしただけかもしれん。
もっと気楽に生きられたらいいんだけどなって思う。
ああ、なんか、「生きなければならない」と思うとしんどいな。
それに、世の中は待ってくれんわけだ。
私がゆっくりマイペースに生きようとすれば、それなりのデメリットとかディスアドが振りかかるわけだ。
なにかいつも時間に追われてしまうような感じがある。
やれやれ。
努力しなければ、将来の自分の家庭にまで影響が及ぶだろうなと思わざるをえない。
もちろん、努力はしていきたい。
だけど、私は一番に自分のために生きるべきだと思うだよな。
自分のためになるかどうかをまず考える。
……努力せざるをえないな。
それは義務じゃないんだ。
でも、自らに課してしまうものなんだ。
私は残念ながら努力せざるをえない。
いや、義務じゃないんだ。――でも、やらないわけにはいかないだろう?
それじゃあ、不条理みたいなものだな。
私が私のために好きでやっているというのに、自分で苦しんでしまう。
自らが課していることなんだ。
ああ、何のために生きているんだ。
人生に意味はねぇな。
全くもってくだらないな。
自分で決めたことを自分で受け入れられない。
放っておいたら怠けてしまう自分なんだ。それが良いとは思えない。
本当に、人生は無意味だな。
それ、何回言うんだ。もう言い飽きるくらい言ったな。
ああ、そうだ。だから、私は意味を持たせる決意をしなければならない。
私が意味を見つけて、掲げて、それを抱いて死ぬまで生きなければ変わらないだろう。
優柔不断だった。受動的だった。
私が手を伸ばして掴み取らなければいけないものだったのだろう。その意味とやらは。
その決意がなかった。覚悟が足りなかった。
だから私は、もっと狂ったように生きなければならない。
もっと狂わなければ、優柔不断で流れていく私の人生は落ちていくばかりだ。
ちゃんと自分の命をまき散らさなければ、私は線香花火たりえない。
足りてなかった。覚悟が足りてなかった。
こんな思いつきたてほやほやの精神論を言っても、明日には忘れていることだろう。
気分でものを言えば、その気分が終わってからは、その言葉はまるでなかったかのようになる。
感情とともに消え去る一時的な言葉だ。
無駄だったのかはわからない。
とりあえず、私は生きなければならない。
否定しないのなら、そうする他にない。
進み続けるしかない。
前を向き続けるしかない。
だから人生は不条理なんだ。
こんなこと言っても、明日にはどうせこの気持ちを忘れて、また適当にそれなりに生きているだろう。
それは間違いない。
前を向き続けるのはしんどいな。
やれやれ。
だから私は、無限に「やれやれ」という言葉が湧いてくる。
私にとって、人生はいつもキャパオーバー気味なんだ。
救われないなんてのは、私にとっては当たり前の法則だ。
まあ、私はよく頑張ってるよ。
本当にありがとうな。
私は君の味方だ。
よく生きているよ。
本当にお疲れ様。
私は君を拒絶できない。
私は君のおかげで存在できる。
それは確かなことなんだ。
君がいてくれて私は嬉しい。
この言葉に嘘はない。
やれやれ。
このへんで、バッサリと終了。
おつかれした。
また明日はやって来るけど、逆に私が迎えうってやるわ。
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