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夕凪が囁くとき…


© .23 ayami hoshino

まえがき

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この物語は、実話を基に、一部改変したフィクションとして描かれています。
 なお、登場する地名、団体名、個人名などは架空のものであり事実とは一切関係ありません。


第1章 春風ラプソディー

香澄は海岸線の国道にぎこちなく走らせていた。なぜなら、先日、バイクにぶつけられたからだ。
バイクは渋滞の国道の道を車の隙間から突然飛び出してきた。
軽く接触したくらいだからよかったが、思い切りぶつけられたらひとたまりもない。
それからというもの自転車の運転には気をつけていた。
ようやく自転車が修理から戻ってきたから試運転しに出かけたところである。
試運転などいつでも良かったのだが、「ついで」があったからだ。近くの大学に通う彼女は長い夏休み期間だったこともあり、サーフショップでバイトをしていた。
まだ初夏で空は澄み渡り青く、その藍色のグラデーションは遠くまで果てしなく続いている。海蝉が岩場で遠くを眺めて黄昏れている姿に香澄は笑う。
「なに?あの鳥。悩みでもあるわけ?うふふ…」
香澄はラッフルブラウスにデニムのジャケットを羽織って、白いフリルのスカートを風に靡かせていた。
彼女が急ぐのは理由がある。
「ごめーん!待ったぁ?」
香澄の視線の先には赤シャツにジーンズ姿のすらりと身長の高い男が立って海に眺めていた。
うふふ…
遅いッ!それに何笑ってんだよ。
赤シャツはピリピリしてはいたが、顔はほくそ笑んでる。
だってさぁ…
香澄は先程の黄昏海蝉の話しをした。
はは…そいつもおそらく恋の悩みだろ?
何?それ、アタシへの皮肉か当てつけぇ?
じょ…じょーだんだよ。
だって、返事はまだ聞いてないし、まったくそんな気配すら見せないじゃんかよ。香澄は。
アタシは今は恋愛どころじゃないのよ。
それは、事実であった…
香澄にはこの夏、やらなければならないことが山積みだった。
まだ悩んでるのかよ。卒論のテーマ。
まあね。それにお姉ちゃんの店のバイトもあるし…
圭一だって忙しいでしょ?
2人は合流すると自転車を押しながら近くのコンビニに寄った。
ここには、「海岸倉庫」と呼ばれるリカーショップを兼ねたコンビニがある。品揃えも豊富でおつまみなども多種多様。
香澄はいつものように、ピーチのワインクーラーを取ると数種類のつまみをカゴにドサドサと適当に放り込んだ。
香澄は外見はおとなしく、お淑やかに見られがちだが、性格は大雑把で男まさりなところがある。
ほうらッ!何突っ立ってんのよ。持ちなさい。
カゴを圭一に押し付けるとレジに向かう。
会計を済ませて荷物を持たされながら入り口を出た圭一。
香澄の自転車を改めて見るや否や
チャリ治ったみたいだね。
うん。ようやくね。
大切な自転車なんだろ?それ。
これはね、パパに大学受験合格の記念に買ってもらった大切なものなの。高いのよ。外国製らしくて。アルミのフレームあたりにFIATと書いてある。小型だが機能性のある人気のモデルである。
圭一は夕方からこのコンビニの近くにある洋食の店でバイトをしていた。
この海岸線には、洋食屋さんが立ち並ぶデートスポットで、「ふらんす食堂」「コスタブランカ」「ビストロバンサンク」などのご洒落た店は人気の店で、窓からは海を一望できる。
悪かったね。自転車があんなことになっちゃって。
もう言いっこなしでしょ?
圭一と香澄の出会いはつい最近である。
香澄の自転車に横からぶつかってきたバイクに乗っていたのが、圭一その人である。
香澄の自転車は海外限定の製品だったため、部品の取り寄せにかなり時間がかかっていた。
その間に、圭一は香澄のバイト先のサーフショップに足蹴に通い謝り続けていた。
香澄も圭一の人柄の良さから友人として関わり合うようになっていた。
香澄と圭一は海岸倉庫から海へ向かう道を自転車を押しながら歩いていくとやがて、眼下に海が広がる。
防波堤を乗り越えて2人で座ると下にはテトラポッドがいくつも並べられており、さっきの海蝉によく似た鳥が何羽も見える。
ここって、ほんとに好きだなぁ。アタシ。
香澄が言った言葉に嘘はない。
澄んだ空に青とアクアマリン色の海がとても綺麗だ。

桜井香澄

夜になると、向こう岸には夜景と車のヘッドライトが横並びになり恋人たちをよりいっそうとロマンティックにさせる。
まるで、幕張の稲毛海岸みたい。
あそこもこんな感じなんだよ。
稲毛の海は向こう岸に富士山とかも見えるんだよね。
香澄の故郷だっけ?
うん。マリンスタジアムとかスカイツリーも見えたりするしね。
俺はここから出たことがないから外のことは分からないなぁ。
え?なに?聞こえないよ。
空に基地から飛び立った戦闘機の音が地響きのように鳴り響き、香澄たちの声をかき消していた。
しかし、それは地元民の生活の一部でもあり、もう慣れていた。きっと観光客がいたら驚くことこの上ないと香澄はいつも想像していた。
志帆さんは?
姉貴は店にいるよ。
志帆とは香澄の姉の名前である。
香澄は袋からさきほど海岸倉庫で買ってきたものを取り出してプルタブをプシュと開けて渡した。はいッ…
香澄は大好きなピーチのワインクーラーのキャップを外して、乾杯する。この綺麗なサンセットに…乾杯ッ!
うーん。良い景色ね。
まるで心が洗われるよう…
波は穏やかでテトラポッドはそれをかき消すように静かに広がる海。
香澄は何故沖縄に来たんだい?
アタシ?
お姉ちゃんがサーフショップを経営しているから手伝いも兼ねてね。言わなかったっけ?それに…
香澄はそのあとの言葉を濁すように言葉を詰まらせた。
圭一もそれ以上は敢えて追求しなかった。
こちらから根掘り葉掘りとまるで尋問するかのような質問をするのを躊躇う。
女の子に対して失礼かと思われた。
圭一には、そういう気遣いと優しさがあった。
そんな圭一の性格を知ってか香澄は、それ以上のことはまだいうつもりもない。
アタシは海が好きなの。ただこうして、ぼんやりと海を眺めているだけで、心が落ち着く…。
香澄の過去に何があるのか分からない。
だけど、圭一は香澄と一緒に過ごす時間が好きだった。
会話はなくともその場が成立する関係ってあまり存在しない。
それが異性なら尚のこと。
空も海もこんなに透き通るくらい綺麗なのに、
心が寂しくなるって悲しい。
アタシのことよりも圭一はなんでレストランでバイトしてるの?
ああ、俺は料理が好きなんだよ。小さい頃からね。
小学生の頃に、家族にサンドイッチを作ったことがあってみんな美味しいって、笑顔で食べてくれたあの顔が今でも忘れられなくてね。
そういうことってあるだろ?
うん。分かるような気がする。
アタシにも同じようなことがあった気がするけど…忘れちゃって。
何年か前にね、お姉ちゃんに一緒にサーフショップをやらないかって誘われたことがあってね。
悩んでいたんだけど…。
香澄が言葉を詰まらせていたのを見て圭一はフォローをした。
神奈川に湘南パンケーキを提供している店があってね。
ハワイにもあるだろ?
あれが好きで、自分でも店をやりたいと以前から考えていたんだよ。
ああ、あれね。アタシも好きだな。笑
香澄は何も口にしなかったが、圭一がフォローをしてくれたことにも気づいていた。
内心ではとても嬉しくて圭一のそういうところが真の優しさだと気付かされた。
圭一は優しいね…
何故?
いや…別に。
俺さ…調理師と防火管理責任者の資格を取得しようと考えてる。
ふーん。ちゃんと将来を考えてんだ。偉いなぁ。
自分のやりたいことが見つけられるってすごいことだと思うよ。
アタシなんて、今だに将来なんて考えてないしやりたいことさえ見つからないでいる。
ただ、流されて今を生きてるような気がする。
友達がいくから大学に入学して、友達と同じ学科を専攻して、自分が将来何をやりたいのかさえ分からないでいる。
お姉ちゃんと一緒にサーフショップの共同経営するのもいいけど、それさえ本当にアタシがやりたいことなのか分からない。
今は若さだけが、武器だから何でもやれるような気がするけど、このまま流されたままでいいのかって思うときがある。
このまま歳をとったときに、はたして後悔しないか?ってね。
だから、あとから後悔しないように生きたいなって思うようになった。アタシ間違えてる?こんなんでいいのかな?
香澄…人間って悩んだり苦しんだり壁にぶち当たるときってさ、成長のときなんだってよ。
だから、香澄がこの悩みや苦しみから脱したら今よりもっと一皮剥けて成長した香澄になってると思う。
俺も偉そうなことを言える立場じゃないけどね。
圭一は27歳にしては、大人な考えの持ち主だ。
彼の中で、今までいろいろな苦労がそうさせているのだろう。
時折り、轟音をたてて鳴り響く空の騒音さえこの島では当たり前の音になっている。
永遠に続くような金網フェンスの向こう側は、治外法権。日本にいながら、全く日本の法律が通用しない。
しかし、彼らは休日には街へと繰り出してくる。
事件も全くないわけではない。
ここ、北谷町砂辺も近寄ってはいけない場所がある。
香澄と圭一たちのいる場所から海に向かい立つと右手のそのさらに奥のほう…。
そこには、治外法権から逸脱してくるように徘徊してくる彼らがいる。
気をつけないと基地内へと連れ込まれてしまうこともある。
地元の人しか分からない、ニュースにもならない話しは有名であった。
この辺って、以前は基地があったんでしょ?
香澄が海を観ながら何気なしに呟くように話す。
ああ。ハンビー飛行場があった場所だよ。
何年か前に変換されたんだ。
基地があったとき、7月4日のアメリカ独立記念日には、解放されて、軍人さんがバーベキューなどしてくれて地域住民との交流があってね。楽しかったのを覚えているよ。
今こそ開催されてないみたいだけどね。
軍人さん全員が悪いわけではないからね。
ファミリーで沖縄へ派遣されてきてる人もいるから。
圭一の話しに耳を傾けながら香澄はいう。
「このまま、ときが止まってしまえばいいのに…」
香澄の呟いたひとことには、とてつもない重みを感じた。
…この子の中で何かがあったんだろうな。
香澄の心のうちは分からないがいつも平常心を保っていそうでありながら、実は繊細な彼女。
志帆さんの店にチャリ置いてきなよ。
バイクで北部までぶっ飛ばそうぜ。
それ、いいね〜。でも、飲酒してんだよ。うちら。笑
いけないんだぞ。そういうの。
香澄も案外お堅いところがあるんだね。
あッ!何ぃ〜その言い方は…
お互いに顔を見合わせて、黙るとそれを嫌った香澄が笑い出した。
ま、遠出はまた今度ということで…。
何か遠回しに断られたような気がするなぁ。笑
そういう意味じゃないよ。
今日はそんな気分じゃないの。バイトが休みだから論文のテーマを探さないとね。いつまでも学生気分でもいられないし。
香澄はバッグからイヤフォンを取ると右の耳につけて、左を圭一の左耳につけた。
♬〜♬〜♪
香澄はこの曲好きだね。
イヤフォンから流れ出す松任谷由実の「Destiny」
ユーミンの曲って元気が出るでしょ?
とくにこのDestinyは曲調はポップな感じなんだけど、歌詞は悲しいんだよね。そのアンバランスな感じが好きなんだよね。
香澄は海を真っ直ぐに見つめながら、しゃべっていた。
すると、突然横を向いて首を少し傾けて圭一を見つめる。
な、何だよ。
うんん。別に…。香澄は手で涙を拭いていた。
瞳の奥底にある香澄の心の中の悲しみが伝わってくるような力強さがあった。
そういえば、お姉ちゃんがね特殊小型船舶の免許を取得するらしいよ。
うちはパパも持っていたんだけどね。
パパのころは旧4級船舶免許と言ったらしいけど。
サーフショップを経営してるのに、免許もないのもおかしいってことになってね。
水上バイクくらいは操縦できないといけないって。
うちの店は海にも近いし、ライフセーバーもやってるし。
志帆さんは、目指すものがあって輝いてるね。
あ、香澄は目指すものがないって意味じゃないからね。
俺と変わらないくらいの年齢で店も持ってるし、すごいって言いたかっただけだから、気を悪くしないでね。
それに比べて俺は店をやりたいのに、免許といえば二輪しかない。
うふふ…そんなにアタシに気を遣わなくてイイんだよ。
優しいだけの男じゃ他の子にモテないぞ。圭一。
でも…圭一のそういう優しいところ…
香澄はそれ以上は口にしなかった。躊躇われた。
さぁて、そろそろ帰ろッ。
あ、ああ。そうだね。肌寒くなってきたしね。
香澄が肩を縮ませていたのを見た圭一はそう言ってバイクに向かう。
大丈夫?お酒飲んでんだぞ。
平気だよ。一本だけだし。待ってて。ゴミ捨ててくる。
香澄にそう言い残すと足早にコンビニに向かう。
香澄は圭一の後ろ姿を見ながら、バイクを見ると薄汚れている。
…ッたくもう、少しは洗車しなさいよ。
香澄は思い出したように、バイクに「sure love ! thanks」と指で汚れた場所に文字を書いた。
うふふ…気づくかしらね。バイバイ。圭一…
香澄は自転車に乗ると漕ぎ出した。
バイクのミラーあたりにバックから取り出したメモの切れ端に殴り書きをした。「先に帰るね…」

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