自認がアロマ/アセクの私。覚悟のなさに泣き暮れている。

アラサー、戸籍上の性別は女性。今、ものすごく悩んで凹んで毎日泣きそうになっている。

『一度書き出して整理したらどうか』とアドバイスを受けて、慣れない中初めてのnoteをつけることにした。

かなり盛大な自分語りであり取っ散らかっているが、結局何に悩んでるの?という部分は「目次:6」あたりからお読みいただくのがいいかと思う。


1,私は人と違う?を認識した時

覚えている中で、最初に『あれ?』と思ったのは保育園の時。
ひな祭りにお内裏様とお雛様で男女ペアを組んで写真を撮るというイベントがあった。

保育園の先生、いろんなイベントをやってくれてありがとう

幼い私は相手は誰でもいいや…と思っていた。しかし友達の女の子たちはペアで写真を撮りたい男の子を高らかに指名、さらには相手を巡って喧嘩をし始めた。

今思えば女の子は早くから、ませてるんだなぁ、と思う微笑ましいエピソードではあるけれど、(あれ?みんな、好きな男の子がいるんだな)と少し不思議に思った出来事だった。

続いて小学生の時。

仲のいい同性の友達がする恋バナや少女漫画の話に全く興味がなかった。何なら男子の輪に混じって捕まえるバッタやトンボの生態の方がよっぽど興味があった。

ちなみに今も虫は結構好き

女の子たちの恋バナの輪に入れてもらうには『好きな男子』がいないとダメだった。幼い私は悩んだ結果『同い年のいとこ』が好きということにした。同級生が知らない相手を出すことで、からかわれたりすることもないだろう、と踏んでの選択だった。

一応、輪に入る権利は得たけれど、やっぱり恋バナにはついていけなかった。男の子の友達はいっぱいいたけれど、誰かを好きになることはなかった。

そのうちに、私のことを好きだという男子(A君とする)が現れる。
A君は隣の席になったりしてたくさんおしゃべりをしたし、ホワイトデーや誕生日にプレゼントをくれた。貰いっぱなしでは悪いと思って、私も何か返した。

私もA君のことが好きだった。友達として。恋愛的にどうにかなりたいという気持ちは全く想像できていなかった。

でも恋愛感情があるA君からは『脈がある』と思われてしまうのは当然の振る舞いをしていたとも思う。誕生日に贈って貰ったペンとか使ってたし。
私の仲のいい女友達も良かれと思って無理やりにくっつけようとしてくる。小学生はそういうの大好きだから、みんな囃し立てた。『好きなんだろ!』『付き合っちゃえよ!』と。

ある日、そんな風にみんなに囃し立てられ続けた私は混乱してしまって『A君のことは友達だけど付き合うとかそういうのはない』と言って泣き出してしまった。A君も、泣かれるほど嫌だったのか…とものすごいショックを受けていたようで、しばらく学校に来なくなってしまった。女友達にも『嫌がってるとは思ってなくて』と謝られたけれど、なんとも言えない後味の悪さが残った。

A君のことは友達として好きだったのに、こんな形で疎遠になってしまうことに、何だか理不尽も感じたが、思わせぶりな態度を取っていた自分にも非があるのかな、と分からないなりに反省をした。

2,恋愛からかけ離れた思春期

中学生になって私はオタクに目覚める。

オタクになった理由は『その作品が好きだったから』に間違いはないのだが、今思えば『オタクの友達とはアニメや漫画の話を楽しくしていればいい!理解できない恋バナの必要がない!』という無意識の逃避もあったのかもしれない。2次元こそ至高!3次元には興味ねぇ!と意味も分からずに定型文のように唱えていた。

それでも、ちょっと性知識が進んだ友達がこっそり見せてくれたR18のBL作品(※当時はこの辺の規制がゆるゆるで、普通に個人経営の書店とかで同人誌が購入できた。もちろん未成年が年齢制限された作品を見るのはダメですよ)にはあまり惹かれなかった。カップリングというのは分かったが、恋愛が分からないので『仲良しコンビ』程度に見ていた。

今はBLのR18作品も好きな作家様が出していれば読むけど
行為部分にはそこまで興味ないかなあ…という感じ

また『夢女子』の才能もびっくりするくらいなかった。私が好きになるのはどちらかと言えば男性のキャラクターだが、自分を投影した女の子にそのキャラクターが恋愛感情を向けてくることにはどちらかと言えば嫌悪感があった。こんなにカッコよくて好きなのに。本当に不思議だ。

※便宜上『夢女子』と書いていますが、夢主=自分の投影とは限らないということは承知しています。

ここでも何か自分がズレている感覚はうっすら感じていたと思う。

高校生になっても同じようにずっとオタク気質のちょっと痛いやつで通していた。同じ部活の友達が放課後彼氏と手を繋いで帰っているのも、なんだか遠い出来事のように見ていた。『いつか私も恋愛が分かるんだろうか』と思っていたような気がするが、ピンとは来なかった。

しかし痛いオタクの私のことを好いてくれる男性がまた現れた。B君である。
B君は私と一緒にずっとポケモンをやってくれるクラスメイトだった。私が延々とポケモンの話をしても飽きずに聴いてくれた。

B君に直接告白されるのは社会人になってからなのでまた後述するが、B君が私のことを好きなのはほとんど周りには知れていた。B君が所属するウェイ系運動部の連中がB君のケータイ端末を奪い、B君を騙って告白まがいのことを私にメールしてくる始末であった。(これ結構ひどいと思うけどな!可哀想に)

私もB君のことが好きだった。友達として。
一緒に帰ったり、メールしたりするのは楽しかった。でもやっぱり恋愛の感情は分からなかった。手を繋いで、ハグして、キスして…というのは全然想像が付かなかった。

周りも、私自身も『B君の私への好意』を知っている…という形だったが、特にB君とは何も起きずに高校生活は終わった。恋愛とは無縁な、何とも楽しい学生生活だった。

3,大学のサークルで知る『普通』

大学生になって、100人くらいが所属する規模の大きいサークルに入った。飲み会とか、合宿とか、終電を逃してカラオケとか、先輩の車でドライブとか、いわゆるお気楽文系大学生のテンプレのような経験をたくさん積ませてもらった。

そんなオタクでもない大学生コミュニティの会話で、最も頻度が高い話題はやっぱり『恋バナ』だった。誰と誰が付き合うとか、別れるとか。
だけど私は大学生になっても(そんな恋バナよりバッタとかトンボの話した方が楽しいのになぁ)とまだ思っていた。誰と誰が付き合おうと本当にどうでも良かったが、一応興味がある体で聞いていたし、喪女だけど恋愛分かりますよ〜!的な雰囲気を出して当たり障りのない相槌を打っていたと思う。

ただ、恋バナを聴いて『大多数の同世代の人間が、何に興味を持っているのか』というのをこの大学4年間のサークル活動で探れたのはかなり大きな収穫だった。恋愛の感情を持たない人間が普通に恋愛をする人間の気持ちを理解し、「それ分かるわ〜」という振る舞いをするのに、彼ら彼女らの話や経験は大いに役に立った。
本当は全然恋愛には興味がないけれど『一般知識と処世術』を身につけておいた方が、やっぱり生きやすいのだ。

4,社会に出て

大学を出て社会人になった。新卒入社した私の会社はあまり社員の人数が多くない。歳の近い社員も少なく、いわゆる誰かと職場で『良い仲』に発展するような出会いは起こらなかった。

学生時代の友達とは疎遠になった人もいるけれど、付き合いを続けている人たちも結構いた。またSNS経由で出来たオタクの友達もたくさんいる。寂しさとは無縁だ。

社会に出て3年くらい経った頃だろうか、社会人になっても定期的に会っていたB君にふたりきりで美術館と食事に誘われた。本当はいつも一緒に会っている共通の友人も来ることになっていたのだが、直前でドタキャンの連絡があった。(共通の友人としてはそりゃここに入るのは嫌だっただろうな、と後から思う)

「せいかく:のんき」の私はこの時点でもまだ『友達と美術館見てご飯食べて帰ってくるんだわーい』みたいな気持ちだった。B君が私のことを恋愛的に好きだったのは知っていたが、高校生のあの時に告白してこなかったと言うことは『私がそういうのを望んでいない』ことが分かってるんだろうな、と勝手に思っていた。

美術館を見て、ご飯を食べて、さぁ帰ろうかという時に、B君が『ちょっと2人で歩かない?』と言い出して、私は夜の上野公園に連れられていく。
のんき(B↑S↓)の私でも分かる。これは告白されるやつだ。告白はダメだ。私にとって死刑執行を待つ心境に等しい。だって友達ではいられなくなってしまう。

案の定、B君は一息つくと『高校生の時から好きだった』と告白をしてくれた。高校から実に何年越しの恋だろう。慣れないムードを頑張って作って、一生懸命告白したんだと思う。

何度も言うが、B君のことは好きだったし一緒にいて本当に楽しかった。でもそれはやっぱり『触れ合いたい』『ずっと一緒にいたい』という恋愛の感情ではないのだ。変わりない友愛の気持ちだ。彼に向けられる恋愛の感情は私にとってはうっすらとした嫌悪感しかならない。

私はどう回答しようか混乱しながら『ありがとう、知ってたよ』みたいなことを返した。多分この回答なら振ったことになるんだろう。
B君はくしゃくしゃに顔を歪めて『そうか〜知ってたのか〜』と無理に笑っていた。

そのまま駅の改札でお別れした。B君とはその後数回共通の友人と一緒に会うことがあったが、特にその話は盛り返されなかった。そのうち、LINEデータが消えたのか、連絡が取れなくなって音信不通になってしまった。

5,マイノリティを自認する

そんな苦い思い出も経験して、20代後半に差し掛かる。

仕事ぶりもそれなりに評価されてそこそこ稼げるようになり、プライベートのオタ活も楽しかった。一人暮らしを始めて、コロナ禍になり、ますます外に出なくなったが、元々インドア派なので特に苦痛はなかった。SNSで、日常の報告やフォロワーととりとめのない話をするのが日々の楽しみだった。

ただこの頃になって自分のこれまでを見つめ直し『恋愛に興味がない』のは、どうやら少数派なのでは?と言うことに気がつき始める。

友達に恋人ができたり、結婚したり。そういうのをどこか遠くの出来事のように見つめていたけれど、だんだんと周りに近づいてきたあたりで『ん?』と。

『恋愛 興味がない』『人を好きになれない』みたいな検索ワードで、やっと自分の正体を掴んだ。これだ。私はマイノリティ側の人間なのか。

例えば

『女の子にも性欲はある』
『抱かれたい男ランキングは、割と本当に女の子が抱かれたいタレントがランクインしている』

恥ずかしながらこういうのは本当にこの頃になって「そうなのか」と知った。ごく一部の性欲が強い肉食の女の子だけだと思っていた。

匿名のSNSならば、フォロワーたちは表では話せないようなちょっと際どい性の話も赤裸々に語る。それを聞いていて、『自分はいわゆる世間一般の多数の人とは違う』というのをやっと自覚したのだ。

ただ、まだ『そうか、私は恋愛感情や性的感情を他者に抱かないのか』と漠然と理解しただけだった。将来どうしたいかとか、そういうのは全然考えていなかった。毎日が苦手な恋愛と無縁で楽しかった。

6,アラサーに差し掛かって

ここからが現在の話である。
恋愛感情とは関係のない、楽しい日常。仕事も順調だし、友達も旅行や趣味に付き合ってくれるし、SNSにも仲間がいっぱいいる。異性にうっすら恋愛感情を持たれてしまうこともたまにはあったけど、うまいこと躱して友達として楽しく交流した。この先もずっとそうなのかと考えていた。

ただ、私には願望があった。
自分の子供を産み育てたいという気持ち。

子供が生まれるとしたら『恋愛→結婚→子宝』というのが大多数が辿るルートだろう。

しかし、私には『恋愛』ができない。人を好きになることがない。なんなら嫌悪感さえある。たまに会う友達ならまだしも、好きでもない相手と四六時中暮らせる自信がない。

そんな状態で『子供がいたらいいなぁ』などとのんき(B↑S↓)に考えたままこの歳になってしまったのだ。本当に本当にアホなのだが、具体的にどうするのかの対応策も考えずに。

7,「覚悟」が道を切り開く、それなのに

子供を産み育てるというのは覚悟が必要だ。
ただ『産みたいから産んだ』だけで責任は取れない。親はその子が幸せに育つように努める義務がある。

恋愛感情がある方には、おそらく『恋愛感情がないのに、人を好きになれないのに、子供だけ欲しがるなんておかしい!』と理解できない方も多いのではないかと思う。でも自分の中で子供を育てたい気持ちはずっと湧き上がっているのだ。

最近それが顕著になった。
仲の良かったオタクの友達から次々と『彼氏が出来た』『同棲を始めた』『相手の家族と食事をしてくる』と連絡がくる。

別に『裏切りやがって!』とは全く思わない。『私と違ってきちんと人と触れ合っていてすごい』と言う尊敬の気持ちと『みんな恋愛を理解するんだ…』という寂しさが去来するだけだ。

確かにもう適齢期だ。子供が欲しいなら流石に動かないといけない。なんで今まで何も考えずにいたんだろう。私は焦り始める。

慌てて『アセクシャル 子供』で検索を始める。
調べたり、考えたりした中で、主だった方法は下記である。

①セクシュアリティを隠してor我慢して男性と出会って交際し、普通の結婚をする

『そういうの苦手で…』と言ってごまかしつつ、なんとか結婚・妊娠まで切り抜ける方法。

相手の方も恋愛・性欲方面に関心が薄ければ特に問題がないが、そうでなかった場合はただ申し訳ない。第一、小学生から異性に恋愛的に見られるのが苦手だった筋金入りのやつがそんな生活に耐えられるんだろうか。同居人として慣れればいけるんだろうか。

②性的マイノリティ向けのサービスを探してお互い合意の上で友情結婚する

こちらの方が現実的のような気がする。するが…

自分で言うのもなんだが、私はあまり秘密を守れない開けっぴろげな性格である。相手も同じようなタイプなら良いが、基本的には性というのはセンシティブであり、カミングアウトは絶対にタブーだろう。

子供云々の前にお相手の人生を、私のうっかり軽口や行動ひとつでめちゃくちゃにしてしまう可能性がある。長年秘密を抱えて生きる覚悟がないなら絶対やめた方がいい。

③法整備などが整っていないが、精子バンクなどを利用して選択的シングルマザーになる

子供だけが欲しいのなら1番現実的な方法ではある。

ただ、私には『私のエゴで会ったことのない父親の子供を産み、子供にもそばに父親がいないことを理解させて育てる』という覚悟が出来ない。

利用された方を非難したいわけではない。覚悟を決めてお子様を育てておられるのだろうから。私は弱っちいので覚悟できないのだ。

④持っている人脈から『恋愛にあまり興味がない男性』あるいは『恋愛に関心がない相手と結婚しても構わない男性』を片っ端から斡旋し、恋愛をすっ飛ばして結婚する

そこまで知り合いの人脈は広くないし、それが出来てたら何にも問題はないんじゃがのぉ。

⑤諦めて独身を謳歌する

これが1番誰にもご迷惑をおかけしない。
不幸になる人間は私以外にいない。
後で『あの時、子供を産んでおけば良かった…』という後悔の気持ちが湧き上がった時に耐えられるかどうかだ。

8,自認がアロマ/アセクの私。覚悟のなさに泣き暮れている。

先日、とりあえず焦って登録したマッチングアプリでメッセージを送り合い、気が合った方と実際に会って食事をしてみた。
話もそこそこ盛り上がったし、次も会いましょう!とその場では連絡先を交換した。
でも心の中で渦巻くのは『やっぱりこの人と暮らすのは無理だろうな』というマイナスの感情だった。友達だったらきっと仲良く出来た。でも伴侶だと思ったら無理だと思った。

結婚相談所の無料相談にも行ってみた。『お客様は素敵な方ですし、本気で活動すればすぐ成婚できると思いますよ!』と優しいセールストークを受けた。でもやっぱり『相手を愛せない』ということは言い出せなかった。愛想笑いをして、考えておきます、と伝えて帰った。

ようやく、30代になって初めて、『人を恋愛的に愛せない』ことへの苦しみを理解した。

なんで私は多数派に産まれられなかったんだろう。なんで大多数の人間が共感する『恋愛』を、三大欲求の中に含まれる『性欲』を、理解できないんだろう。

誰かに聞いて欲しくて、勇気を出して母に泣きながら相談をしてみた。
母は優しい人なので『それは貴方の個性だから、貴方が1番幸せになれる選択をして欲しいし、どんな選択になっても私はそれを全力でサポートしたい』と言ってくれた。
30歳にもなって今更親に泣きついている自分が情けなくて嫌になる。私は父に、母に、自分の産んだ子を抱いて欲しいとずっと思っていたのに、全然中身が伴っていなかった。幼い子どもが嬉しそうに語る将来の夢の話と、ほとんど同じだ。

誰から責められたわけでもないのに、勝手に自分で自分を責めてずっと苦しくなっている。いつか考えなければならない問題を先送りにした。この歳にもなって、みんなが覚悟して選択していることを、なんで何にも考えずにのうのうと生きてきたんだろう。自分がマイノリティに属しているなら、人よりもっと考えなきゃいけないかもしれないのに。

あの時、B君に告白された時、ちゃんと『貴方に恋愛感情を抱くことは多分できない、でもそれは貴方のせいではなく全人類に対してそうなのだ』と伝えて『それでもパートナーにしてくれますか』と一言返していたら、人生が変わっただろうか。せめて前者だけでも伝えてあげたかった。私のようなやつのことを理解して欲しかったし、貴方が人として嫌なわけじゃないと伝えたかったな。

最近、あんなに楽しかった色んな趣味が手につかなくなってきていて、自分の人としての面白さも失われていく気がしていて、鬱屈としている。今これを書きながら泣いている。傍から見たら自滅である。滑稽だ。

私は、どうしたら良いんだろう。どうしたら答えが出るんだろう。悠長にしている余裕はないのに、今日もそうして過ぎていく。


※文中に出てくる表現について、筆者の無理解により間違った意味で言葉を利用している可能性があります。読んだ方や性的マイノリティの方を意図的に傷つけたいわけではありません。不愉快な気持ちにさせてしまった場合、無知を恥じて謝罪いたします。



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