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選択

昨日の夜、おすすめにあがっていたこの題名に目が止まった。なぜなら、2度目の流産をしたとき、真逆の感想を持っていたから。

題名を読んだ時、この記事を読むかどうかとても迷った。とてもとても気にはなるけれど、子供を産んだことに対する幸せに、私が傷ついてしまうかもしれないと思ったから。それでもやっぱり気になって、勇気を持って読んで良かった。

2度目の稽留流産が判明した後、夫は私を道の駅までドライブに連れて行ってくれた。赤ちゃんの心臓は止まっていたけれど、まだ私のお腹の中にいて、つわりも残っていたけれど、流産手術の日が迫り、だんだん実感が出てきた頃。

その日はとても晴れていて、ドライブ日和だった。視界が灰色がかっていた私にとって、その日はとても眩しくて、嫌でも視界は明るくなった。浜松の国道1号バイパス沿いからは、荒い波が押し寄せる海が一望できて、青空によく映えていた。どこまでも続く空と海が爽快だった。

大好きなゆーみんの「やさしさに包まれたなら」をBGMに、何度も繰り返して出てくる「目に映るすべてのものがメッセージ」という歌詞を聞いては、この明るくて爽快な景色からのメッセージを考えていた。ああ、そろそろ夫と話をしてもいいかもしれない、とふと思った。「ちょっと、話してもいい?」と、運転席の夫を不安気に見ながら声をかけた。「いいよ」と言われて、とてもホッとした。夫も話を聞く準備はできていたらしい。

「自分では頑張ってやってきたつもりだったけど、納得のいく結果が得られなくて。これまでの不妊治療も、人生も全部間違っていて、ムダだったのかなって。これからどうしたらいいのかわからない。」助手席で泣きながら話す私に、夫はがんばって励まそうと、そんなことないとか、おれも同じ気持ちとか、そんな言葉を必死で投げかけようとしてきたけど、私は夫が握ってくれていた手が1番嬉しかった。

あれから3ヶ月くらいたったのか。あんなに泣いていたのに、案外あっけなく答えに辿り着くものだ。「子供は今までの人生を肯定するために生まれてきてくれたのかなぁ。」

夫と結婚してから、選択の連続だった。式はどうするとか、どこに住むとか、どこで働くとか。特に、不妊治療を初めてからは、自信をもって選択できたことは1つもない。未知の世界に手探りで飛び込んだみたいな感覚。正解はないけど、結果ははっきりと出る。結果に対して、原因はわからないことの方が多い。今までの人生の常識は何も通用せず、常に途方に暮れていた。だから、流産という結果に、全てが失敗だったと突きつけられた気分だった。

確かに、1つでも違う選択をしていたら、流産はしていなかったかもしれない。けれども、1つでも違う選択をしていたら、妊娠もしていなかったし、2つの命に出会えていなかった。このnoteにも出会えていなかったし、夫が泣いている私を慰められるなんて知らなかった。

私がやってきたことはムダではなくて、間違っていたわけでもない、そう思ってもいいかもしれない。私をお母さんにしてくれた2つの命が、私の人生を肯定してくれているのかもしれない。

古川マリーナさん、こんな重苦しい感想を持たれるなんて想定外だったろうか。けれども本当にありがとうございます。まだ、「かもしれない」としか言えないけど、私にとっては大きな一歩です。これからも陰ながら応援しています。

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