婦人科医師が婦人科の病気に罹った話(子宮筋腫編②)

前回の続きです。

スプレキュア®︎やリュープリン®︎という月経を止めるホルモン治療は、行っている間は月経による不快な症状は緩和され貧血も改善されますが、副作用がありました。女性ホルモンが低下するために起こる更年期のような症状です。(副作用の発現や程度は人によります。)
私の場合は、上半身のほてりや、外陰部の乾燥感・チリチリするような痒みが起こりました。特に後者が私のQOL(quality of life 生活の質)を下げ、治療継続を困難にしました。
小さい子供のようにボリボリと掻くわけにもいかないのに、一瞬とはいえ身をよじるほどの耐え難い痒みに襲われます。平気な顔を装うのが大変でした。
そのため月経を止める治療は断念し、以後は低用量ピルを10年近く服用することになります。その間に離婚を経験しました。子供は私が引き取りました。

ピルを飲んでる間は快適で、月経量も少なくなるし月経痛も殆どないし、妊娠の心配もないし子宮体癌や卵巣癌のリスクも下げてくれるしで、一石三鳥くらいの気持ちでピルの内服を続けていました。

内服している間は、子宮内膜症の発症リスクも下げてくれていました。この重要なポイントを見落としていて後で泣きを見ることになります。

37歳くらいになると、急に検診の採血で中性脂肪が上がってきたのを目にしました。もともと痩せ型で、メタボからは遠いところにあると思っていましたが、当時色々調べた結果、海外から安く個人輸入していた低用量ピルのせいかもしれないと思い至り、ピルの内服をやめてしまいました。(これを後で後悔することになります)

そうこうしているうちにまた月経が重くなってきました。でもなるべく強い薬は取りたくないと思い、カロナール®︎と子宮の痙攣を止めるコリオパン®︎と漢方薬の芍薬甘草湯(鎮痛3点セット)で何とか痛みのコントロールをしていました。

あるとき、父方の叔母が子宮筋腫を漢方薬で治した、という話を聞きました。子宮筋腫は瘀血(血の滞り)と関係があると言われ、ツムラでもお馴染み駆瘀血剤の桂枝茯苓丸(粉薬)がよく処方されます。私も長らく飲んでいましたが、はっきり言って筋腫を小さくするまでの力はないと考えていました。
しかし叔母がとっていたのは、昔ながらの処方の黒褐色の丸薬でした。桂枝茯苓“丸”というだけに元は丸薬だったのです。特別に昔ながらの処方で丸薬を作っている薬局があり、それを取り寄せて食べていたとのことでした。
早速私も同じ薬局に注文して丸薬を取り寄せてみました。黒っぽくつやつやした1センチ位の丸薬がビンにたくさん詰まって送られてきて、食べてみるとシナモン(桂枝)の味がして美味しいものでした。
ですが保険が効かず月に数万円のコストがかかるため、残念ながら長続きせず効果を検証することも出来ませんでした。
後日談ですが、叔母は筋腫が治ったものと思っていたようでしたが、閉経後しばらくして婦人科で診てもらったところ、閉経して小さくなっていたはずの筋腫が大きくなっているとの事で、悪性の心配から結局子宮全摘手術を受けたのでした。

私の話に戻りますが、38才頃のある時、デパートで買い物をしていた時に耐え難い鈍痛に襲われ、トイレから出られなくなりました。月経直前でした。何とか持っていた鎮痛薬3点セットを取り、落ち着かせてから帰宅しましたが、これは何かまずいことが起きていると感じたため勤務先の先輩医師に診察してもらうことにしました。
すると、筋腫は6,7cmとかなり大きくなって多発しており、症状からしても何らかの治療が必要との共通の認識に至りました。(今ならここでミレーナ一択なのですが…。)

そこで取りうる選択肢は、子宮筋腫核出術、子宮動脈塞栓術(UAE)、収束超音波療法(FUS)などが候補に上がりました。
しかし、お腹を切るのは嫌でしたので(散々切っておいてスミマセン💦)、保険の効くUAEか、保険は効かないけれど被曝の心配もないFUSかで迷いました。FUSは10センチ以上はダメとか大きさや個数に制限がありましたが、私の場合は条件をクリアしているだろうと考え、まずはFUSを受けてみようと思い立ち、MRIを撮って先輩に紹介状を書いてもらい、FUSをやっている地方の総合病院の予約を取って出かけました。

車で3時間くらいかけてはるばる出かけた先で、MRI画像を見た医師からあっけなく言われたことは、

『あなたの筋腫はFUSの適応ではない』

でした。
拍子抜けでした。
どうやら大きさや個数の他にも条件があり、あまり仙骨に近いところに筋腫があると、熱により神経に影響をきたす恐れがあるとのことで、収束超音波を当てられないとのことでした。

気を取り直して次に考えたのはUAEでした。

MRI画像と紹介状を持って都内の総合病院を訪ねました。こちらでは、UAEの適応とのことで、入院の予約を取り術前検査をして帰宅しました。

そしていよいよ入院のとき。
季節は残暑の厳しい9月でした。
その年は厄年か⁉️と思うほどの災難が続いた年でした。
子供が高校受験の年だったのに夏休み明けから不登校になってしまった、母が急性心筋梗塞で入院し命の危険に晒された、父も同時期に腰椎すべり症で入院し8時間にも及ぶ腰椎固定手術を受けた、など。
両親が同時期に自宅から反対方向の違う病院に入院したため、残暑のさなかお見舞い通いが大変でした。

10年近く経った今では、母も父も元気で、子供も紆余曲折ののち何とか大学を出て就職したので一安心しておりますが、子供が中3で不登校になった時は目の前が真っ暗になりました。

実は医師の子供には不登校が多いのです。

そこからどのように子供が学校へまた行くようになったか、どのように自分の人生に責任が持てるよう自立していけたかは、世の中に広く報告して行かなければならないと感じていますので、今後記事にしていきたいと思います。

今一言で言えることは、

『絶対に子供を精神科へ連れて行ったり精神科の薬を飲ませたりしてはならない』

と言うことです。

というわけで、UAEの話題に戻りたいと思いますが、長くなりましたのでまた次回に続きをお話ししたいと思います。

(つづく)


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