センスは作れる

今日は白旗を振るのはまだ少し早くないですか?というお話しです。

さて、

ぼくは比較的空気や流れを掴み、その場に適切な表現で受け答えや的確なツッコミなどを入れられる自信があります。
つまるところ、表現方法が豊かでコミュニケーション能力が比較的高いです。(見ての通り文章力はありません。すみません笑)

突然なんのこっちゃと言った話しですが、
今日仕事で会議があったんですが、同僚の受け応えが基本的にモゴモゴしていて的外れなんです。

その心はおおよそ自分の痛いところを突かれて言わば言い訳にならない言い訳で頑張って取り繕っていたようです。

見かねてぼくが間に入ってうまいことまとめたわけですが、

ふと、ぼくのこのコミュニケーションの高さや表現方法の豊かさはどこで養われたのかと考えてみたんです。

ぼくはひとりっ子で兄弟もいないため、ゲームやマンガが大好きで遊ぶことが多かったです。

両親もそのあたりを理解してくれてよく買い与えてくれました。

なので、ゲームやマンガ目当てでも周囲に友達が集まってきたんですね。

特に小学生くらいまでは仲のいい友達と毎日家でゲームやマンガ、外へも連れ出してくれるので所謂小学生らしい遊びをしていました。

中学になるとぼくのひとりっ子の部分が色濃く顔を出し、どうやらそれが気に入らなかったようで全員離れていきましたが、

この経験は大きかったのかなと思っています。
こうした中で人との関わり合いや距離感の測り方、チャンネルの合わせ方に興味が芽生えました。

それからは兎角、そうした周囲の人の感情に敏感に生きてきたように思います。

話しを戻してなにが言いたいかと言うと、

コミュニケーション能力の高さや表現、
むしろ「センス」と呼ばれるものは全て行動した数つまり、「量」で作られたものだということです。

さらに咀嚼してみると、センスは行動の数によって作られ、行動は知識によって作られる。

ハワイの海を知っている人は緑に近い色で海を描くでしょうし、日本の桜を知っている人はビビットピンクで描かないし、アンミカさんに黒を使わせたらとんでもない絵が出来上がりそうです。

極端な考えですかね?

たしかに、これでいくと、
これまでセンスを言い訳に負けを認めてきた中学の部活も高校のカッコいい先輩への嫉妬も自分の量(努力)が足りなかっただけかもしれません。

ただ、前向きな思考で捉えるとセンスがないという選択肢がない。

つまり、「量で勝てる未来」があることになりませんか?

というわけで、ロジカルなロマンの話しでした。

それでは、お疲れ様でした。





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