無意識の努力や継続

お疲れ様です。
今日は「無意識の努力や継続を作るもの」について書いてみたいと思います。

ぼくはかれこれ10年以上、筋トレをほぼ毎日継続しています。
当然、その時々で内容は変わり、ジムで行うこともあれば、自宅で行うこともあり、最近では近所の公園の遊具を使用して行ったりしています。

さらに、美容意識が無駄に高いため、16時間空腹ダイエットや腸活なんかも取り入れ、これまた3年くらい継続しています。

これらの共通点は目に見えた効果が出にくい故に継続できないものとしての一端を担っているかと思います。

なので、この手の話しをすると、友人や同僚などからはストイックだねと褒められ(半分呆れて)ます。

しかし、当の本人は決して努力してしているつもりはなく、むしろストイックとか努力、継続といった類いのものは苦手な分野なんですね。

ここにどうやら認識の乖離があるので、これを紐解いてみたいと思います。

まずですね、世間一般的に筋トレみたいな苦痛を継続するにはその都度、モチベーションの維持みたいなお話しになるんですが、ぼくの場合、毎日意識高くいられているわけではなく、なんならあまりモチベーションに頼ったことはないんです。

なにに突き動かされているのかと問われれば困るのですが、最早これまで何年もやってきたことで仕方なくぐらいの感覚が近いです。

この心境に至ったルーツはどうも過去の体験から来ているようが気がしているのですが、ぼくは両親と年が35以上離れており、詰まるところ両親は少し年齢を重ねてからぼくを出産していて、さらにひとりっ子ということもあり、昔から「かわいいかわいい」と褒められて育てられたんですね。

良いのか悪いのかはわかりませんが、物心ついた時にはぼくはかわいいのだと、ある種キャラみたいなものを自覚するようになりました。

振り返ると、ここから自分のする立ち振る舞いは、かわいいやらカッコいい【キャラ】に寄っていた気がします。※ウザいですね笑

モチベーションに話しを戻すと所謂、継続には「褒められた経験」が功を奏すことが一つのパターンとしてあると思っていて自らもっともっととなるような状況を作り出せたら勝ちなのかなと。

あえてモチベーションとして話しを整理するなら、
モチベーションが元々-2や-1のものと+1や+2のものがあり、褒めるという行為はモチベーションに+を与える行為だと整理できるのではないでしょうか。

常に+から始まるモチベーションは最早、食欲とか欲に近いものでこれが【継続】だと思います。

取り止めのない話しですみません。

過去の褒められた経験とキャラを照らし合わせると長く努力できるものが見つかるかもねという話しでした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?