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なくなっても、残されたひとの中に在りつづける

人生、人が生きることに「一生」という言葉は使えないのですね。

洋服棚にしまってあったまだタグのついている礼服を取り出し、初めて袖を通す機会がありました。

成人してからは初めての経験でした。

身内の方ではないですが、見かけたらよく挨拶をしたことがある方でした。

とても不思議な感覚でした。
その方のお写真が飾ってあって、たくさんの方々が私と同じように黒い服を着ているんです。

私の小さい頃の記憶の中にいた、あの方がもういなくなってしまった。

ご家族の方はどんなお気持ちなのだろうと考えると、涙が出そうになります。

この呆然とした感覚をどう言葉に落とし込んでよいのか、書きながらもよく分かりません。


私の祖母の姉弟も、少し前に続いて天国に旅立たれました。

私が小さい頃、お正月に着物を着せてもらって親戚の集まりに参加したとき

そのおふたりは「あら~!可愛いね!」とにっこりと笑ってくださったのを覚えています。

おふたりとも遠くに住んでいらっしゃって
なかなか連絡も取れなかったみたいだけれど、

祖母にとっては本当に心から大切な姉弟でした。

祖母は知らせを聞いたと私に話してくれたとき、ぽろぽろと泣いていました。

私は祖母を抱きしめて、背中をさすることしかできませんでした。

彼女が抱える本当の悲しみの量、
私にははかることができません。

祖母は、お姉さん弟さんとの思い出話をたくさんしてくれました。

ひとの体はなくなってしまっても、
「そのひとと過ごした時間の中でつくられた
鮮やかな思い出や記憶」は残されたひとが忘れない限り、ずっと在り続けるもの
なんだと
祖母の話を聞いていて思いました。

当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、これはとても尊いことです。


私のことになりますが、今年、何度も何度も
砂のように粉々になって、この世からいなくなりたいと願っていました。

「もう本当に消えたい、苦しいから、もう」と
家中に響く声で泣き叫びました。

家族は痛いくらいに私を抱きしめながら、
「それだけは本当にやめて」と泣きながら私に言いました。

新しい礼服を身にまとい、
式場に向かい手を合わせたとき
祖母が涙を流したとき

そのときの出来事が一気によみがえりました。
そして私はなんて失礼なことを言ったんだと思いました。

もしその時の願いが本当に叶えられてしまっていたのなら、
どれだけの人が悲しみ、涙を流してしまうんだろう。

残された大切なひとたちの中の、私の記憶は
楽しいものじゃなくて、思い出すたびに辛く悲しいものになっていたかもしれない

私は今この瞬間に存在していて良かった。
まだ生きられるこの命、身体。

あのとき、その選択をしなくてえらかったと思います。


守ってくれた人たちの中に残る
私との思い出が、もっと明るい色になるように

これまで守ってくれたひとたちと、
これから現れる大切な人たちを
私は精一杯守っていけるように

残りの時間はそんな風に過ごしたいです。

感謝の気持ちをたくさん伝えて、たくさんの幸せを願って、そして大きな愛を持って。


最後に
自ら命を断つことを選択されたご家族やご友人がいらっしゃる方へ

これは、淵に立った経験のある人間の一つの思いですのでご了承ください。


その方はきっと、本当に、とても優しい方だったのではないかと思います。

ご家族やご友人に迷惑をかけるのが嫌だったり、
辛さが周りの方々に伝染してしまうのを恐れ、
何も悩みや辛さを打ち明けることがなかったのではないでしょうか。

残された側の貴方はきっと、後悔の念で溢れていると思います。涙も枯れるほどに流したと思います。

でも時間というものは不思議なもので、痛みも苦しみも全てを癒す力を持っています。

貴方の後悔と悲しさの全てを消すことは難しいかもしれません。

しかし、きっといつか貴方とその方が過ごした楽しい思い出や嬉しい思い出が頭の中に浮かんでくる日がくるはずです。

ご自身を責めないでください。
その方はきっと天国では楽になって日々を過ごしているし、貴方を見守っていると思います。

大丈夫です。貴方はきっと大丈夫になれます。
そして大丈夫になれなくても、大丈夫です。

土砂降りの雨もそのうち止んで、きっと晴れる日が来ます。

上から目線に聞こえてしまったら、本当に申し訳ありません。

たくさんの涙を流した分、その涙が
たくさんの幸せに変わり
貴方の生活に降り注ぐよう心より願っています。

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