「子供を産む」のは、人間のエゴ?
最近、私の気持ちをまるっと代弁してくれているかの様な塩のかけらさんの記事を見つけた。
下記の言葉は、いつも私が彼に言っていた拙い言葉の真意そのままだった。
私の不安と戸惑い
あの記事を読むと、塩のかけらさんは人生にとても苦労したり悩む事、大変な事がきっと沢山あったのだろうと勝手に推測する。そんな滲み出る感情に私は自分の感情や反省を重ねてしまった。塩のかけらさんの人生がどのようなものだったのかはわからないが、私自身とても自己肯定感が低く、人生を歩むという事がとても大変で沢山の苦しみと困難の中を進んでいく様な感覚があったから、自分の独断で誰かの人生を強制スタートさせる事に対しての戸惑いがとてもあった。
もちろん困難から生まれた素晴らしい価値観を持つ人もいるし、そこから生まれた芸術も沢山ある。困難のない人生などないし、楽しいばかりが人生ではない。逆を言えば困難しかないのが人生とも言い切れない。私だって、夢を見つけ追いかけたり、沢山の素晴らしい出会いがあったり、恋をしたり、愛を知ったり、今世で既に素晴らしい経験をいくつもして来たとも思う。
それでも総括すると、私にとってはきっとこの自己肯定感の低さに苦しめられることが多々あり、今も日常的に苦しめられている。人は使命や課題を持って生まれてくるとは言えど、自己肯定感の低さと戦う日々は苦しく辛いものがあった。(現在進行形)
人生に一番必要なもの
子供が大人になるまでに一番培っておくべきものは、教養や運動能力よりも、素晴らしい容姿でもなく、「自己肯定感」だと思う。今私は、自身の自己肯定感の低さを分析したり発達心理学や愛を学ぶ中で、子供にどう接する事がベストなのか頭で考える事は出来る。だが、100%思い通りに行く子育てなどない。どんな心理学者や自己肯定感のプロフェッショナルが子育てをしたとしも、受け取り方はその子供次第でありきっと正解などない。
愛情を受け取る感度が高い子もいれば、沢山与えてもまだまだ足りないと思う子供もいて当然だと思う。子供は皆、白紙で生まれて来るのではなく人格を持って生まれてくるのだから。そうわかっていながら、私は不安なのだ。どうしても「個人の判断で人生を強制スタートさせてしまう」という感覚が拭えなかった。
ずっと「自分で産み出す事」には戸惑いと違和感を感じていながら、養子を家族に迎えて育てる事の方が想像が出来ていて、しっくり来ていた。この世に生まれて来て「既に人生をスタートしている子供」で家庭環境を必要としている子を迎え入れ、心から愛して家族として、愛情いっぱいに育てる事の方が何故か私の心が前向きで、意欲的だった。塩のかけらさんの記事は、私の自発的に「自分の子を育てたい」という気持ちはしっくり来ないのに、「養子の子を迎え入れて育てたい」という気持ちの差を具現化してくれていた。
私の彼氏と想像する子育て
私は彼氏をとても尊敬している。自己肯定感が高く、小さな事でクヨクヨ悩まない。ポジティブでもネガティブでもなく、この世に生を受けた事を楽しんでいるように見える。人を表面的にジャッジする事もなく、誰かの富や名声だけで判断する事なく、LGBTQ関連について話す時も、夫婦別姓について話す時も、「個々の幸せ」をベースにいつも考え、尊重しながら意見を述べられる人だ。
そんな彼がどんな子育てをするのかとても興味がある。心から尊敬する愛おしい人は、自身の子供にどんな姿を見せ何を教えるのかとても楽しみである。でも私はずっと彼氏に「貴方の子育てを見てみたいという気持ちはあるけれど、自分自身のDNAを持った子供を産みたい、このお腹で育てて産んでみたいという気持ちがどうしても湧いてこない」とずっと言っていた。「自分で産みたくない」と断言しているわけではないのだが、いつか産む事があるかもしれないけれど、熱望する程の気持ちが湧いてこないと言った感情だ。
彼「誰かの人生を強制スタートさせる事」への彼氏の考え
気持ちを具現化してくれている記事があったよと読み聞かせた後で彼氏が言ったシンプルな言葉に私は妙に納得してしまった。私の気持ちも、記事を書いた塩のかけらさんの言いたい事もわかるよと言ってくれた後、彼は「自分目線で言えば、両親を思い出しても、自分が過ごしてきた家庭環境がよかったし、自分は何故この世に生まれて来たんだろうと言う疑問すら持った事もない。漠然と自然な気持ちで自分の子供を見てみたいし育てたいと思って来たから、経験してみたい」と言った後、
「子供に『なんで俺を産んだの?』と言われたら、精子の時に自ら頑張ってレースを勝ち抜いて卵子に飛び込んだんだろ、自ら生まれたくて生まれたんだろ!と言うよ」と言っていた。
妙な納得感があった。私は簡易的な精子顕微鏡キットで精子を彼氏と一緒に観察した事がある。幸い沢山の精子が活発に激しくうごめいていたが、ゆっくり動く子もいれば、既に力尽きている子もいた。精子など、まだ意識もないレベルの話かもしれないが、私たちはどうにか受精しようと卵子を目掛けてレースを勝ち抜いた個体なんだと、自分の存在すら肯定してしまいたくなる程の納得感があった。
この世で学びたい事や使命があって魂が地上に降り立つと言う考えは元々持っていながら、物理的に精子が卵子を目掛けて飛び込んだと言う事実に、私も人間としてこの世に生まれたいと思いながら生まれて来たのだと思えたら、「自分のDNAを持った子供が産む」と言う行為をしようとしている自分を少し許せる気がした。
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