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冷凍みかんに冬を求めて #KUKUMU

子どもの頃、私が住まう県の公立小・中学校には、まだクーラー設備が導入されていなかった。

暑さうだる教室の中、耐え忍ぶように授業を受ける。
開け放たれた窓からは、砂埃混じりの熱風が吹き込み、教室の両脇に一台ずつ設置された扇風機は、生ぬるい空気をかき回すだけ。

気休めでしかない。

誰もがそう気づいていた。けれど、それでも席替えとなれば、窓側や扇風機の風が当たりそうな席を狙ったものだった。
こんな蒸し風呂のような環境で、元よりそそられない分数の足し算やら地図記号やら、漢字の書き順の話なんぞに集中できるはずがないのだ。大人たちも少しは冷静に考えてからものを言ってほしい。


昔から夏が嫌いだった。

加減を知らない暑さのせいで常に頭は朦朧とするし、鬱陶しくギラつく太陽には「子どもなら遊べよ、ほら駆け回れよ」と急き立てられているようで面白くない。大人たちまで太陽の味方をして、私たちを外で遊ばせようとしてくる。

やだよ。そんなことしたら汗だくになっちゃうじゃないか。

まぁ、駆けずり回ろうと教室の中でじっとしていようと、生ぬるい汗が全身の毛穴から吹き出すのが、この季節なのだが。

私は冬が好きだった。
空気がピンと張りつめていて、景色も意識も何もかもが澄み切ったあの季節が。夏とは似ても似つかない。

普段から快活とはいえない性質の子どもだった私は、暑い季節、ますます厭世的になり、笑顔も少なく、時の消化を待つように毎日を過ごしていた。好きな男の子に外遊びを誘われても断ったほどである。

断って、昼休みは仲良しだった保健室の先生のところにおしゃべりをしに行く。「わざわざこの炎天下の中を走り回る人たちの気が知れないわ」――やれやれのポーズを取る。
保健室は、冷房がよくよく効いていて涼しかった。



しかしそんな夏の私にも、子どもらしいときめきを取り戻せる楽しみが一つだけ。

給食の献立表が配られると、目を皿のようにしてそれを探す。きな粉揚げパン、ゆかりごはん、ミルメーク、フルーツポンチ、みそラーメン……どれも魅力的だが、私が探しているのはそれじゃない。

あ、あった。
やった、来月は食べられる!

日付を鉛筆でぐるぐる囲む。
この日は絶対に休まないぞ。雨が降ろうと槍が降ろうと、気温が40度を超えようと、わたしは学校に行きます。

給食にたまに出てくる冷凍みかんが、私はたまらなく好きだった。


その日は朝から落ち着かない。いつもなら朦朧としているはずの頭も、この時ばかりは冷凍みかんのことでいっぱいである。

約分していても、冷凍みかん。
粘土をこねていても、冷凍みかん。

4時間目を終えるチャイムが鳴るや否や、よろこび勇んで給食の支度をする。


給食をのせたワゴンがやってきた。
ABCスープやミートソースなど、熱いものからは離して積まれた、そのアルミ製バット。蓋をずらせば白い冷気が煙のように漏れ漂う。
その向こうにお行儀良く並んだ丸い果実。橙色の皮には霜がおりている。
一人に一つずつ配膳され、私がスパゲッティを巻いているあいだにも、おぼんの隅っこでゆっくり溶けていく。

半分ほど溶けたところで食べるのがうまい。
頃合いを見計らって、冷凍みかんを手に取る。水滴をまとい、いかにも涼しげだ。私たちのそれとは違う、清らかなる汗。

爪を突き立ててきっかけを作り、指を沿わせるようにして皮を剥いていく。そしてあらわになった実は、内から光を放っているかのよう。ひと房を丁寧にはがし、口に運ぶ。

しゃく。

まだ少し凍った実を歯が割く。知覚過敏気味の前歯が少ししみる。
冷たさに麻痺した舌が徐々に味覚を取り戻して、みかんの味。
甘酸っぱい、冬を思い出す味。

冷凍みかんを食べるそのあいだ、私は夏をすっかり忘れる。

学校給食がなくなってしまった後でも、夏になると私は冷凍みかんを、あるいはそれに類するものを殊更求めた。

高校時代の部活帰り、コンビニに寄ればみかんアイスに手を伸ばし、その凍りついた果汁を齧りながら帰ったし、今この時だって家の冷凍庫ではみかんの缶詰が氷結して眠っている。

氷漬けにされたみかんをかじる時、私はいつだって冬に思いを馳せる。
こんなに蒸し暑い空気が、ほんの半年前には身も凍るほど冷えていたなんて。ほんの半年前。それがとてつもなく遠く感じられる。まるで太古の昔のように。はるか彼方の氷河期のように。
凍りついたみかんは、さしずめそんな冬の化石だ。

いにしえの冬に実った果実が、氷漬けとなり、アイスキャンディーや缶の中に閉じ込められ、冷凍庫の奥で眠りにつき、悠久の時を経て、この夏まで運ばれてきたのを想像する。

だからか夏に食べるみかんは、冬に食べるそれよりもなんだか尊い。


今夜も。

冷凍庫から缶詰を取り出す。
涼やかなみかんに相応しい、銀色のスプーンとガラスの器で食べたい。スプーンに少し体重を込めて、凍りついた中身を器によそう。

日が落ちても容赦なく蒸す熱帯夜の空気が、缶から出された冬の化石を、ゆっくりゆっくり溶かしていく。
ガラスの器が汗をかいてきた。
すりガラスのように凍っていたシロップがちょうど半分ほど溶けて、みかんの実がつやつやと生気を取り戻す。

時は満ちた。今が食べ頃。
氷とみかんをスプーンですくいとり、口に運んだ。

文・イラスト:渡辺 凜々子
編集:栗田真希

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食べるマガジン『KUKUMU』の今月のテーマは、「サマーフルーツ」です。4人のライターによるそれぞれの記事をお楽しみください。毎週水曜日の夜に更新予定です。『KUKUMU』について、詳しくは上記のnoteをどうぞ。また、わたしたちのマガジンを将来 zine としてまとめたいと思っています。そのため、下記のnoteよりサポートしていただけるとうれしいです。

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