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3.島根つわの旅 - ワイロとワンコと隠れキリシタン
書きたいことが多すぎて、ついにPart3に突入しました。前回の記事はこちらです。
→ 1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん
→ 2.島根つわの旅 - 100枚の絵と鷺ダンス
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城下町を歩いていると、所々で「源氏巻」の文字が目に付きます。気になってお菓子屋さんに入ると試食を勧めてくださいました。こしあんを薄いカステラのような生地で巻いたお菓子です。優しい甘さが美味しい和菓子でした。この源氏巻と栗のお菓子を購入したのですが、「日持ちはしないけど、よかったら道中で」と源氏巻の切れ端をおまけしてくださいました。ありがとうございます。
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そしてこの源氏巻にも物語があります。江戸時代、幕府の役職付きと津和野藩主がトラブルを起こしかけたとき、藩の老中が小判を薄いカステラのような生地で包んだものを進物したところ、騒動を免れたのだとか。つまりワイロです。これのおかげで藩が存続できた、ということで小判を餡に代えて、縁起物として食べられているそうです。
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これには諸説あって、小判を巻いた訳ではなくお菓子の下に小判を並べて進物したという説もあるようです。確かに小判がお菓子で包まれていたら貰った方は「なんで巻いた…?」ってなりそうなので、こちらの方が信憑性が高いような気もします。小判分の厚みを誤魔化すためにお菓子を薄く作ったというのも分かります。当時は砂糖を使ったお菓子はそれだけでも高級だったでしょうし。
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続いて、歩いていたらまた気になるお店があったので入ってみました。SHIKINOKAさん。表の看板には「農機具」と書いてあったので少し不安でしたが、店先からはお洒落な雰囲気が漂っています。
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店主さんにお話を聞くと、お祖父様が営まれていた種屋さんの姿を残しつつ、生活の道具を販売されているのだそう。量り売りのスパイスや洗剤、生活に寄り添うプロダクトが並ぶ心地よいお店でした。カゴに入って外を眺めるワンコもとても気持ちよさそう。
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リサイクルガラスで作られたグラスを買いました。店主さんに「どちらからですか」と尋ねられ、とっさに「宇部です」と答えてしまいました。はやく正直に答えられる世の中になってほしいです。
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お店から少し歩くと、カトリック教会が見えてきます。自由に中を見学できるのですが、珍しいことに床が畳敷きになっていました。畳にステンドグラスの光が反射する独特な佇まいです。
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キリスト教について津和野には悲しい歴史があります。キリスト教の禁教下であった江戸末期、長崎の浦上でキリシタンを摘発する「浦上四番崩れ」が起こります。激しい拷問に対し、当時外交を始めていた外国人公使らからは抗議の声が上がっていたようで、時代は明治に移り拷問から流罪へと刑が替わります。
そしてキリシタンは長崎から方々へ連れていかれ、津和野もその一つでした。ここでも「改心」させるための激しい拷問が行われます。乙女峠という冬山の中での食責め、氷責め、三尺牢という小さな檻での見せしめ……37人もの殉教者が出ました。
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津和野町 郷土館にもキリシタン弾圧に関する資料が展示されていました。
郷土館の開館は大正10年。当時、県内では唯一の郷土博物館だったそうですが、全国的にもかなり早かったのではないかと思います。
松江や出雲を訪れた時にも感じましたが、島根の方は「歴史や文化を守り伝える」という意識が強いように感じます。空襲や焼失の過去が無いという運の要素もありますが、それでも古いものを守り続けるというのは簡単ではないはずです。
時代が移り変わるとき、それまで使われていたものが用無しになるとまるで一気に価値がなくなったかのように扱われます。江戸時代の建築や品物は今でこそ価値が高いですが、新しいものが出現したときに使われなくなったものの方が圧倒的に多いはずです。しかし本来なら人の手仕事で作られたものや人が過ごした場所、文化には「時代遅れ」という価値観はなく普遍的な価値があるはずです。
津和野にいると、そのことに気付かされます。
つづく。
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