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1.島根つわの旅 - 茶色い瓦とくすり屋さん
水を得た魚ってこんな感覚なんだろうと思いました。久しぶりの一人旅、好奇心の赴くままに島根県の津和野をビチビチと歩き回りました。本当に興味深い所だったので、この旅をなるべく高い解像度で記憶しておくためにnoteを書きます。あくまで私の記録であって、これから訪れる方にはあまり参考にならないと思いますので、検索してこの記事に辿りついた方はすみません。むしろネタバレになって旅の楽しさが半減してしまうかもしれません。
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津和野は山口と島根のほぼ県境に位置しており、私は山口方面から入りました。山あいに稲の広がる田舎道が続いて開放感があります。石州瓦の茶色い屋根がつやつやと輝いて、この地域特有の景色を作っていました。石州瓦は島根で作られている瓦で、茶色い理由は釉薬だそうです。溶けた雪が染みて凍結することによる割れを防ぐ意味があるんだとか。
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山あいの小ぢんまりとした町なので、まずは駐車場から適当に歩いてみることにしました。歴史的に価値のある建物が多く、城下町の風情が残っています。
歩いていると「一等丸」の重厚な文字が目につきました。薬草を細かくする薬研が置いてあったので、おそらく薬屋さんだろう…しかし特に体の不調はないしなぁと迷いつつ、お店の雰囲気に心惹かれ決心して中に入りました。
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古いものと新しい薬とがどちらも並ぶ空間。生きた博物館のようです。博物館で見たことのある道具も、こうして実際に使われていた場所で見るとより強い存在感を感じます。
この高津屋さんの創業は寛政十年、江戸時代の後期で、その頃と同じ場所で今も続けられています。下の写真の薬箪笥は200年ほど前から使い続けられているそうですが、信じられないほど状態が良くて大事に使われてきたことがひと目で分かります。
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そして店の表にも大きく出ていた一等丸とは、漢方の胃腸薬でした。津和野出身の軍医で文豪の森鴎外先生も日露戦争時に持っていったとか。
このエピソードが面白くて、もともと森家は津和野藩の藩主である亀井家の藩医を務める家系だったそう。そのため高津屋さんは森家に薬を納めていて、そのお遣いを任されていた後の五代目と森鴎外(本名は林太郎)が仲の良い幼馴染だったのだとか。それで五代目が開発した一等丸を日露戦争出征の餞別として鴎外に渡したわけです。
鴎外は明治の廃藩置県をきっかけに10歳で東京に出ています。だからそれより前の交流だったことを想像すると良い友人関係だなぁと感じます。もちろん当時は家同士の関係性もあったと思いますが。
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そしてこの話にはさらに続きがあります。森家が東京に移住した際、高津屋を営む伊藤家に建物を譲りました。その後、七代目の店主 伊藤利兵衛がこの建物を町に寄贈したおかげで、森鴎外旧宅が一般に公開されることになりました。さらには国指定史跡にも登録されています。
その七代目は、現在の九代目 伊藤利兵衛さんのお祖父様。身内ながら尊敬する、と、九代目の利兵衛さんが話してくださいました。
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ちなみに九代目利兵衛さんは女性の方で、性別にかかわらず代々「伊藤利兵衛」の名を継いでいるそうです。柔らかな雰囲気の方で、お尋ねすると、勿体ぶること無くいろいろなお話を聞かせてくださいました。
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一等丸、もちろん買いました。漢方ということもあり体にやさしく、3歳から服用できます。大人は1回10錠。急性のときは20錠くらいまで飲んでも大丈夫だそうです。鴎外もこの効き目に喜んで、後に文章を残しています。
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パッケージがまた良くて、300粒入りは大きめのマッチ箱くらいの大きさなのですが、スライドすると丸穴があり、そこから粒を出す仕組みになっています。(文章だと伝わりにくいのでぜひ買ってご体験ください。)
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ちなみに一等丸が作られたのは、スペインかぜが流行した頃と近いそうで、効能として「悪い流行病の際、伝染の予防に効あり。故に旅行あるいは人の寄り集まる場所に行く時はこの一等丸を必ず服用のこと。」と伝えられています。今と変わらない切実な思いが伝わってくるようです。
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ちょっと…まだ旅の序盤なのですが、高津屋さんが良すぎて長くなりました。一旦、記事を区切ろうと思います。
この歴史を守りたいので、よかったら一等丸を買ってみませんか…!胃腸を調えるもので常用もできるそうです。
高津屋 伊藤博石堂さんのサイトで購入できます。
つづく。
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