見出し画像

大人になってよかったことを考えていたら想像以上に世界が広がっていた話

大人になってよかったと思う時はありますか?
あるとしたらそれはどんな時に感じますか?

ちなみに私がここでいう大人とは「じりつ」している人のことを指しています。
「じりつ」とひとことで言っても複数の意味があるのでちょっと整理しますね。

【自律】
自分の気ままをおさえ、または自分で立てた規範に従って、自分のことは自分でやっていくこと
【自立】
自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに自分の力で物事をやっていくこと
Oxford Languagesの定義

このほかに【侍立】【而立】がありますが意味あいがちょっと違うので、今回は上記の2つで考えます。
ざっくりというと「自分ひとりでも生活していける人」ってとこでしょうか。
中学まで義務教育で、その後高校・大学と進学した場合に金銭的な援助を受けているとしたら親(または他者)の監護下で生活している、と考えてください。




最近「あー、大人っていいなぁ」と感じることがありました。

頭の中でほくほくと考えていたのですが、
(あったかくて優しい味わい、新じゃがのイメージ)
過ぎたことは良くも悪くもさっぱりと忘れてしまう私。
なんとか記憶をとどめておきたい、、、ということでnoteに書いてみます。

大人になってよかったと思うこと

1.お酒がおいしく飲める

私が初めてお酒を飲んだのは学生時代。
その当時合コン(死語?複数の男女でやる飲み会です)が全盛期。
街の居酒屋で飲むこともありましたが、ひとり暮らしの友人宅に集まって宅飲み。学生時代はとにかくたくさん飲みましたね。
チューハイとかカクテルとか、ぐいぐいいけるものしかチョイスしていなかったので味わうには程遠い飲み方。
酔っ払うことで場が盛り上がったりお目当ての子といい雰囲気になったり、それはそれで楽しかったのですが、定期的に泥酔する周期があって後悔することも度々あったあの頃。
社会人になってからもしばらくそんな飲み方をしていました。
その後、結婚・出産・子育て、そしてコロナの時代を経て外で飲む機会もめっきり減った現在はおうち時間を楽しむ日々。

あー、幸せ



夕ご飯を作りながら
明日のお弁当のおかずを作りながら
洗濯機を回している待ち時間に


平日はのどごし良いビールを選び、お休みの日は1週間の食料品調達のついでに酒の肴を1、2品買って冷酒でちびちびと。
仕事している時以外、私のリソースは家事中心に回っていてその行動の中に含めてお酒を飲むという習慣。
限られた時間の中だからこそ、少しだけ贅沢して飲もうと考えるようになってからぐんとお酒が好きになりました。
味の違いもわかるようになったし、体にもきっといいはず。うん、いいはず。

2.金銭的な自由

はい、これは社会人になってお給料をもらうようになり自分の好きなようにお金を使えるようになったということですね。
大人になってよかったことでこの項目を挙げる方、結構いるんじゃないでしょうか。
私は結婚するまで実家暮らしをしていたのですが、その間ずっと

「お小遣い制」

社会人になって結婚するまでの約5年「じりつ」とは程遠い親の監理下にいました。

「家にお金を入れる」のではなく「もらう」立場。

お小遣い足りなくなったら決裁制だったもんな。
予算と決算の相違の理由を述べよ・・・って、会社か。

結婚してからお金についてたくさん話し合いを重ねてきました。
当初はお小遣い制を採用していましたが、ライフイベントや夫の転職など見直すタイミングがあり現在は以下の通りに落ち着きました。


・会社員で安定的収入がある私が固定費の家賃・駐車場、プラス料理の役割を担っているため食費、日用品

・フリーランスの夫は変動する水道光熱費、教育費、家族の娯楽費、会社員時代から継続している月がけの学資保険

夫婦喧嘩でイライラしたときは夫名義のクレジットカードで買い物をしてよいバランスを保っています。
(きっぱり)



収支はどんぶり勘定だけど、なんか丁度いいんですよね。

え?そんなんでいいの?大丈夫?という声が聞こえてきそうですね、はい。
そんなに稼いでるわけではない間接部門の会社員と収入が不安定なフリーランス。
子供にかかるお金や貯金がいくらあっても不安視される老後については日常的に、わりとフランクに話しています。

【知足の人は地上に臥すと雖(いえど)も、なお安楽なりとす】
足ることを知っている者は地べたで寝るような生活をしていても幸せを感じている
仏垂般涅槃略説教戒経

足るを知る・知足=身分相応にあるもので満足するということ

子供にかかるお金はライフプランをシュミレーションし、夫が会社員のうちにおおよそクリア。

なので老後はなければないなりに生活する仏教の教え知足が理想的だよね、と。
貯金をするために今の生活を制限するのもなんか違う。
じゃ、今なにするといいかな?
そんなふうに。

このことについてはまたいつかnoteで書きますね。

3.意思決定の自由

昭和の典型的な頑固な父と、これまた絵に描いたような専業主婦の母のもとで育った私。

・親と子の立場を明確にし、親は子の上に立つべきもの
・父の絶対的権力ですべて物事が決まる
・異を唱えることを許されない
・女は常に男より劣っているもの


他の兄弟とは明らかに違う私への応対。
「女のくせに生意気言うな」と言われることも1度や2度ではありませんでした。

男女不平等甚だしく、ジェンダーギャップ指数を測っていたら見たこともない数値を叩き出していたはず。

そんな頑固な父でも、さすがに結婚してからは何も言わなくなりました。
1人前の大人として認めてくれたってこと?
夫に私を託したから?
私の耳に入らなかっただけで、母にぼやいていたこともあるようですが。

(父の稼ぎだけで3人の子供を育て上げたことは純粋に尊敬。同じ親の立場になってみてわかるものですね。)


夫と結婚したおかげで納得するまで話し合う術を身につけました。
そして話していくうちに私自身がすっかり忘れてしまっていた思考の数々がひょっこり顔を出すこともしばしば。

「今に不満はないけど昔はたくさん失敗して自由だったな」

自分を丸ごと許容してあげた感覚、伝わりますか?

総務という立場で長く働いていたのでずっと他人の気持ちを「受け取る側」が得意だと思い込んでいました。
まさか自分が「発信したい側」の人間だったとは。

noteやTwitterを通して頭の中に湧き上がる言葉を書きとめることはとても楽しい作業です。
はじめてしばらくすると、想像もしなかった変化が。

以前だったら「なんとなくそう思う」と説得力に欠けるものの言い方しかできなかったのですが、頭の中に思い描いた映像が言葉で表現できるようになったのです。

あれこれ考えぬいた言葉が自分の気持ちとずれているような気がして飲み込むことが多かった私。

息を吸うように話ができるようになるなんて夢のようです。


こちらのnoteでふれているように自分の意思で休職を決めました。
これは家族が「なんで?」「大丈夫?」と一切言わずに私を受け入れてくれたから。
納得した休職期間を過ごした今、ヨガの世界へ一歩踏み出そうとしています。
父の呪縛に囚われたままではあり得なかっただろうなぁ。

「へー、すごいね。がんばって。」

決してはお安くないインストラクター養成講座受講料を聞いても動じなかった夫に感謝です。

新しいことを始めたら今までぼんやりしか見えてなかった部分がぐわっとピントが合って視野に入るようになり、さらに関連する情報が不思議と思考のアンテナに引っかかってくるように。

屋外のヨガイベントに参加する私



普通に会社という組織にしか意識を向けていなかったら絶対出会わないであろう人たちとも繋がることができました。
なかには20以上歳の離れた方もいて、そんな人たちと同じスタートラインに立って共に学ぶことができる。
「できない」ことが恥ずかしいことじゃない、そう考えたらワクワクしかないです。

これはあくまで、幼少期に受容されず自己肯定感を育てられなかった私が感じたことです。

みなさんはどんな時「大人になってよかったなぁ」と感じますか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?