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人は弱みを見せないように生きている

入院という共同生活だと、どうしても同室者の個人情報が駄々洩れになってきます。
以前の私であったら一生知らないようなことばかりだったな、という事実や現実がたくさんあります。

一人ひとり人生も背景も異なっているので、想像することしかできませんが、
多くの偏見は、今の私にないわけではなく、残っていると思います。

それでも、
人にはそれぞれ表面に見せていない「内情」があって、それを知っているのはごく一部であること、
誤解なくそのことを受けとめてくれる環境や人は貴重であること、
暴露を恐れて誰にも口外せずに一生を終える人がいること、
それらを理解し、現実を受けとめることができたという点では、
福祉に関わり興味を持ったことは正しかったのではと思います。

その人の背景を知って色々イメージし、
その人は今に至るまでどんな人生を過ごしてきたのかを考えます。

この人が今こんな態度やコミュニケーションをとる理由は何だろうか、と。
こんなコミュニケーション、というのは、例えば怒鳴ったり、無理難題を要望したり、社会通念上その場に適していないのではと見られる行動のことです。

正直なところ、病院や患者には非常に様々な人がいます。
数えきれない、例にあげきれないくらいの色々な人です。
でも専門職は個人情報の守秘義務としてそれを話すことはありません。
だからこそ内情は世に出にくい。
オープンデータでもなければセンセーショナルに世に発表されることはありません。

同室者の方が激しい社会背景を持っていることをたまたま知ってしまって、色々考えた一日でした。

世間的には、20代で発症し、入院を複数回経験している私も多少はそうなのかも?しれません。
私は自分ひとりの人生しか知らなかったら、どん底に落ちていたと思います。

難病カフェでの対話や、福祉に携わる環境で、より多くの人が多くの事情を抱えることを知らなければ、より孤立していたはず。

苦労を知ることを推奨はしませんが、福祉に関わると人に優しくなり、そして人に期待することを諦めることができるようになる気がします。(それが幸せなことなのか、の価値観は人によりますが)

明日もがんばります。


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