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自己紹介③

母との生活。そしてその後感じたこと。


認知症って、今や予備軍を含めれば
相当な人数ではないかと思うけれど、
実際に一緒に暮らしてみると
想像以上に自分のメンタルがやられました。

・常に何かを探している
・通帳をとられたみたい
・ごはんはまだ?
・私が離婚したことも忘れているので、
なぜ家族をおいてあなたがここにいる
のか、と一日何度も責められる

これはほんの一部ですが。
決して普通の会話ができなかったわけ
ではないけれど、母の場合、
直前に話したことを忘れる、のが
顕著だったので、一日何度も
同じことを話す、いつもあれがない
これがないと引き出しをひっくり
返して探す、これが日常でした。

私も仕事を始めて、日中は家に
いなかったけれど、母からの電話が
毎日携帯に10回以上はかかって
きていて、留守電にあれがない、
これがない、盗ったでしょ?といった
内容が入っているのが毎日で、
それを聞くのもつらい日もありました。

母とは女同士というのもあり、兄には
キツイことは言わないし兄の言うことは
聞くけれど、私にはキツく当たったり、
認知症になってからは、見たこともない
形相で怒ったり、病気というのは、
人を変えてしまうのだなあと
悲しい気持ちになることが多かったです。

そんな日々を一年半ぐらい過ごし、
私の体調に異変が出始めます。

耳鳴り、めまい。

更年期でもあったと思うけれど、
更年期の一番の原因はストレスだよと
先生に言われ。

母の主治医の先生とも相談し、私が
実家を出て近いところに暮らしながら
様子を見る、に変えてみた方がお互いに
いいかもしれない、となり、ここで
50を過ぎての人生初の一人暮らしが
始まります。

元夫から何かにつけずっと
「お前に○○できるわけがない」と
言われ続けてきて、自分でも私1人では
何もできないんじゃないか?と不安が
あったけれど派遣社員の私でもすべて
一人の力で、ワンルームの狭い部屋
だけれど借りることができた…!
それは私にとってとても力になりました。

そうして母と少しだけ距離を置きながらの
介護でしたが、一人になれる時間がある、
というのはとっても幸せでした。

週1、2で実家に作り置きをたくさん
作ってもっていき、家の中を点検し
変わったことがないか様子を見て、を
また1年ぐらい続けていましたが
だんだんと症状は進んでいく母。

留守電の回数もかなり多くなり、私も
電話自体がかなりのストレス、そして
母が家の鍵の場所がわかならくなって
きた、というのも出てきて、
(これはとっても困った!)
仕事に行く途中で母からの電話で
実家に行ったり、なんてことも
起きるように。

このままのペースで私が見ていく
のは限界かもしれない。
でも施設ってお金もかかるし…

私のメンタルがぎりぎりに近づいて
いた頃、ケアマネージャーさんの助言や
紹介、いろいろな人の力によって、
母に合うグループホームがみつかり
入所できることが決まりました。
これは本当にスルスルっと決まって
いきました。

母は足腰は丈夫で、施設なんてそんなとこ
私は必要ないってずっと言っていたので、 
入所するまでがまた大変でしたが、
なんとか入所して。

私はこの時、施設に入れてごめんねとは
思わなかった。
もう自分にできることはやりきった、
という気持ちだったし母に合うところが
見つかって、あとはプロの、
専門の方たちにお願いしよう、
と心底ほっとした気持ちの方が大きくて。

母が慣れるまで時間もかかりましたが、
入所から1年半ほど経った今、月1で
会いにいっています。

認知症になる前の、以前の母のような
柔らかい笑顔も戻り、本当によかったと
思うし、施設のスタッフさんたちにも
とても感謝しています。


この体験を経て、自分の人生を振り返って
みて、さぁやっと自分の第二の人生、
これから何をして生きよう、
何をしていこう?と考えたときに
思ったこと…

それは私のように介護をされてる
方ってたくさんいて、人に悩みを
言えない、今辛い!って気持ちを
持ってる人ってきっとたくさんいる。

そういう人たちの気持ちを和らげたい、
何か私にできることはないかな…
そう思うようになったのです。

母を介護しているとき、その瞬間瞬間で
「あー辛い」と思ったことは何度もあって、
だけどそれを友達に聞いてもらったり、
なんてことは私はほぼできなったんですよね。

人に話せば、重たい気持ちにさせてしまう、
と思うとほとんど人に気持ちを話せなかったし、
言えなかった。

元気になれるお手伝いというか、
辛い気持ちを吐き出せない人のなにか、
なんでもいいから少しでも和らげてあげる
ことがしたい。
介護で悩んでいる人に限らずとも、
その人らしく過ごせることのお手伝いが
したい。
本当の自分に戻るきっかけ、お手伝いを
したい…

つまりはこれは私の使命なんだなと、
母のことがあって実感というか、
全てが腑に落ちたというか。
わかったのです。

母の経験がなかったら、きっと今も
気づけていなかったかもしれない。

離婚や介護を経て、私が生まれてきた
意味をやっと知った、そんな気が
とてもしたのです。

私にできることってなんだろう、
そこからが今・現在の私に続いています。

他人軸で過ごしてきたことが多かった
私が離婚後、全てのことを自分で決める
ことの大切さ、も実感しています。

やっと自分軸になった。
たくさんの回り道をしたけれど、これも
経験してみないと私はわからなかったん
だろうなぁ。


長い長い自己紹介読んでくださった方、
ありがとうございます。
大まかな私の人生を書いてみました。

自分のことをさらけ出すのは恥ずかしい
けれど、こうやって書くことで、
必要な人に届くこともあるのかなと
思って。


どうぞよろしくお願いします😊







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