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ロンドンのディズニーストアでティンカーベルを目指す

 新聞記者である父マサミの仕事の関係で、さやおは1990年から3年間を旧ソ連はモスクワで過ごしました。

 5歳だった私は当初、毎日泣いて暮らしていました。大好きだった祖母や幼稚園の友達と急に引き離されて、見たことも聞いたこともない異国の地に連れてかれた気がしたからです。

 ヒコーキと呼ばれる巨大な物体に入って9時間ステイし、ブンブンうるさいエンジン音の中でパッサパサの黒パンを無理やりかじった食事ののち、外へ出てきたら12月の冬真っ盛りなモスクワ。

 ひえ〜、って感じでした。

 仮住まいのホテルでとにかく泣いて泣いて、「おばあちゃんはどこ?」と親に縋り付いて、部屋じゅうを探し回って、彼らを大いに困らせました。

 1週間はそんな調子で、たまにベッドのしたで死んだフリをしていました。

 「死んだら人生は終わりだ」と日本の大人が話していたのを小耳に挟んで「そうか、死んだら楽になれるんだ。じゃあ死のう」と間違った希死念慮を持ってしまったのです。親から見たら子供がただ寝転んでるだけなので、まさか死体のつもりでやってるとはつゆほども思わなかったはずです。

 昔からちょっと変わった子供だったんですね。

 さすがに寝転ぶだけでは(吐血のつもりでよだれも出してはみたけど)死ねないと気がつき、泣くのにも死体になりきるのにも飽きた頃。

 私が替わって夢中になったのはディズニーのアニメーション映画でした。だがしかし、油断は出来ません。すぐさま私は死んだフリに取って代わる創意工夫を始めます。まず「ピーターパン」でウェンディーたちがロンドン上空を飛ぶシーンを見て、自分も真似をします。ベッド上で飛び上がっては墜落のローテーションを日がな一日繰り返しました。親から見たら子供がベッドで飛び跳ねてるだけなので、まさかモスクワ上空を飛ぶ練習のつもりでやってるとはつゆほども思わなかったはずです。それでも一向に飛べる気配がありません。こんなに頑張っているのに、なぜ? 魔法を信じる心は誰にも負けないのに。

 魔法? そうだ、分かった! ティンカーベルの粉だ! あれがないと飛べない!

 信じる心だけでは現実はどうにもならないという事実を5歳になって思い知るさやお。しかしさやおの頭はトンデモな理論を弾き出すのです。

「ティンカーベルの粉がないなら、自分がティンクになればいいんじゃね?」

 突然ですが、我が家は、健康診断などでイギリス・ロンドンに訪れる機会が定期的にありました。市内のディズニーストアである物を発見した私は「これだ!」と頭に電球を灯しました。ピコーンって音がまじで聞こえてきました。

 ティンカーベルの衣装!

 これを着れば、きっと今は自由に空も飛べるはず!

 早速、親にねだって買ってもらったスパンコール付き蛍光グリーンの目がチカチカするほどド派手な衣装に身を包んで、ベッドにダイブ!

 無情にもマットに沈むティンカーベルもどきがそこにいました。

 こんなことなら「リトル・マーメイド」のアリエルの衣装にしておけば良かったです。

 こうして努力虚しく「空を自由に飛ぶ」という夢は潰えたのでした。

 ちなみにそのティンカーベルのハデハデ蛍光グリーンの衣装はモスクワのバレエ学校のレッスンで着用して、先生やクラスメイトの度肝を抜いてやったことは言うまでもありません。踊っててスパンコールが取れるのが、まるでティンカーベルの魔法の粉みたいでした。

© Disney

☆カクヨムもやってます。


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