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『メタバース不倫』 Anh.6『堕落した女』

 ―第2場―
寂滅じゃくめつ出顕しゅつけんの手術台』


 ―2003.7.5 18歳―
「なぁ、私らって付き合っとるんやんなぁ……?」
「うん、そやなぁ」

「ゴム……着けた?」
「うん、着けとる着けとる」

 確認、した――。
でも確認なんて何の意味も無い事に、彼女が気付くのは、処女喪失から3週間後の事だった。

 ―2003.7.28 18歳―
「あん時、ホンマに着けとった……?」
産婦人科の角の電柱に寄りかかり、震える手でケータイを握りしめ、唯一の頼るべき男へ投げ掛ける。

「え……、うん。――着けとったで。
なぁ、それホンマに俺の子なん?
俺の子ちゃうやろ。
お前のせいやし、俺には関係ないからな。
渡す金も無いし、もう二度と電話してんとってや!」

 耳を疑う捨て台詞。呆気ない最後の通話。
純麗子すみれこは暗闇に独り取り残された。

 暗転から数日後。
「ゴム着けたとこ見たん?」
マンションの一室。サエからの詰責きっせき
この記憶から私は、体験入店たいにゅう荒らしをしていたサエが、純麗子と同じ学部の友人だったのだと知る。

「見てへんけど、着けとるって言うてた」
「しっかり見とかな。最初着けとっても、途中で外す男かっておるのに」
「……そうなん?!」
自信無さ気に答える純麗子と、彼女の無知に呆れ返るサエ。

「お腹の上に出されたとかない?後で中から液が出てきたとか?」

「うーん、覚えてないんよ。
もう何が何か分からへん内に終わったから……」と小さく首を横に振り、涙声で答えた後、頭を抱えて両膝に顔を伏せた。

 処女を捨てたい――。
18歳の夏、彼女は焦燥に駆られていた。
慣れない街での孤独を、言い訳には出来ない。
然程好きでもない相手と、情交が何かもよく分からないまま、ただの興味本位の成り行き任せで進んだ。

 初めての1回で、たったの1回で……妊娠。
まさかだが、逃げようの無い事実だ。

「産むん?」
「……」

 黙り込む純麗子に、サエは追い撃つように核心を突く。
「育てれる?」
「……、育てれへん……」

「……」
「大学の事もあるし、全然連絡着かへんし、堕ろすしかないって分かってるんやけど……」

 妊娠が分かってからの純麗子は、栄養のある物を摂取し、身体に悪い物は排除した。
ふと気付けばお腹を撫で、ヒールも自転車も敬遠した。
全く意味の無い行為だ――。
大きく矛盾している。

「堕ろすなら早い方が身体に負担かからへんって言われたんやろ?」

「うん……。でも、同意書に赤ちゃんの父親の署名貰わなアカンねん。
けど、着信拒否ちゃっきょされてるし。
ミナミのパチンコ屋の寮に住んどるとは聞いとったけど、どのパチンコ屋かも知らんし」

 ボソボソと、のらりくらり疏明そめいする純麗子に、サエは断案を下す。

「ミナミにパチ屋なんか、なんぼあると思とるんよ……!そんなん探してたら赤ちゃん大きなるで?つわりも始まりよんやろ?
もう誰か他に署名してくれる人探し!
例えば、ダイちゃんとかは?」

「ダイちゃんか……、お医者さんに相手が成人か聞かれたから、二十歳ハタチ超えてなアカンねやと思う」

「えぇっ、何それ。先輩とかで頼めそうな人おらんし……。
あぁっ、そや!オカッチは?確か24くらいやったやん!」

 オカッチこと岡 忠文ただふみは、高卒でアパレル業界へ就職し、24歳で大学に入り直した同期だ。

「なんでれーちゃんが自分の口で言わんの?」
事細かく説明するサエの隣で俯くだけの純麗子へ、講義後に呼び出された忠文は険しい顔で言い放つ。
カフェの一角だけが、重苦しい空気で満ちていた。

 純麗子は目を泳がせながらも、忠文と向き合う。
「ごめんなさい。頼めるのは、オカッチだけで……。
このままやと、堕ろせへん週数になるから。
……、助けてください」

 忠文は厳しい表情のまま大きく溜息をき、同意書を手に取った。

「今、ハンコとか無いし、この紙預かって帰るわ。
けど、これはれーちゃんの為に書くんやないから。赤ちゃんがちゃんと産んで育ててくれる人んとこに、早よう行けるようにやからな。
反省して、これからはもっと自分を大切にせなアカンで!」

 翌日、バイト先のホテルで突然の休暇を願い出た純麗子に、レストランマネージャーの沙織は、
「何で望んでも無い子のとこには来て、望んでるもんのとこには来いひんのやろねぇ」と、煙草の灰を気にしながら眉をしかめる。
何も答える事の出来ない純麗子の顔目掛けてフゥーッと煙を吐き、
「あぁ、ゴメン。妊婦さんに煙草はアカンかったかなぁ?
でももう堕ろすんやし、ええやろ?」と毒づいた。

 ―2003.8.5 18歳―
「お母様が来られてますので、お薬を受け取って帰って下さいね」というナースの声が、純麗子と私の意識の境目で微かにこだまする――。

 彼女の母は、佐賀県の実家とは疎遠で、離婚してからも頼る事は一度も無く、連絡も取り合っていない。数ヶ月前から、縁も所縁ゆかりも無い軽井沢で暮らしている。
娘が大学に合格し大阪で一人暮らしを始めたタイミングで、自身も軽井沢の旅館へ転職し、住み込みで働き始めたのだ。
純麗子は母に中絶の報告はしたが、まさか大阪まで来るとは思っていなかった。

 気まずい帰り道、無言のタクシーの中――。
痛いくらいの母の愛が、自分が持てなかった母の愛が、彼女の心を深く優しくえぐった。



 この物語は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。作者の人生とも全く交差しない、詮索謝絶の完全なるフィクションです。

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