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信楽のリアルな日常を書いてみた。

liloの村田です。

私は信楽歴27年、スポーツ選手でいうとそろそろベテランの域に入ってきたかな?ってくらいの信楽歴の持ち主です。

お世辞にも信楽は都会とは言えず、私くらいの年齢の者は大体、京都、大阪、東京でバリバリ働いてる人が多いかと思います。
そんな中、私の部活の同級生は当時計12人いましたが、そのうちの9人は今でも信楽にいます。そして、皆、一度大学で信楽を離れて外の世界を知り、大学卒業後信楽に戻ってきた者ばかりなのです。


そして、信楽に残っている私の友人は、皆これからも信楽という町を離れる気が無く、それどころか毎年信楽を離れていた者が信楽に帰ってきています。
信楽を離れたくないと思っているのは、私も同じでここ土地の空気感や不便さも含めて愛着を持っています。


今回の記事では、信楽のリアルな日常からなぜ信楽に帰ってくる人間がこれほどいるのかということを、信楽歴の長い人間の目線で考察したいと思います。


信楽は不便なようで実は便利

信楽という町は、滋賀県の最も南にあり、京都府、奈良県、三重県に隣接しています。また甲賀市水口町というところにも隣接しています。


信楽の人間は水口町、草津市、大津市、京都市へ、車で行くことが多いのですが、どの土地へ行くにも大体30分〜1時間弱かかります。


都会育ちの方や、普段あまり車を乗ることのない方は、30分〜1時間の運転は苦痛に思われる方もいるかと思いますが、信楽では幼い頃から30分〜1時間の乗車は当たり前でした。そして、免許取得後、運転する機会も増えると、さらに運転航続時間が伸びます。私なんかは3〜4時間のぶっ通しの運転は慣れっ子で、30分〜1時間の運転は可愛く思えてきます。

そうすると、隣接している街に行くための30分〜1時間の運転は、近いと感じてきます。

よく、信楽以外の方から『信楽は秘境の地だ』『信楽行くにはパスポートが必要?』などと言われますが、そんなことありません。
京都、奈良、大津市、草津市、すべて1時間圏内です。高速道路も信楽インターがあるので、大阪も1時間弱圏内です。近いですよねとても。

培った運転航続感覚さえあれば、信楽はとっても便利な町なんです。

友人のお父さんやお母さんを下の名前で呼ぶ

もしかすると、田舎あるあるなのかもしれないですが、信楽の人間は友人の親族を下の名前で呼びます。ほぼ友達感覚です。
『さなえちゃん』『まさふみ君』など、下の名前で呼びます。また、ニックネームで呼ぶこともあります。

私の母はひろみという名前なので私の友人からは『ひろみちゃん』と呼ばれていましたが、ある日、私の実家で10人ほど同級生たちと飲み会をしていた時に、私の母もその会に混じってきました。母はお酒を飲むと顔が赤くなります。そして、その時着ていたパジャマも全身真っ赤なパジャマでした。

その飲み会以降、私の母のニックネームは『赤』になりました。

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人のおかんを色で呼ぶなよって感じなのですが、信楽ならではの世代を超えた、人と人との距離が近いことも信楽の居心地の良さなのかもしれません。

また、町で知っている人に出会うことも多く、直接知らなくても大体何処かで繋がっています。
『誰々の息子か〜!お母さん元気にしとるか〜?』この会話は、何百回と繰り返されてきた会話です。

都会では知らない人がたくさんいますが、信楽では知っている人がたくさんいる。ここも信楽が安心できる土地なんじゃないかなと思います。

当時遊んでいた公園や遊び場がそのまま残っている。

公園の遊具や当時遊んでいた子供にしか知らない場所って、何十年も経てば、無くなっていたり、形が変わっていたりすることが多々あるかな思います。

しかし、信楽では当時のまま残っているものがたくさんあります。

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この写真は私が小学校の頃よく遊んでいた公園の写真です。当時と何も変わっていなくて、もはやこの写真に写っている子供たちと全く同じ遊びをしていました。

そして大人になってからも友人と遊ぶ時は、この公園に来て、花火やサッカー、バレー、ブランコをして遊んだりします。この公園では、私が中学性になり初めて出来た彼女とよくこの公園のブランコでデートをしたこともいい思い出になっています。


少し話は脱線してしまいましたが、信楽ではこの公園のように当時のまま姿が変わっていない思い出の場所がたくさんあります。

今でも、夜な夜な思い出の場所に出向いて当時の出来事を楽しく回想すこともよくあります。ここもまた、信楽という町への愛着を強くすることに繋がってるのではないでしょうか。

カルチャーがある。

信楽焼は鎌倉時代から800年以上続く陶磁器を指す日本六古窯の一つとして数えられています。

そんな大きなカルチャーに囲まれて育った信楽の人間は、義務教育時代から作陶体験が必修科目でした。幼い頃から当たり前のように陶器に触れてきた信楽の人間は、高校や大学で信楽の外に出るまでは、信楽焼の偉大さに気づくことはありません。

そして、一歩外に出た時に、初めて信楽焼や信楽という町の知名度や偉大さに気付かされます。こんなにも外の方に知ってもらっている町なのかと知り、驚いたものでした。その自覚を携えて、信楽に戻ると、信楽のいつまでも変わらないはずの景色が少し違って見えたこと今でも覚えています。

そうして信楽という町に対して、愛着や誇らしさを感じてゆくのだと思います。

他にも様々な要因があるかもしれませんが、とにかく私は信楽のゆるい空気感が大好きで、伝統ある町に誇りを持っています。信楽に長く住めば、意識的にこのような感覚を言葉にすることはありませんが、信楽の人間は無意識のうちに感じているのかもしれません。この町が私たちに愛着を持たせているのかなと私は思います。

最後に

私がパッケージデザイナーを務めるliloブランドは、人間と道具の正しい共生社会の実現のために『道具へのカンシャ』という価値観を世界に届けることを目指しています。

大量生産・大量消費の現代社会において、私たち自身もそうですが、多くの人にとって本当に大切なモノが何か見えなくなっていることに問題意識を持ちました。どれだけ地球に優しい商品を作ろうとも、どれだけ高性能な廃棄処理システムを作ろうとも、人間の道具に対する態度が変わらなければ真のサスティナブルな社会の実現はありません。

ならば、私たちが『思わず愛着の沸いてしまう道具』『道具について考えなおすきっかけとなる道具を作り出そう。』liloはそんな思いから始まったのです。

liloは手仕事の技術を、今までにない、新しい感性で再解釈して、思わず愛着の沸いてしまう道具を世の中に生み出します。

そして、liloの道具たちを通じて『道具へのカンシャ』という価値観を世界に伝えていきます。



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