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やりたいことと、やれることと、やらなきゃいけないこと

「やりたいことと、やれることと、やらなきゃいけないことのバランスをとれるといいね」

これは私の母の言葉だ。確か、最初は「やりたいこととやれることは違うから、よく考えないと」というような言葉だったと思う。それが成人を迎えるころにか、”やらなきゃいけないこと”という責任を取る文言が追加された気がする。

大人になって、社会に出て、結婚して実家を離れて、自己責任で生きていることをますます実感しているが、母のこの言葉を思い出し、その難しさや深みを考える。母によれば、“やりたいこと”と、”やれること”と、”やらなきゃいけないこと”、この3つはせめぎ合い、三権分立であるべきだという。また、状況に応じて3つのうちで特に意識しなければいけないことも変わる。だから、三権分立でありながらも、その時々で自分なりに3つのバランスを絶妙にコントロールしていかなければならないらしい。

「この3つをセットで考えると、今取るべき行動を冷静に選べると思うの」と母は言う。

”やりたいこと”、或いはやってみたいという欲求は、向上心や好奇心であり、これが著しく欠けていては日々が面白くないし、強すぎては身勝手さが前面に出る。”やれること”は、今の自分にできることを把握することであり、己の限界を知ること、自分の立場や置かれている環境を適切に理解することを示す。これが欠けると、高慢になったり、反対に自己肯定感が低くなってしまうだろう。

余談だが、ビジネス用語なのか、コンサル界隈でよく言われる”As IsとTo Be”という言い回しは、まさにこの”やりたいこと”と”やれること”をビジネスの観点で整理する言葉かもしれない。

そして最後に加わった”やらなきゃいけないこと”、これは社会における責任や、それを行わないことでやりたいと思っていることや今できていることができなくなってしまう様な、義務感のある事柄を指す。

例えば、今我が家には子猫がいるが、私はこの子に対して、命を守り安心して暮らせるよう環境を整えるという責任がある。これは猫を飼うという”やりたいこと”に伴う絶対的な責務であり、その欲求を満たすために”やれること”を最大限実践し、保護猫を迎える準備を整えた。

もう少し抽象的な視点に立ってみる。母のこの言葉は、人生そのものに言えることなのだろうと思う。人生には数々の選択があり、各々がその時々に考えて、道を選び取っていく。また、時には、自分で選択したわけではない状況の打開、挫折からの復活や路線変更といった様々な局面で、どうすればいいのか考えなければならない。(そもそも、私はこの世に生れ落ちること自体、選択した覚えはないのだ笑)

母の言う通り、この3つはせめぎ合い、深く結びついている。一つ一つを整理して見極めていくことで、今取るべき行動や指針が見えてくるのかもしれない。

以前、会社で新人研修を担当した時に、担当する新人の子にこの言葉について話し、各人の意見を聞いてみたことがある。私の勤めるコンサルティングファームでは、数か月の新人研修を現場のコンサルが勤め、担任制のような形で一人当たり10人程度の新人の評価や指導をする。その10人と個別面談をする機会が何度かあったので、良い機会だと思って聞いてみたのだ。すると、新人の子たちがそれぞれにどこに重きを置いているのか、それぞれの考え方が結構はっきりと見えて面白かった。

ある子は、やはり新人だから不慣れだしできないことも多い、だからこそ、現状の自分の”やれること”を見極め、地に足着けて頑張っていきたい、というようなことを答えた。彼女は、私の担当した10人の中でも、取り分けて特定の部署への配属希望が強い子だったので、この言葉を聞いた時、私は内心驚いた。だが、盲目的にならずに冷静に自分の能力や立場を見ようとする姿勢があるから、希望(”やりたいこと”)を目指して邁進でき、たとえ希望が通らなかったとしても頑張れるだろうなと安心もした。(彼女はその後、無事に第一志望の部署に配属された)

また別の子は、最初は小さなタスクを与えられて、少しずつやらせてもらえることが増えていくだろう、与えられた目の前のことすらこなせずに理想は語れない、まずは与えられた責務を全うするという意味で”やらなきゃいけないこと”を意識したい、といった。彼は、特に真面目な子だったので、彼らしいなと思いつつも尋ねた。

「だからと言って、現時点でやりたいことがないって訳ではなさそうよね。やりたいことを内に秘めている感じがするけどどう?」

「目指したい方向性というか、まだ漠然としていますが、やりたいことはあります」

「じゃあ、ある程度出していった方がいいかもしれない。この会社はそれが許されるし求められる風土だから。逆に、しっかりと主張をしないと、やりたいことがない子みたいに見えかねないし、やりたいことからどんどん遠ざかって行ってしまう可能性もある。周りは都合のいいようにあなたのことを解釈するからねえ」

私の言葉を聞いて、ふむ……と彼は考え込むそぶりを見せた。

言い方やタイミングは上手にやる必要があるけれど、やりたいことがあってその思いは強いということは主張してよいと思う、と私は付け加えた。

「確かに、言わないと伝わらないですよね。言い方とか、また相談させていただくかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

と、どこまでも真面目な子だった。最近会っていないが、どうか肩の力を抜いて元気に働いてくれていることを願っている。

さらに3つの中でも、”やりたいこと“が一番重要だと答えた子は、ゴールを設定してそれに向かって進んでいきたい、目的もなく行動するのは時間の無駄だ、というようなことをはっきりと言った。目的設定をすることはとても重要であり、限られた人生の時間を1秒たりとも無駄にしたくない、という気迫と少し効率にこだわりすぎている印象を感じた。コンサル業界の新人としては、あるあるなのかもしれない。

徒労に終わることや回り道をしたくないし、できるだけ効率よくゴールまでの軌跡を描きたい、と思う彼の気持ちはわかる。直接聞いたわけではないが、例えば、回り道をすることによって感じる徒労感や、もしかしたら人より遅れてしまうことへの恐怖があるのかもしれない。彼の考えに反対するつもりは一切ない。

だが、今の自分の欲求に合致した選択や行動を確実に見極めるような、完璧な審美眼を持つ人はいないだろう。生きている以上間違うこともあるし、そもそも自分の”やりたいこと”をはっきりと理解しきれていないことも多い。指導担当として一抹の不安を覚えた私は、

「なるほどね。では、その目的を達成するために、今のあなたは一体どんなことを養わないといけないと思っていますか? つまり、あなたの言うゴールまでの軌跡の第一歩をどういう風に描くのか、ってことだけど」
と聞いてみた。

彼は私の言わんとすることを悟ったのか、ゆっくりと口を開いた。

「”やりたいこと”が一番だとしても、それ以外の2つをしっかりやらないと目的を達成できないかもしれませんね。”やりたいこと”を達成するためには何が必要なのか、しっかりブレークダウンしないと、ちゃんと軌跡が描けない」
と答えた。

「うん。まさにそういうことなんだと、私も思うよ」

さて、かくいう私はこの3つをしっかり意識して日々を暮らせているのだろうか。必ずしもそうとは言えない。何だかうまくバランスが取れず、モヤッと思っていたこともある。例えば、仕事で”やりたいこと”への感度が鈍っていた時期がある。或いは、”やるべきこと”をこなし”やれること”を重視して、余りチャレンジをしていなかった保守的な時期がある、という方が正確かもしれない。

当時、私は携わる案件に恵まれ、それなりに会社で認められ、良くしてくれる上司や慕ってくれる後輩ができたことで、妙に安心していた。とある案件がやりたくて堪らなかった同期がいる中で何故か私が抜擢されたり、苦労する先輩を横目に順調に昇進したり、人間関係に恵まれたことで、多くを求めないマインドになりつつあった。求めても得られない人がいる中で、自分は恵まれている方だし、実際、日々は”やるべきこと”と”やれること”で忙しないのだから、これでいいではないか、と。

しかしそのような環境で数か月たつと、どうも満たされない気分が強くなってきた。なにか物足りないのだ。安定していることへの違和感、外的刺激の志向、平穏な生活へのむずがゆさが、ムクムクと冬眠から目覚めるようだった。

そこから私は、自分の今”やりたいこと”ってなんだったっけ、と徐々に思い出していった。そしてとうとう、予てから経験が足りていないと自覚していた領域の新しい案件に飛び込んだのである。”やりたいこと”へのアンテナの復活である。

思い返せば、当時の私は”やりたいこと”へのアンテナが鈍る程度には疲れていたのかもしれない。そこで、とりあえず他の2つに絞って暮らす充電期間を経て、”やりたいこと”を始めるエネルギーを蓄えたと言えよう。そうか、この3つの指針はもしかしたら、自分の元気の度合いを測る指標にもなっているのか。ここで私は「やりたいことと、やれることと、やらなきゃいけないことのバランス」が取れないときは、少し休もう、という風に考えるようになった。

因みに、「やりたいことと、やれることと、やらなきゃいけないことのバランスをとれるといいね」と言った当の本人は、私が結婚して家を離れたのと同時に、20数年ぶりに仕事を始めた。学生時代に取った司書の資格を活かして、近所の小学校の図書の先生を務めている。彼女もまた、”やりたいこと”と”やれること”と”やらなきゃいけないこと”を考えながら、今取れる最善の選択肢を模索して、生きているようである。

きっと、私もこれからも、この言葉を軸に、模索しながら生きていくのだろうと思う。

#エッセイ #キャリア #ビジネス #コンサル #人生 #母の言葉

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